斜めに

社会を斜めに見ると裏が見える?

映画「Fukushima50」、営利目的だ・・・本当の英雄は

2020-03-12 15:10:22 | 政治
幾度も繰り返すが、福島県人にとって、「Fukushima50」は英雄ではない。商用に「英雄を創作」しているだけ。
東電の事故原発が発生して、国内の外国人は母国からの避難勧告で去った。知っていますか、原発には多くの外国人技師もいたのです。誰も残らなかった。そういう意味では残された職員は逃げずにやったとは言える。これ以上言うまい。
事故後、東京が本社の記者らも本社の指示で県外に去った、と県民入っている。ただ、地元新聞2社と民放テレビ4局の記者は残って、原発事故や津波被災の取材の当たっていた。でも、原発のある双葉地区へは入いれない。というの、地元土地観のある局が原発を見渡せる高地へテレビカメラを設置するなどで、その映像電波を全国に送った。かなり危険であったろう。
また、消防団員なども我が家を顧みず多くが救助に当たった。残された医療関係者もそうだ。
このような人々が、真実の英雄だ。しかし、映画にはしないだろう。
残って沈静化に当たった『「Fukushima50」の英雄』作りより、「原発は安全」ばかりを言い、地震直後に「原発は停止した」と安心させることを言いながら、危険が悪化の状況の真実を告げずに、最後まで「海水注水を認めなかった」東電幹部の罪を裁く映画を作るべきだ。
この映画で「英雄気取り」を認めるなら、国民の多くが事故処理を正当と思うだろう。事故の真実の解明は永遠に不可能になる。
いまもって、東電への訴訟はやんでいないことからも、この映画は事故の真実を語っていないのだ。