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俳句には大きく分けて「一物仕立て(いちぶつじたて)」と「取り合わせ(と
りあわせ)」の2つがあります。
①「一物仕立て」は、1つの季語に集中してその動作や状態を詠んだもので、
句中に切れがなく、一句一賞と云われるものを典型的な一物仕立てと云います。
代表例としては、
行春を近江の人とおしみける(芭蕉) があります。
② しかし、難しいのが、二句一章でも一物仕立てに分類される句があること
です。切れはあるが「形だけ」の切れで、内容は繋がっているものも一物仕立
てだと云うのです。
代表例は
朝がほや一輪深き淵の色(蕪村) 「や」で切れはありますが
確かに「朝顔」だけを詠んでいますよね。
この①②以外の句が取り合わせで、取り合わせにも③句中に切れがあり、2つ
のことを2つに分けて詠んだものと、
代表例として
降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男) があり、
④の取り合わせとしては、切れはなさそうに見えるが、隠れた切れがあり、2
つのことを1つで詠んでいる句もあります。
代表例として
六月の雨さだめなき火桶かな(石田波郷) ですって。あ~
難しいwこの句の隠れた切れは、「さだめなき」の後です。
で、難しいのはどっちかと云うと、①②の「一物仕立て」です。何故難しいと
言われているかと云うと、俳句のダメダメに「類想句」と云う概念があり、過
去に多く詠まれているとか、誰でも思いつきそうな句、分かり易く言えば俳句
では「あるある!」はダメなのです。一物仕立てで、季語だけを描写しようと
すると「理屈っぽい句」になったり、類想ど真ん中の「ありきたりな句」にな
ってしまうのです。長々と書いてきましたが、なにが言いたいかと云うと、私
の過去の入選句に「一物仕立て」があるかどうか探してみました。多くの我々
のような素人俳人は「一物仕立ての句が詠みたい」と言いながら「難しい」と
諦めて、取り合わせに走ってしまいます。
過去の入選作で、これは一物仕立てと云えるのは、2020年の世界6月号で池田
澄子先生に取っていただいた
網戸抜けリビングも抜け春の風 ⑦パパ
と、同10月号の
風船は吹き抜けの天辺にをり ⑦パパ
同じく、2021年世界9月号の
S字S字の蛇真っ直ぐに泳ぐ ⑦パパ
くらいしかないような気がする。全部池田澄子先生だ。これは今後の投句のヒン
トかも。夏井いつき先生の選で一物仕立ては、鮫で地を貰ったこれ、一物仕立て
よね? これくらいだわ。
やはり小便臭いじゃないか鮫は ⑦パパ
切れもなく、1つのことだけを言っているので。
↓ ラインスタンプ ➜ 購入画面
確実に鳴門の大渦以上の渦に飲み込まれます。
類想を避けた一物仕立てってかなり難しいと思います。
>思います。
全くその通りで、私も「一物仕立て」で詠もう
とすると類想沼にはまるのですが、締切ギリギ
リの自棄のやん八句とか、素直な写生句を詠ん
でみたら池田先生に拾ってもらったりです。
一物仕立ては我々素人は、自棄のやん八か偶然
の産物で、意識して作ろうとすると沼に溺れて
しまうようです。
一物仕立ては どうしても夏休みに一行日記みたいになってしまいます
でも読んでいいなあと思う一物仕立てはたくさんありますよね
よう詠まんかも(笑)類想以前に、『・・・で?』って突っ込まれそうじゃわ~!
こうして並べてみると、やっぱり入選するだけあって個性的な句ばかりですね♪
昨日は無事に句会行ってきましたよ~!
そして、まさかの入賞しました(^^)/
お題が『ほっ! / えっ!』
だったのですが、勉強句会『小春』に出してるやつがぴったりじゃったので季語だけ変えて出した(笑)
なので、勉強句会の評価終わってから記事書きますね~(*´艸`)
そして、小春にはその句は出せなくなった件(笑)
>かといって取り合わせが簡単というわけでは
>ありませんが
おっしゃる通りです。一物仕立ては「類想」との
戦い。取り合わせは「近くないか」「遠くないか」
「季語が動かないか」が、とても気になるので、
やはりどちらも難しい。
でもね、還暦過ぎてこんなに頭を使って、組長風
に言えば「ボケ防止の手段」に出会えたことが楽
しい、嬉しいですよね。
前に張り出される「入選7句」に入ったんだ
良いな〜 いや、本当におめでとう。
>そして、小春にはその句は出せなくなった件(笑)
ホンマじゃ、笑う笑う、大笑いじゃし。でも句会
ライブでの入選の方が嬉しいよね。
最初の頃、なかなか人になれなかったが、辞めず
にずっとついてきてくれたかたちゃんが大好き。
記事、楽しみにしてるえ!
おそらく、⑦パパさんはこのサイトから引用されたのではないでしょうか。(間違っていたらごめんなさい。)
このサイトの回答者の方の意見に違和感を感じたので私なりの解釈を述べます。
以下補足引用
>六月の雨さだめなき/火桶かな(石田波郷)
>「六月の雨さだめなき」のあとに切れが隠れています。
引用終わり
この句は「隠れた切れ」によってではなく、明らかに「六月の雨」で切れていると思います。
理由は「さだめなき」が連体形だからです。
もしも「火桶」の前に切れを作るならば「さだめなし」とすべきです。
六月の雨/さだめなき火桶かな
次の例。
以下補足引用
>「遠山に日の当たりたる」のあとに切れが隠れています。
>例 遠山に日の当たりたる/枯れ野かな(高浜虚子)
引用終わり
この句も同様。
「当たりたる」は連体形。
「枯れ野」にかかります。
取り合わせ上の区分をあげるならば、
「遠山に/日の当たりたる枯れ野かな」
となるのではないでしょうか。
また、回答者のこの言葉が気になりました。
以下引用
>季語は一つでじゅうぶんです。
>「降る雪」 「六月の雨」 「枯れ野」 「火桶」も季語なのですが、
>「六月の雨」中心ですから、不要なのは「火桶」です。
季語は一つで「じゅうぶん」とは。
この方の季語に向きあう心構えに疑問を感じました。
「六月の雨」中心説についても、安易に「火桶」が不要だと言い切れるでしょうか。
「六月の雨」は体言で軽く切れています。しかし、「火桶」は「火桶かな」と詠嘆されています。どちらが強いでしょうか。
あくまでも私の意見です。
ご参考までに。
そこのサイトは初めてみました。僕は長谷川櫂
さんの文章を引用しました。是非ご覧ください。
https://gokoo.main.jp/001/?p=7409
④で形の上の「切れ」は仰るように「六月の雨」
に見えますが、内容は「さだめなき」にかかって
いますし、「さだめなし」にすると三段切れで
す。
また、私は虚子の句を引用として挙げていません
ねこひこさんが貼り付けられたサイトの回答者の
意見はたしかに変です。
私は長谷川櫂さんの解説に共感して引用しました。
てっきり、このサイトのやり取りを見られたのかと思って、
それを前提に話を進めてしまって申し訳なかったです。
特に後半の句は⑦パパさんのブログには取り上げられていなかったですよね。
引用元は違っていたとはいえ、⑦パパさんと長谷川櫂さんを否定するような意見をしてしまったこと、嫌な気持ちにさせてしまったらごめんなさい。
その上で
六月の雨さだめなき火桶かな
の三段切れについてなのですが、
もしも、「さだめなき」で(隠れた)切れがあるとしたら
「さだめなし」と終止形にしなくても
六月の雨/さだめなき/火桶かな
というかたちになると思うのです。
これが三段切れになるかというと、そうではない気がして。
仮に、「さだめなし」としてみます。
「六月の雨」という名詞のあとに「さだめなし」という述語が続いているので、
「さだめなし」は「六月の雨」にかかり、⑦パパさんのおっしゃる解釈になると思います。
六月の雨さだめなし/火桶かな
ですが、この句は「さだめなき」となっているので、どうしても「火桶」にかかっているように感じるのです。
六月の雨/さだめなき火桶かな
長谷川櫂さんの意見に歯向かうなど恐れ多いとは思いますが、今一つ納得できません。
マウントを取ろうとか、私の方が正しいとか思っているのではないのだけはわかってください。
こういう議論をできる場が無いので、少しうれしいです。
月に2回、野良古さんの夏雲システムを利用して
「広ブロ俳句部勉強句会」で、こういう議論もし
ています。参加されませんか?
次回は11日に始まりますので、8日までにコメ
ント欄にメアドを送ってくだされば(当然アップ
せずに見ます)参加できるようアカウントを作り
パスワードとともに返信しますよ。