21世紀最初のクリスマスを迎えた渋谷はひどいお祭り騒ぎだった。
ハチ公口の改札口のその先、センター街に通じるスクランブル交差点には人が溢れかえっていた。
爆音で流れるクリスマスソングが空で合唱している。
夏の田んぼでよくみるカエルの合唱のようだった。
イルミネーションがともり始め、青や緑、黄色の看板が光り出す。
叫び声に近い笑い声は、祭りのどんちゃん騒ぎのようだった。
さすがにこれだけ混みあっていると会話もままならない。
「すごいね」
「ほんとすごいね」
私が彼の左手を強く握り、彼もまた握り返す。
どちらかがこの手を離したら私たちはすぐにはぐれてしまうだろう。
17歳の私たちは硬く手を握り合って渋谷の街を歩く。
CDショップで流行りのCDを視聴。
ヘッドホンをそれぞれ片耳に当てて目を閉じると、音楽の向こう側に彼の体温を感じる。
音楽聞いてる横顔かっこいい、なんて見てると、不意に目が合ってしまってヘッドホンひとつ分の距離の近さに驚く。
彼はこのころMr.Childrenが好きで、1人になるといつもMDウォークマン繋げたイヤホンで聴いていた。
昨夏に発売されたベスト盤を2人で視聴していた。
「この曲聴いたことある。ドラマ見てた」
「『Everything (it's you)』ね。いいよね」
「よく浮気の歌って言われてるけど、俺はもっと単純で純粋な曲だと思うんだよなあ」
「どういうこと?」
「ほら、『愛するべき人よ』ってあったけどさ、これ特定の誰かじゃなくて、もっとこう……」
片方の耳にイヤホンを、片方の耳で彼の声を聴く。
彼が真剣に話す横顔を見ていた。
「ん?」
「なんでもない」
ただ隣に彼がいる、それだけで心は満ち足りた。
これから先、私たちには果てしない未来があって、それを信じてれば何も怖くなかった。
井の頭通りまで来ると、混雑も少し落ち着いていた。
道端のインテリアショップのショーウインドーに飾られた赤い椅子に足を止める。
「あれいいな」
彼が示した先には2人用くらいのダイニングテーブルと、背もたれと座面が赤く塗られた木の椅子が2つあった。
「あの赤い椅子?」
丸まった角が可愛らしくて、あたたかい色の照明に照らされていた。
「あんな椅子がお部屋にあったらね」
「うん、すてきだと思う」
ショーウインドーに私たちの顔が反射して、私と彼が2つの赤い椅子に座っているように見えた。
「あの椅子に座ってなにする?」
「テスト勉強?」
「もうちょっとおしゃれなことしようよ」
彼は私の方を見て、少し考えてから言った。
「じゃあ、日曜日の朝にあそこで朝ごはん食べる」
「いいね」
「何食べる?」
「フレンチトーストがいいな」
食べ物の話題になったとき、2人同時にお腹の音が鳴った。
一瞬目をあわせて、その次の一瞬に笑っていた。
何度握りなおしたかわからない手を、もう一度気づかれないように握りなおした。
今はまだ高校2年生だけど、3年生になったら大学受験だ。
来年、ふたりで同じ大学を受けよう。
再来年、ふたりで部屋を借りて、一緒に住もう。
そしていつか結婚しよう。
それまでずっと他愛のないおしゃべりを続けよう。
自転車に乗って夕日を眺めて、ヘッドホンを分け合いながらCDを聴こう。
たまに少し大胆にキスを迫ろう。
そして日曜日の朝にフレンチトーストを食べよう。
ショーウインドーの中には、未来が照らされていた。
10年先も20年先もずっとそばにいたい。
一緒に生きていきたい。
それはあまりにシンプルな未来。
その手は、翌年の夏に離した。
どちらが先に離したか、というよりもどちらも同時に手離して、そしてつなぎなおされることはなかった。
あの赤い椅子があれからどうなったのか知らない。
誰か別のカップルが購入して、オシャレな部屋に置いたのかもしれない。
そこでテスト勉強をしたもかもしれないし、あるいはMr.ChildrenのCDでも聴いたのかもしれない。
大胆なキスを迫ったり、フレンチトーストを食べたり、あるいはそこでプロポーズでもされていたのかもしれない。
21世紀と20年くらい経って、渋谷の街も大きく変貌を遂げた。
再開発に次ぐ再開発は、古い記憶を過去へ過去へ追いやるように、新しい渋谷を作り上げた。
あのCDショップもドラッグストアもはない。
インテリアショップはいつの間にか閉店していた。
変貌を遂げるこの街に立つたびに、胸の奥が少し痛くなる。
私たちが交わした約束が、どれほど無責任なものだったか。
夢見た未来はシンプルすぎて、消えてしまった。
この記憶もいつか断片的になって消えてしまうのだろう。
ならばひとつだけ、覚えておく。
21世紀最初のクリスマス、渋谷の街の片隅で、恋をしていた。
純粋な恋をしていた。
ハチ公口の改札口のその先、センター街に通じるスクランブル交差点には人が溢れかえっていた。
爆音で流れるクリスマスソングが空で合唱している。
夏の田んぼでよくみるカエルの合唱のようだった。
イルミネーションがともり始め、青や緑、黄色の看板が光り出す。
叫び声に近い笑い声は、祭りのどんちゃん騒ぎのようだった。
さすがにこれだけ混みあっていると会話もままならない。
「すごいね」
「ほんとすごいね」
私が彼の左手を強く握り、彼もまた握り返す。
どちらかがこの手を離したら私たちはすぐにはぐれてしまうだろう。
17歳の私たちは硬く手を握り合って渋谷の街を歩く。
CDショップで流行りのCDを視聴。
ヘッドホンをそれぞれ片耳に当てて目を閉じると、音楽の向こう側に彼の体温を感じる。
音楽聞いてる横顔かっこいい、なんて見てると、不意に目が合ってしまってヘッドホンひとつ分の距離の近さに驚く。
彼はこのころMr.Childrenが好きで、1人になるといつもMDウォークマン繋げたイヤホンで聴いていた。
昨夏に発売されたベスト盤を2人で視聴していた。
「この曲聴いたことある。ドラマ見てた」
「『Everything (it's you)』ね。いいよね」
「よく浮気の歌って言われてるけど、俺はもっと単純で純粋な曲だと思うんだよなあ」
「どういうこと?」
「ほら、『愛するべき人よ』ってあったけどさ、これ特定の誰かじゃなくて、もっとこう……」
片方の耳にイヤホンを、片方の耳で彼の声を聴く。
彼が真剣に話す横顔を見ていた。
「ん?」
「なんでもない」
ただ隣に彼がいる、それだけで心は満ち足りた。
これから先、私たちには果てしない未来があって、それを信じてれば何も怖くなかった。
井の頭通りまで来ると、混雑も少し落ち着いていた。
道端のインテリアショップのショーウインドーに飾られた赤い椅子に足を止める。
「あれいいな」
彼が示した先には2人用くらいのダイニングテーブルと、背もたれと座面が赤く塗られた木の椅子が2つあった。
「あの赤い椅子?」
丸まった角が可愛らしくて、あたたかい色の照明に照らされていた。
「あんな椅子がお部屋にあったらね」
「うん、すてきだと思う」
ショーウインドーに私たちの顔が反射して、私と彼が2つの赤い椅子に座っているように見えた。
「あの椅子に座ってなにする?」
「テスト勉強?」
「もうちょっとおしゃれなことしようよ」
彼は私の方を見て、少し考えてから言った。
「じゃあ、日曜日の朝にあそこで朝ごはん食べる」
「いいね」
「何食べる?」
「フレンチトーストがいいな」
食べ物の話題になったとき、2人同時にお腹の音が鳴った。
一瞬目をあわせて、その次の一瞬に笑っていた。
何度握りなおしたかわからない手を、もう一度気づかれないように握りなおした。
今はまだ高校2年生だけど、3年生になったら大学受験だ。
来年、ふたりで同じ大学を受けよう。
再来年、ふたりで部屋を借りて、一緒に住もう。
そしていつか結婚しよう。
それまでずっと他愛のないおしゃべりを続けよう。
自転車に乗って夕日を眺めて、ヘッドホンを分け合いながらCDを聴こう。
たまに少し大胆にキスを迫ろう。
そして日曜日の朝にフレンチトーストを食べよう。
ショーウインドーの中には、未来が照らされていた。
10年先も20年先もずっとそばにいたい。
一緒に生きていきたい。
それはあまりにシンプルな未来。
その手は、翌年の夏に離した。
どちらが先に離したか、というよりもどちらも同時に手離して、そしてつなぎなおされることはなかった。
あの赤い椅子があれからどうなったのか知らない。
誰か別のカップルが購入して、オシャレな部屋に置いたのかもしれない。
そこでテスト勉強をしたもかもしれないし、あるいはMr.ChildrenのCDでも聴いたのかもしれない。
大胆なキスを迫ったり、フレンチトーストを食べたり、あるいはそこでプロポーズでもされていたのかもしれない。
21世紀と20年くらい経って、渋谷の街も大きく変貌を遂げた。
再開発に次ぐ再開発は、古い記憶を過去へ過去へ追いやるように、新しい渋谷を作り上げた。
あのCDショップもドラッグストアもはない。
インテリアショップはいつの間にか閉店していた。
変貌を遂げるこの街に立つたびに、胸の奥が少し痛くなる。
私たちが交わした約束が、どれほど無責任なものだったか。
夢見た未来はシンプルすぎて、消えてしまった。
この記憶もいつか断片的になって消えてしまうのだろう。
ならばひとつだけ、覚えておく。
21世紀最初のクリスマス、渋谷の街の片隅で、恋をしていた。
純粋な恋をしていた。
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