皿山2丁目の北側の分岐路に桜のある余剰地があります。
ここには野間村の分村であった皿山に野間村から
道路が整備された時の更正の碑が建てられています。
昭和7年に起工して、翌8年に竣工しています。
途中の野間大池は太平洋戦争時には
南方戦線での戦闘を想定した軍事演習がおこなわれたような地勢で、
言わばジャングルのような状況だったわけで、
野間焼の製品搬出にとっては道路更正は悲願だったと思われます。
土地寄付者の芳名の中に小林、安永、吉原、岡本、高尾など
往時の製陶業者の名前が見えます。
また、博多で陶器を販売していた下沢商店(はくせん)の名前も見えます。
この碑の存在により、野間焼の製造・販売の両者で市に働きがけして
道路整備がおこなわれたことが考えられます。