comico作品、完結作品のご紹介。
というよりつい最近、2015年8月2日で完結した作品ですが。
wolf_Dさん『マヤのマンション』
こちらの作品がとにかく面白かったんです。
1.プロローグ 『ある街、ある少女』
とある街のとあるマンションで暮らしているマヤ。
物語は周囲の人々が彼女のことを語るシーンから始まります。
テオやエリンが言っている彼女とはこの子。
「そんな彼女の話がはじまります」
+++++++
今でこそ新連載は予告からはじまるようになりましたが、『マヤのマンション』が開始した当時に、こうしたプロローグが始まるのは珍しかったような気がします。
タイトル画像を含めたすべての伏線が終盤で回収されます。
2.物語のはじまり。
第1話 『私の名前はマヤ?』は、少女が何やら悩んでいる様子ではじまります。
「エイダン」という人物からメモにより、外に出ないように指示を受けていたマヤですが、溜まった洗濯物に我慢がならず、部屋の外に出てしまいます。
そこで会ったのはテオ。
様子のおかしいマヤに不思議がるテオ。
すると暗闇の中のいくつか色のある吹き出しが言葉を発し、まもなくマヤの様子がさらにおかしくなります。
そして現れたのが、ユリアという人物。
マヤと同じ背格好、というよりマヤに何かが乗り移ったような様子ですが、言動も性格もまるで違うようです。
しかし突然頭痛を訴えるユリア。
「ムリに交代すると頭がすっごく痛くなるんだよ!」
テオとマヤは初対面のようでしたが、テオとユリアは顔見知りの様子。
雑談をしたあとユリアは自室に戻りました、が。
「エイダン!さっさと出てこい!」
叫んだあと、体から魂が抜けるようにマヤとは異なる服装の人物が登場します。
彼女が向かった先にはエイダンとソフィーがいました。
何やら揉めるエイダン、ユリア、ソフィー。
しかし彼らはどこにいるのでしょうか。
それは倒れこんでるマヤのモノローグから断片的にわかります。
「一人暮らしをしていますが、ルームメイトがいます」
マヤは何やら夢を見ている様子。
紫色の建物です。
そんなマヤはさておき揉めてる3人。
しかしエイダンが言います。
「光の座が空いてるだろ。あそこに誰もいないと、肉体は意識を失ってしまう」
エイダンは3人の輪から外れていたマヤに声をかけ、光の座に立つよう命じます。
このときマヤが認識しているのはエイダンの声だけです。
光の座に立ち、エイダンたちに見守られるマヤ。
プロローグに登場した3色のメモを書いています。
それを眺めながらエイダンのモノローグ。
「計画どおりいけば混乱はおさまるはず」
交代、光の座などキーワードがいくつか登場しました。
『24人のビリーミリガン』を読んだことのある方ならここで勘づくところです。
これは解離性人格障害、俗に言う多重人格の話。
タイトルである『マヤのマンション』はマヤの心の中、ルームメイトとは他の人格たちをあらわしています。
しかしマヤはまだ状況をわかっていない様子。
心の部屋で見る夢の中に紫色のマンションを見つけて、中に入ろうとすると、突然暗闇に襲われます。
そのころ、光の座、外の世界ではユリアに異変が起きていました。
テオとユリアの恋、ここからそれぞれの物語が動き始めます。
エイダンの計画とは?
ソフィーは何を考えている?
「トイレが嫌い」とは?
ユリアとテオの恋の行方は?
マヤの夢に出てくるマンションは?
マヤはどうなる?
様々な疑問が浮かぶ起承転結の起の部分。
心の部屋と、外の現実世界。
両者がリンクしながら進行し、謎が丁寧に解き明かされていきます。
伏線に過不足なく、また忘れたころのタイミングで思い出させる(回収する)、このストーリー相当練られていたのではないかとも思います。
また「光の座」「スポット」など、前述の『24人のビリーミリガン』に共通する部分があります。
世界的に有名なダニエル・キイスの著作です。
『マヤのマンション』で描かれる解離性人格障害がビリーミリガンに共通している部分だけであったら、話に既視感を感じてそれほど引き込まれなかったと思います。
しかしプラスアルファがあった。
光の座以外の心象風景が描かれていた。
それが毎週日曜、『マヤのマンション』の更新を楽しみにしていた人が多かった理由だったのではないかと思います。
何が言いたいかって面白かったんですよ。
週末の夜に作品世界に浸りながら読むのにちょうどいいくらいの面白さであり、読み返したくなる面白さでもあり、なおかつ一気読みしてしまう面白さでした。
3.『色』をフル活用した演出手法
心の部屋と現実世界がリンクしながら物語は進行します。
心の部屋の中ではマヤ、エイダン、ユリア、ソフィーはそれぞれ異なる髪型や服装ですが、光の座に立つとその外見は同じです。
いかんせん同一人物ですからね。
しかし下手すると混乱しかねないこの設定。
「今誰だ?えっ新しい人?」
と楽しむのもいいのですが、『マヤのマンション』では分かりやすく描き分けがされています。
光の座にそれぞれが立っているときの様子がこちら。
ソフィーがインディゴブルー、ユリアがオレンジ、エイダンが緑と影の色が異なってます。
マヤは赤色の影です。
またマヤの顔をしたそれぞれの人格、光の座に立っている人と接するテオやエリン、ウォルター夫妻の影も色分けされます。
この色、1話からずっと繋がっていました。
エリンとテオの色が比較しやすいかと思います。
また1話でマヤが書いていたメモの色や、吹き出しの縁取りもつながっています。
各話末のイラストに各人格の説明会がついています。
「カラー連載ならではの手法だなあ」と唸らされました。
白黒でもできなくはないのでしょうが、あまり複雑になると混乱していて分かりにくくなっていたかと思います。
分かりやすさはもちろんですが、この色の演出、この作品を楽しむ視点のひとつになります。
2枚目左下、赤でも青でも緑でもオレンジでもない水色があります。
また、マヤが夢の中でみているマンションは紫色です。
いったい何を意味しているのか、この謎は後半になると解けます。
ちなみに22話から26話にかけて描かれるソフィーとエイダン。
色分けどころか線画も二人の心象風景を象徴しています。
歪みがあるのがまた秀逸。
ここ以降ネタバレ注意
4.最適な結末
冒頭で述べたとおり、『マヤのマンション』は2015年8月に完結しています。
ごく最近ですが、この時期がなかなかどうして長期作品の打ち切りがなされた時期だったり(サクオブも終了とか発狂したわい)、相当量の新連載がはじまったり、はたまたスキャンダラスな事件が起きていたり。
そんな時期と重なったせいもあって
「マヤも打ち切り?!順位低くないのになんでなんで!」
の声も少なくなかったと思います。
が、あくまで私個人の考えですが。
『マヤのマンション』は、「それなりに」大団円の完結を迎えた。
そう思っています。
少し完結に至るまでの数話を振り返ってみましょう。
テオ、エリンと共に遊園地を楽しんでいたユリア。
しかしひょんなこと(全然ひょうんでもない)からエイダンが光の座に現れ、ユリアをそこからどかします。
しかし鏡張りのアトラクションで、エイダンは意識を失って倒れてしまいます。
外の世界ではテオとエリンが見守る中、心の世界では大きな変化が描かれました。
例の夢に出てくる紫色のマンションの中に入ってみたマヤは、探索を続ける中、建物の中でなにやら本で埋め尽くされた壁を発見します。
その向こう側に、カミラ、クリス、マヤ・クラビス、3人の人格がいました。
カミラの言動から、主人格はマヤ・クラビスであることが明かされます。
マヤは主人ではありました(エイダンに主人として扱われていた)が、主人格ではありませんでした。
マヤが主人格ではないことが明確になった32話以降、タイトルロゴが変わりました。
これまでは右側に赤マヤの横顔でしたが、33話からは右側に絆創膏をつけた「紫マヤ」と左側に寄り添うような「赤マヤ」がいます。
そして描かれるマンションの窓の数は8つ。
人格の数は前掲のエイダン、ユリア、ソフィー、マヤと併せてこれで8人。
マヤの夢に出てきていた紫色の建物は主人格であるマヤ・クラビスの象徴で、窓は人格の象徴であったことがわかります。
ここから物語は一気に盛り上がり、エイダンのモノローグによって過去のマヤ・クラビスの姿が明かされます。
覚醒前のエイダンは人格として自己同一性を持っており、同じく自己同一性を持った他の人格のことを「隣人」と考えていました。
しかしある日、クリスが起こした傷害事件(外見はマヤクラビスが起こしている)で精神カウンセリングを受けたとき、エイダンは偶然にも「多重人格障害」のことを耳にします。
エイダンは自力でいくつかの情報を集め、そして自分という人格が置かれている状況を把握しました。
「それは自分の置かれた状況に対する完全な近くと完全な理解」
そうして覚醒したエイダンですが、「好ましくない者たち」の扱いに頭を悩ませます。
カミラとクリスです。
そんな2人を[封印した」エイダンでしたが、その行動が逆にふたり、後にカミラの復讐心を煽ってしまいます。
またカミラとクリスを封印したのちも、マヤ・クラビスの混乱は続きました。
マヤ・クラビスが再び混乱しかけたとき、新たな人格が誕生します。
ユリアです。
時間軸を戻し、マヤによって偶発的ながら封印から解放されたカミラ、クリス、マヤ・クラビスの3人。
エイダンへの復讐心に燃えるカミラは、エイダンがいるであろう光の座へ向かいます。
そしてエイダンとカミラが対峙。
カミラもまた覚醒者であることを明かしました。
ところが、ソフィーもまた覚醒を遂げていました。
それは物語中盤のこと、ソフィーの「お屋敷」で感情を露わにするエイダンに会い、エイダンの言動を改めて不思議に思ったことがきっかけだったようです。
落ち着いた物腰のソフィーの働きかけもあって、エイダンとカミラは冷静さを取り戻します。
様子がおかしいのはマヤ。
カミラから「主人格ではない」と言われたことから、ずっとエイダンの言葉に引っ掛かりを感じていました。
エイダンとカミラの闘いがひと段落ついたあと、エイダンがマヤに真相を語ります。
カミラとクリスの封印、ユリアの誕生を経て、マヤ・クラビスは限界であると判断したこと。
主人を休ませている間、誰かが代わりに主人になる必要があったこと。
それが赤い影の名もなき少女であったこと。(
名前がない人格、つまりアイデンティティが確立していない人格です。
それは主人格により近い人格であることを示しています。
(このへんが第1話のタイトルにつながります)
また、エイダンはマヤ・クラビスのために「統合」を目指していたことも明かします。
それがストーリーの中で言葉の端々に出てきていた計画のことでした。
しかしそれは容易なことではなく、1人の覚醒人格でできることではありません。
そのことについてソフィーとユリアは
「私たちってチームのようなもんでしょ?!」
「皆で話し合ったほうがいいと思います」
と自責の念に駆られるエイダンを諭しました。
そしてソフィーはカミラ、クリスも説得したうえで光の座に円卓を据え、そこで専門医に治療を受けることを提案します。
一方、真実を知った「マヤ」は、涙を流しながらエイダンに声をかけます。
「私とっても嬉しかったの」
「名前がなくても、何もわからなくても、私は私だから…そうでしょう?」
そして37話、「マヤ」のモノローグではじまります。
「怖かった戦いは終わりました。覚醒者たちの力のバランスがとれたそうです」
ところで、外の世界はどうなっているのかというと。
エイダン、ソフィー、クリス、カミラが光の座の周縁で話し合いを続けている中で、ユリアが中心に立っていました。
遊園地で意識を失った後、病院で目を覚ましたユリアはテオに真相を打ち明けようとします。
自分のことを知りたいとエイダンに言った「マヤ」は、マヤ・クラビスと共に「人格が別れる前の記憶」をたどることにしました。
「マヤ」自身のアイデンティティを探るためでもあったからです。
2人は紫色のマンションの階下へ降りていきます。
そこで見つけたのは左右の壁にたくさんの絵がかけられた廊下でした。
「右側の壁には光の座で起きていたことが、左側の壁には心の部屋で起きていたことが描かれていました」
『記憶の廊下』は奥へ行けばいくほど過去のことを描いた絵が飾られており、「マヤ」は左側の壁に描かれるそれぞれの人格の誕生の瞬間を遡っていきました。
クリス誕生の絵に添えられた説明をみたとき、ふと右側の絵、つまり現実世界で起きていたことの絵をみると、そこにはおぞましい「おかあさん」という名の絵がありました。
「マヤ」がそれに触れようとしたとき、暗闇から「子どものような手」が声をかけてきました。
「主人の苦痛から生まれた」
「マヤはとても幼くて弱くて」
「だから私が生まれたの」
「マヤを守るために」
しかし暗闇の声が突然攻撃をしてきます。
説得して止めようとするマヤですが、覚醒していない「マヤ」はエイダンやカミラ、ソフィーのような何かを手にする力がありません。
「覚醒は自分自身を知るところからはじまる」
と「マヤ」は自分が誕生した瞬間の絵に目を向けます。
この絵を見た「マヤ」は、自分がよく言っていたある言葉を思い出しました。
「きっと大丈夫よ」
そんな「マヤ」が手にしたのは、暖かなろうそくの光でした。
暗闇を照らし、笑顔で言います。
「もう小さくて弱い子供じゃないから……大丈夫」
暗闇は消え去り、ふたりは光の座へ戻ります。
マヤ・クラビスは中学生くらいの背格好から年相応の姿に成長していました。
光の座ではエイダン、ソフィーたちが出迎えます。
「前よりずっと幸せな場所になりました」
そのころ、光の座の中心ではユリアのところにテオが訪れていました。
ユリアの告白に一度戸惑ったようですが、ユリアを受け入れようと再び会いに来ました。
「友達になろう」
「マヤ」は一体誰だったのか。
最後の一コマで真相が明らかになります。
「FRIEND」、つまり「RED」がこの混乱を「FIN」、終わらせる。
そうとも解釈できるかもしれません。
ともかく『マヤのマンション』は、それぞれの人格がアイデンティティを取り戻した形で、人格統合はせずに共存していく道を歩んでいくことになります。
おそらくこの後マヤは精神科領域での専門的な治療を受けながら、人格の混乱を避け、人生のステージを歩んでいくのだと思います。
というのも題材に扱われている『解離性同一性障害』、通常の治療は多数の人格を1つに統合します。
しかしその統合は必ずしも成功するとは限らず、そこには長い年月と患者の強い忍耐力が必要です。
また各人格に感情的な苦痛が伴い、治療中にトラウマとなった体験の記憶がよみがえり絶望を感じることも少なくないはずです。
感情、ひいては生命そのものの危機的状態に陥ることもあります。
統合が難しい場合は、その人の中の複数の人格同士の関係に協調性をもたせ、正常に機能できる状態にすることを目指します。
完結時の状態がまさに「統合が難しい場合は~」にあたります。
お互いのパワーバランスがとれたという状態ですね。
トラウマになった経験というのは、マヤ・クラビスの場合だとおそらくあの「おかあさん」の絵でしょう。
虐待を受けていたことは容易に想像がつきます。
しかし本当にそれだけでしょうか。
もしかしたらマヤ・クラビスは幼少期に母親からの虐待を受けて、母親を憎んでいたのかもしれません。
ネグレクトを受け、ソフィーのような「勤勉」なお世話をする人を望んだのかもしれません。
幼いころから挫折を味わったがために、エイダンの象徴している感情「知識/思考力」に憧れたのでしょう。
だけど誰も守ってくれないどころか、いじめにあうようにもなっていた。その反抗の手段として得たのがカミラの「怒り/暴力」だったのかもしれません。
8つの人格を統合していくということは、マヤ・クラビス、あるいは読者がこれらの辛い記憶を向き合っていくことです。
それは心の部屋だけでなく光の座でも起こること。
終盤に描かれたエイダンとカミラの闘いの比ではないでしょうし、現実の世界の人たちの葛藤もテオの比ではないと思われます。
カミラの暴走により誰かを傷つけてしまうかもしれません。
エイダンへの気持ちから、例えば知的な男性ととっかえひっかえ寝てしまう、というのもありうるかと思います。
外への影響はもちろん、マヤ・クラビスが外からの影響を受けることも大いに考えられます。
いずれにしてもマヤ・クラビスをはじめ、8つの人格がみな苦しい思いをしていくことが想像に難くありません。
もちろんそうした治療を終えて、平穏な生活を取り戻したという症例も多くあるのですが、果たして読者としてそれを観たいでしょうか。
このまま通院、統合への過程が描かれたとしたら、おそらく途中で「あのとき完結しておけば」と思うことになるかと思います。
マヤ・クラビスとその隣人たちが正常なバランスを取り戻した。
友人たちも帰ってきた。
これからいろんなことがあるだろうけれど、人格同士が協調しあって人生を歩んでいく。
それが『ある街、ある少女』をめぐる物語
それでいいんじゃないんでしょうか。
なので、個人の主観ですがこう思うんです。
いやほんとのところはわからないんですけど。
『マヤのマンション』は、「それなりに」大団円の完結を迎えた。
wolf_D先生の次回作を期待してます!
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