ナショジオの抜粋であるが、支店を変えてみ労働組合を考えてみた。
第24回 ナショジオが見た戦中の日本
「日本の労働者といえば、ユニフォーム姿を思い出す。その背中に記された会社名は、彼等労働者たちが奴隷と変わらぬ状態にあり、管理された機械のような存在であることを象徴している。日本人労働者は、賃金について不満を言わない。戦前の賃金は、どうにか生活できる程度のものであり、それは今も同じだろう。万が一、組合があっても、彼らが声を上げることはないだろう」
上記を読むと、戦後の労働組合は憲法に認められているが、労働組合の中身が変わっていないことがわかる。
特に現在主流の労働組合は先行きの懸念を課題に示す経営陣の説明を論理的に崩すこともせず、示された労働者と経営陣と、株主の分配の変化を、経営陣や管理職が株価連動の収入アップが得られる方法を作ったことに対し、労働組合も協力しているのに見返りが無い、自社株街に対して、組合の貢献も要求しないあまりにも馬鹿げた組織幹部である。これでは労働者の購買力が上がるはずがないのは自明である。三方、労働者、経営管理職、株主がそれぞれ得にならなければ会社は発展しないものである。
また、発明や改善は会社の利益を生む種である。評価が低いのは日本特有である。ここらも改善すべきところである。
トヨタなどもっと労働者へ賃金を払うべきである。東芝のフラッシュメモリーの発明者は大金持ち億万長者になっていて然りである。
しかるにサービス残業、最低賃金押しばりなど本来と違う使い方になっている。物価上昇などにリンクすべきである。
物価上昇は商品のサイズ、重量を減らし商品単価の変動はないが実質物価が上がっているのに対し。統計上物価が上がっていないなどインチキ統計がなされている。
洋服などはカットソー、アンクルパンツ、スリムフィット、などあたかもファッションがどんどん良くなっているようであるが、記事の分量を減らし、縫い長さを減らしチープなものになっている。デザイナーの技術が上がっているというより、個性なきチープな服の反乱である。江戸時代の粋などは死語になっている。嘆かわしいことである。