おいおい、「加計学園」、「森友学園」はこれでお終いか??
トランプ大統領と安倍総理の合意できるところは、北朝鮮問題をことさら取り上げ、挑発して窮鼠のごとく猫にかみつくことをさせようといことである。
米国は防衛用の武器を売りたいし、安倍総理は北朝鮮の危険性をあおり、改憲の動きの補間、隣国によるテロ対策ということですべてを推し進めることが可能となる。
したがってトランプ政権との共通の利点であり、北朝鮮をあおれとの音目の秘密合意がなされていると思われる。
また表題と話が変わるが、
振り返ってみると、第二次大戦後、米国はあらゆるところに戦争の火種を残している。中東でのイスラエルの建国、南北朝鮮の国境、ソ連の千島レット侵略、容認、尖閣列島の帰属、竹島の帰属を決めなかった事などがある。
また、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン介入、第二次湾岸戦争、パナマ紛争介入、戦争をとぎらせたことが無い軍国である。それが一概に悪いとも言えないが、不要な戦争をやって、戦争のための費用で経済対策をしてきた歴史があるのも事実である。
歴代の大統領の人気が下がった時に戦争を始める事が多いのも事実である。
原爆を落としたのも、年の無差別爆撃を進め、木造建築に焼夷弾で無抵抗の市民を焼記殺したのも事実である。
ところで、地栄太がPKOで派遣するのを考えてみた。
米国軍人の中の白豪主義の人々は自衛隊をおもちゃで遊んでいる実際に戦えないと馬鹿にしていることも事実である。自衛隊の軍服につけている勲章なんぞ何の意味もないおもちゃのバッチとして馬鹿にしているのも事実である。なぜなら、米国は絶え間なく戦争をしているので実戦で勲章をもらう機会が多く、偉くなる人は実戦で優れた指揮を執って勲章をつけているからである。つまり、実戦で勲章をしない限り実力があっても自衛隊はバカにされるのである。そこで、自衛隊の軍人であり、米軍と触れ合う指揮官で誇りを持っている非常に向上心(功名心)を持った人は銃を打ち合う所で活躍したいわけである。そこで、自民党の軍国主義者は功名心が高い指揮官を満足するべく、様々な手を尽くしている。
PKOに行った指揮官はエリート街道になっているはずである。今後、PKOに派遣されたなら指揮官は戦闘があったなど日報に書かせないはずである。PKOで銃が飛び交うところに行けない。
またまた話を変えるが、以前の話の続きであるが、
戦後、民主主義の原理原則と理念を具体的な形として日本人がわかる形で旧憲法による改正手続きで採択し、天皇自ら交付したものである。自己責任で改正承認しのが日本国憲法である。押し付けられた憲法かもしれないが、首尾一貫性を得るため
決断したのである。
昭和天皇は大日本帝国憲法で不可侵の元首であってさえ、自分の考えを忖度できない軍人、首相、官僚に愛想をつかしていたのは間違いない。もし、天皇陛下の考えを忖度でしきちんと努力していればば満州事変以降でも引き返せたし、真珠湾攻撃も回避で可能性があるあったろう。天皇は選択肢が無い決断をさせられたことに不満があったと考えられる。戦争を回避できずに開戦の決断をし、尻拭いも自分できちんとするためこれ以上の国民の犠牲を避けて終戦にするためポツダム宣言の受諾を進めたと考えられる。この時点で軍閥、軍国主義者を除く国民をまもるための最終決断だと考えるべきである。
連合国の中心であった米国の間違いは東京裁判できちんと裁判でなく連合国のメンツで軍人の死刑をするための、軍人としてきちんと戦った人までおも部下の不祥事だけで罪にした例があることである。ベトナム戦争でソンミ事件などの虐殺で米軍の将軍が絞首刑になるような例があったことである。しかしながら、昭和天皇が靖国神社に行かなくなったのは、その中に軍人としてどうしようもない人がいることもいることを示していると考えるべきである。
東京裁判もきちんと総括すべきことで、アメリカ軍の将軍たち大統領も総括すべきである。
またまた話を変えるが、北朝鮮に仕掛けている経済制裁は受けている北朝鮮は軍事国家として軍備で世界と対応しようとしている事の足元を見透かして経済制裁戦争を仕掛けられているのは同じで、日本は真珠湾攻撃せざるを得ないようにし、北朝鮮には核ミサイルを発射させようとしている。
つまり国際連盟があろうが、国際連合があろうが、結託すると経済戦争を仕掛けられた相手は窮鼠とならざるを得ない。
中国が南シナ海でやっている軍事基地による領土化は、軍備をもって満州を自国だという当時の日本と同じことを勧めているに過ぎない。
中国と言葉で戦うなら、経済援助、技術援助、橋を架けるなどの強力などを進めてきた事を恩を仇で返すことを指摘すべきで、尖閣列島を棚上げすることで合意していたのを国有化するなど挑発するだけで益無き事をした馬鹿者がすることであったことは間違いない。
======<by やじさん>======
思うことが多く、書き留めているだけになってしまっている。反省