ささら三八(古今勇人伝)
「笹野才蔵」とほぼ同じ疫病(天然痘、疱瘡)を祓うヒーローに「ささら三八(佐々良三八ほか)」がいます。
福岡周辺では壱岐や豊前地域では明治期から戦前頃まで
家の玄関口に「ささら三八」のお札を貼って疫病除けを願う習慣があったそうです。
「ささら三八」信仰は全国的なものであったっようです。
佐々良三八郎のお札_長野市立博物館
「ささら三八」信仰には一つのストーリーが付随します。
佐々良三八は戦国の武士で名護屋九右衛門の家来の一人で
福岡に赴いた時、犬に囲まれて困っている男を助けたら助けた男が
疱瘡神(天然痘や水疱瘡の神様)で、犬(犬は式神か?筆者註)から助けて下さったお礼に
あなたの家には二度と出入りしませんといった事から
各地で「佐々良三八の宿」や「三八の家」と紙や木に彫り吊り下げるんだと云う
典拠;疱瘡神と簓三八(ささらさんぱち)の宿
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3821.html
福岡がその舞台であることが面白いところです。
古代の天然痘は大宰府から大流行しました。
そのことと関わるのでしょうか?
肝心なところはそこではありません。
このストーリーは「蘇民将来」譚の本歌取であることが重要です。
蘇民将来
旅の途中で宿を乞うた武塔神を裕福な弟の巨旦将来は断り、
貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。
後に再訪した武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて皆殺しにして滅ぼした。
武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、
以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。
除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。
(原文;「備後国風土記」和銅6年(713)の逸文)
典拠;wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%B0%91%E5%B0%86%E6%9D%A5
京都祇園祭の最も最後に行われる行事が境内にある疫神社の「蘇民将来命」への祭祀です。
祇園祭の本質は都市を脅かす疫病などの厄禍を祓う御霊会であり
「茅の輪くぐり」や「ちまき」、「蘇民将来守り」の頒布などは
その効力を個々人に分け与える行為としておこなわれています。
「笹野才蔵」や「ささら三八」が疫病除けキャラクターとしてプロモートされ、
お札や土人形が大流行して地方に広がったものと考えられます。