未曾有の福島原発漏れに面して、日本メディアの語る情報と、海外メディアの情報が違うことが多く、
いつもは遺族が自身でする美しいアートお葬式装飾・フュネラル・アートのことについて情報発信していますが、
今は、海外の放射能の情報を主に発信しています。
今日は、イギリスのメディア紙・インディペンデントの福島原発の記事をご紹介します。
これの和訳は以下です。
渡辺アツシさん(仮名)は、平均的な身長のがっしりとした体躯を持った、こぐ普通の二十歳代の男性です。
最初、彼は、怪訝な顔をして、やや困惑した表情を浮かべていました。
全身を黒尽くめの衣服に身を包んだ彼は、東京の雑踏の中では、非番の郵便配達員か建設労働者に見えるかも知れません。
しかし、彼は、この地球で並外れた仕事をしているのです。福島第一原発事故を収束させるために働いているのです。
その仕事は、3月11日の地震と津波の後に原子炉が三重にも重なってメルトダウンしたという錯綜した中で行われたものです。
彼が、その仕事に取り掛かるということは、将来において健康上の問題を抱えることを意味し、そのことを自覚した彼は、決して結婚したり、家庭を築いたりすることはないでしょう。
また、自分が老年を迎えるまで生きていることもないかもしれません。
しかし、彼は、そうした結果を受け入れています。
「この仕事ができるのは、私たちのうちでも何人かしかいません」と、彼は言います。
「私は独身だし若いです。この問題に決着をつけるのは私の義務です」と言います。
渡辺さんは10年以上前に学校を出て以来、福島第一原発の保安要員として仕事に従事してきました。
彼が青春期を迎えた1990年代には、1971年に、この原発を建設するか否か、という問題を巡って巻き起こされた激しい議論と抗議は、すでに色あせていました。
彼が高校の卒業を迎え、就職先を決める段になっても、家族の間では、ほとんど討論めいたことはありませんでした。
渡辺さん(彼がメディアのインタビューを受けることを、彼の雇い主は許可しないので、あくまで仮名です)は、「原発で働くことは、ごく自然な成り行きだと考えられていました」と当時を振り返ります。
「原発のプラントは、まるで空気のような存在で、私は、それをまったく恐れていませんでした」と渡辺さんは話します。
彼の仕事は、バルブの開け閉めで、パイプの中の圧力をチェックすることでした。
彼は、その仕事が好きでした。それが重要なことだと感じていたからです。
「私は、日本、そして東京に安全にパワーを供給するという使命を私たちが担っていると感じていました。その仕事に誇りを持っていました」と渡辺さん。
今のお給料は1ヶ月18万円です。
4月以降、彼は福島第一原発内部の作業に就くことに同意しました。今は「昼食代」として1000円がプラスされ、それで昼食を食べるのです。
3月11日、地震が起こって福島第一原発が大打撃を受けたとき、自分の周りでパイプがシュウシュウと音を立てながらくねっているのを見て、恐怖を感じたといいます。
彼は避難センターで1週間を過ごし、仕事に復帰するために上司から呼び出しがかかるのを待っていました。
呼び出しの電話があったとき、彼は間髪入れずに「はいっ」と答えたのです。
呼び出しに当たっては、当然のことながら、妻帯者で子供のいる作業員に対しては、高濃度の放射線下で作業をさせるべきではない、という空気もあったのですが、結局は、誰にでも等しく呼び出しがかかったのです。
福島第一原発の運転者である東京電力の下請け作業員として、彼と同僚は雇用の重層下請け構造の中に置かれているのです。
東京電力のフルタイムの従業員のほとんどが、大卒のホワイトカラーで、よりよい賃金と労働条件を与えられています。
核のクライシスの時に行方をくらませて、国中の笑いものになった社長、清水正孝ら東電の幹部連中は、デスクワーク専門のインテリと考えられています。
こうした人たちは、実際に原発を動かしているブルーカラーと違って、“船頭多くして山に登る”ような連中です。
「清水社長は、今の今まで、現場で仕事をしたことなど一度もないし、どんな問題の解決にも直面したことがないので、いざ重大な問題が起こってみると、本能的に逃げ出すことしかできなかったのです」と渡辺さんは言います。
渡辺さんは、この社会的に不名誉なボスを軽蔑しているのではなく、むしろ同情さえしているのです。
「あなた方記者さんたちが、あの人を追い詰めたりすれば、自殺してしまうかもしれない」と話しています。
「最初の何日かは、原発から吐き出される致死量の放射能の毒ガスに勇敢に立ち向かっていった対価として、大金をもらいました」と渡辺さん。
「(原発が本当に危なかったときは)1日で100ミリシーベルトも被曝しながらの作業ですから、2~3日しか働けない。だから、1日で1ヶ月分の給料をもらわないと合わないのです」と。
「会社側は、作業員たちが将来、白血病や何らかのガンになっても『補償、補償』と言わせないために、十分な賃金を払って黙らせているのです。でも、私は契約社員ではなく正規雇用ですので健康保険があります」と渡辺さん。
渡辺さんは、チェルノブイリ以来、世界で最も酷い核災害なのだから、もう安定領域に入ったとか、そうでないとか、線を引くのは早すぎる、と言います。
先週、政府は、来年1月までに収束させるという工程表はきちんと管理されており、順調に進んでいる、と発表しました。
しかし、いまだに1時間当たり10億ベクレルという放射性物質が放出され続けており、何より、東電によれば、3つの原子炉のウラン燃料の状態がわからない、とまで言います。
「核燃料は確かに溶けています。
でも、格納容器を突き抜けているかどうかは、私たちも分りません」と渡辺さんは言います。
「核燃料は原子炉の下にあることは確かです」と渡辺さんは言いました。
「もし核燃料がメルトアウト(格納容器を突き破って下まで抜ける事態)してしまっていて、その下の水に触れることがあれば、それは本当に重大局面になります。
技術者たちは、そうならないように必死で作業を続けています」と語ってくれました。
研究者たちは、すでに200万人が暮らす福島県に到着しており、この地における放射能の影響について計測を開始しました。
ティム・ムソー博士(Tim Mousseau: ウクライナのチェルノブイリ原発周辺の放射能汚染地域の調査に10年以上を費やしたサウスカロライナ大学の生物科学者)は先週、そこにいました。
「私たちが言えることは、長期被曝すれば、長期間の健康上の重大な影響が出る恐れがある、ということです」と遠藤さんは言います。
この先、何が起ころうと、渡辺さんは結婚の望みを捨てたと言います。
「私は、彼女に自分とともに人生を歩んで欲しい、と頼むことはできませんでした」。
「もし私が彼女に私の仕事のことを話したら、私の体のことを心配するでしょうし、生まれてくる子供に何か起こるかもしれないと心配になるでしょう。
ですので、しまいには私のやっていることを隠しておくことができなくなるからです」。
なぜ人は、ときには死をもたらすかもしれないほどの危険な仕事をするのでしょうか。
渡辺さんのような人がする場合には、そのことは国や社会のための義務だと見なすのかもしれません。
間違いなくその中には、強がりだったり、勇気の誇示だったりする要素はあるでしょう。
彼は自分たちのことを、敵の侵入を防ぐ最後の守りと見なしていた戦時中のカミカゼ特攻隊になぞらえることがあるようです。
彼の理由が何であれ、渡辺さんは、この電力会社を運営している幹部の男たちよりずっと、人類に対する深い関心、ユーモア、限りない謙虚さを持っています。
およそ、若い事務員と同じ手取りの給料のせいで、彼と彼の仕事仲間は、ごく当たり前の普通の生活をするという望みも犠牲にしているのです。
彼は菅首相、佐藤福島県知事、東電の社長にさえ一度も会ったことがありません。
彼は、子供を持つことは決してないだろうし、若死にするかも知れません。
別の世界であったなら、などと言うと渡辺さんに笑われるかもしれませんが、彼はウォールストリートのトレーダーとして高給を手に入れていたのかも知れません。
「退職するときは、たぶんペンとタオルをもらいます」。
「それが私の仕事の値段です」と渡辺さんは言いました。
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