”言葉と思考は一体だ。声を出して話すことによって「思考」そのものが輪郭を整える。人前で話しながら、その途中で自分の考えがまとまり、より鮮明になった体験をだれでも持っているに違いない。逆に言葉を失えば「思考」そのものもダメージを受けるといいっていいだろう。”とある。これは日経ビジネスOnLineの2017年12月5日に財部誠一氏の記事の表題である。
このフレーズに思わず連想したことは『暴力的言葉を吐くことによって思考が暴力的になる』ことである。フェイトスピーチも暴力的言葉や差別的な言葉に話すことで思考が暴力的差別的に固まっていくのである。もちろんアルバイトでお金を稼ぎのためテキストに従って言葉にしている人もいるのだが、滑らかにマイクにむかってしゃべる頃には少なからず、その内容に影響されていることが想像できる。組織員や世間にそのような言葉をアジテートすることでますますそういう思考になる。
話を変えて、日本会議に属するもしくは戦前の建前主義にとらわれているとしか思えない自民党議員が性教育中の使用する言葉対して教育委員会にいちゃもんをつけたとの報道がある。自分の立場をも考えずに言葉尻をとらえて指摘して物申して自分が浅はかなのを暴露している。本来、未成年の妊娠の危険を教育する重要性を認識せず、そこで使わなければならない言葉を指摘するのは如何なものであろう。
こういう人に限り、未成年で妊娠した当人を罰したりもしくは村八分にする方が多く、周りの人がそういう行動するのをとがめることもない。これは人間性の否定であり、事情を無視した差別である。そもそも、未成年の妊娠する性交することが悪と言う扱いをしている。すなわち未成年を子ども扱いする結果、しっかりした性知識を学ばない結果、無知のため不要な妊娠してしまう問題から逃げている結果である。妙なことに未成年の妊娠を悪としていながら、成人になると悪事をして好いこととなり、強いては経済政策で人口政策で産めよ増やせよで悪を推進することになる。全く矛盾することである。
未成年の性教育は妊娠は赤ん坊が生まれる事であり、生まれた赤子は育てていく義務があることを認識させることにあり、経済力を伴う必要があることを学ぶ場でもある。つまり大人になるためにきちんと学ぶ必要がある。しかも、妊娠防止しなければリスクは女子であり、また、性病が罹る危険があり、無知のため妊娠してしまう事、犯罪により妊娠してしまう事の危険を防ぐ効果がある。女子も男子も学ばなければいけないことである。私は正式に習ったことが無いのが残念である。
いずれにしても、枝葉末節を問題にして建前だけで行き、曲がった考え方で人を支配しようとする自己顕示欲があることを示している。このような人が選ばれるのは現在の選挙制度がたった二週間程度の選挙活動で当否が決まっており、金持ち減税を進め足りない収入を消費税でカバーすべく動き、あの手この手相続税を緩和することを選挙の争点にせず政権を取り、実行してきたことが問題である。選挙前の選挙活動が違反になること自体がおかしなことである。長い選挙活動すればその人なりが現れる可能性が高い。
話が大きくそれてきたので、ここでやめる。
=====<by やじさん>=======