「仕事は人の尊厳に直結する」
上の図は、私の職業に対する考え方の一部をイメージ化したものです。
今回は、「次世代コミュニティーの創出」というテーマで、二回に分けて書くことにしました。
一回目は左側の図です。
この図は、今現在の採用の方式を、まず”職場ありき”を大前提に、各企業が設定した仕事(現場)に適合する人間を採用する仕組みを表しており、既に決めれた”形”に一番適合すると思われる人を、選考によって選ぶというシステムをイメージ化したものです。
各企業が設定した、事務なら事務の、営業なら営業の、製造なら製造の、それぞれの職場(現場)に適合して成果を出すであろう人材を採用し、適合しないまたは成果が出せないであろう人材を不採用とする、二元論的な判断基準で選考するシステムです。
私は、このような仕組みの是非を問うつもりは全くありませんが、これからの職場という概念、職場というコミュニティーの在り方という視点から、次世代の労働市場「次世代コミュニティーの創出」を考えてみました。
この方式は、職場というコミュニティーを企業単位、事業所(職場)単位で区別することになり、その”仲間”に入ることで他と区別され、当の本人も〇〇会社の一員という認識を持つようになり、一つのアイデンティティを形成することになります。
つまり、仕事ではどこに所属している人なのか、という”社会的位置付け”を得ることで、一個人を規定する一つの情報を発信できます。
さらに、そこでどの様な仕事を、どのくらいしているのかという”社会的役割”を発信することによって、その人の能力や志向までもが想像しやすくなるのです。
誰しも、初対面の人と「お仕事は何ですか?」などと質問したり、されたりする経験はあると思いますが、それは他者を認識し、自分も認識してもらうために必要な個人を規定する情報の一つだからです。
例えば、「私は高野です、よろしく。」と言うよりも、「私は、ハローワークで学生の就職支援をしている、高野です。」と伝える方が、私という個人をより規定し、認識してもらいやすくなるという訳です。
もちろん、他にも年齢や住所、出身地に母校、または家族構成や交友関係、さらには趣味など、名前以外に個人を認識し規定させる情報はたくさんありますが、職業を得るということは、それらの情報と同じくらい個人の規定と認識に直結しています。
永い歴史から見ても、ほんの100年も遡れば、人々は職業を自分の名に入れて呼び合っていたのです。大工の〇〇、漁師の△△などです。
ちなみに私の曽祖父は「加治屋の太吉」だったそうですが、今でも「氏名・年齢・職業を明記の上」などと、至る所で職業がつきまとう社会です。
だからこそ、仕事は人の尊厳に関わる重大な要素だと私は考えるのです。
今現在、日本は民主主義国家であり、誰もが人権を認められ、自由意志で好きな仕事に就くことが出来ます。しかし、だからと言って、どんな会社でも「入れて下さい。」「はい、どうぞ。」という訳にはいきません。
一個人が、社会的位置付けや役割を獲得するには、その仕事に適合するような自分になることが要求されます。
つまり、先に形が決まっていて、そこに上手く”はまる”ことの出来る人だけが仕事を獲得するのが今の方式だとも言えるのです。
これから迎えるAIとの共生社会のことを思うと、私は今の採用方式に限界を感じるのです。
人の尊厳に直結するほど大切な仕事を得るために、まず仕事ありきから始まり、誰かが決めた形に適合するよう要求される点、仕事に適合することを良しとし、適合できないことを悪しきとする価値観、その決まった仕事(形式や規定)を打ち壊せない自己抑制、何にも属さないことを不安とし、安定を求める帰属意識などが、今の方式の限界だと、私には思えてくるのです。
勿論、世の中には自分で仕事を創っている人も大勢います。例えば起業して、自分で会社を創ろうとする人は、自身の仕事は自分で組み立てることができまるでしょう。しかし、新たに従業員として誰かを採用する時には、やはり先に仕事を用意して、それに適合できる人を求めるはずです。
私は、この仕組みに変化を加えた新しい労働市場を創りたいと思っています。
それは、一言で表現すると「誰もがアーティスト」です。
その詳細は、次回に・・・