我々人類は、これまでずっと進歩し続けて来ました。それは勿論良い事であって、これからもどんどん進歩して行くべきだと思いますが、過去の無理な進歩には必ず歪みが伴って来た事も認め、教訓として学ぶべきだとも思います。
過去の植民地支配は確かにインフラ面で進歩をもたらしましたが、それは植民地の富を効率的に収奪する為の鉄道や道路であり、それらを造らされた農民は時期に大きく左右される農業に手が回らず、自給自足性を奪われてしまいました。
イギリスは彼等に棉や芥子(アヘン)を作らせて、確かに農産物の輸出高は大きく上がりましたが、その儲けは全てイギリスが持って行ってしまい、農民には飢えだけが残されました。
産業革命は化石燃料による動力化に寄っており、運搬の他にも繊維産業の工業化をもたらしました。
それがインドの伝統繊維産業を壊滅させた事は有名で、これは競争によって淘汰されたのではなく、流通を握ったイギリスの一方的な利益追求によりました。
こうした植民地政策は進歩の名に値しませんが、後にパンジャブの危機を引き起こした「緑の革命」は、進歩の鏡として一時だけ賞賛を集めました。
それはインドで最も勤勉なシーク教徒の土地パンジャブにおいて、化学肥料と農薬に適応した高収量品種(単年性)を普及させた革命で、確かに収量は増えてインドの食糧難は解消されました。
しかしこの革命は10年程で歪みを生じ、それは高収量品種が多くの水を必要とし、乾燥地帯のパンジャブでは水争いの問題を起こしましたが、より大きな問題は塩害を引き起こして多くの農地が使えなくなってしまった事です。
さらに化学肥料と農薬の多投は土地を病的にし、10年目頃から収量は下がり病気が多発するようになりました。その対応に更に多くの農薬を使い、農家は経済的にも健康的にも破滅して行きました。
こうした歪んだ進歩に対抗するのもトゥルク達の旅の目的であり、カルカッタの奇跡を起こした後には隣りの英国植民地ミャンマーに進みます。
そこはブータンと同じ熱心な仏教国であり、反英闘争はインドほど苛烈ではなく、イギリスの技術を上手く活かそうとするミャンマー人のしたたかさもあって、それ程大きな問題は無かったようです。(ジョージ-オーウェル「ビルマの日々」より)
次のタイは東南アジアで唯一独立を保っており、トゥルク一行は国賓として迎えられます。植民地主義に打ち勝った法王国の転生活仏は、仏教国タイで熱烈な歓迎を受けて多くの弟子が付き従います。
次の仏領ベトナム(現在のラオスとカンボジアを含む)では、ライバル イギリスの権勢を挫いたパーティーを歓迎はしますが、留まって活動されては困るので早急に船を用意してフィリピンに渡って貰います。
フィリピンは当時アメリカ領で、私はまだ行った事がないので書きずらいのですが、永くスペイン領だった影響からカソリックが浸透しており、ローマ法王国の使者も居てパーティーを案内してくれます。
アメリカ(日本も)の支配はフィリピンにどんな進歩をもたらしたのか、過去の人々の遺徳を偲ぶのは旅の良い醍醐味なので、調べていつか訪ねたいと思います。
マニラから沖縄を経て長崎に船は到着し、この「進」の章は浦上でのそれぞれの家庭の発展にまで続いて行きます。