とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

作曲家 イーゴリ・マルケヴィッチ を聞く(その1)

2010年08月07日 | ミュンシュとマルケヴィッチ
マルケヴィチ第1集
・新時代
・シンフォニエッタ へ調
・シネマ序曲
アーネム・フィルハーモニー管弦楽団 クリストファー・リンドン=ギー(指揮)
録音時期:1995-96年 録音方式:デジタル(セッション)

最近作曲家としてのマルケヴィッチのCDがNaxosから出たとの情報を得て調べたら手持ちのMARCOPOLOレーベルのプライスダウンの再発だった。それでもマルケヴィッチに光が当たることはよいことだ。そんなわけでこのところSANYOのラジオ付きICレコーダーICR-RS110Mに手持ち7枚の彼の作品CDを入れ込み通勤・出張の間に聞いている。
彼の作品は29歳で作曲をやめてしまったことからどれもが両大戦の狭間に書かれたものだ。
1937年作(25歳)の「新時代」と名づけられた曲はショスタコの5番の交響曲、バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタのペシミズムの渦巻く時代の最中に時代を飛び越えた斬新な音を生み出していた。まさにモダンな音色は研ぎ澄まされた感性が生み出されたものだろう。
1929年作(17歳)の「シンフォニエッタ」
17歳にして書きえたこのリズムの炸裂はまさしくストラヴィスキーと同根のDNAなのだろう。二人のイゴールと称された意味を解したが、この時代に求められたリズムはラベルの洗練さで、つかの間の平和には彼の秩序の破壊を求めたリズムは1人のイゴールで十分だったのだろう。
しかし今日聴くとこの曲の完成度には驚かされるし、このエネルギーが今こそもとめられても良いのでは。
1931年作(19歳)のシネマ序曲 早熟の天才はこの曲にミュージックコンクレートのさきがけとも言える街の騒音を音楽として取り入れを試みている。



マルケヴィチ:第2集
・愛の歌:1936年
 この曲は彼のオリジナリティーは影を潜めている。聞こえるのはラベルでありスクリャービンである。それらが交じり合いながら交響詩のごとく終わる。鋭敏な感性はファシズムの台頭をまえにつかの間の安らぎを求めたのか?

・イカロスの飛翔 (前奏曲/青少年の試合~知識の目覚め/イカロスは研究のために2羽の鳩を捕える/イカロスは肩に羽をつけ、飛ぼうとする/イカロスは飛翔する/しかし彼は落 下する/イカロスの死)
1932年:おそらく彼の代表作だろう。打楽器を多用した、リズムが主役となった音楽。ストラビンスキーの春の祭典を継承した音楽だが亜流ではなしにオリジナルな感性が光る。これはバルトークに引き継がれていく。演奏会で取り上げられても良い曲なのだが日本での演奏歴はあるのだろうか。一度生を聴いてみたいものだ。
・合奏協奏曲:1930年
新古典主義の作品。なぜ彼はこの時点でストラビンスキーに追随したのだろうか。前年のシフォニエッタとの乖離。流行を追ったのだろうか。

彼は自伝を残して逝った。彼の自伝をまだ読んでいない。指揮者としての才能もさることながら29歳のいわばこれからの時に作曲を絶ってしまった動機が知りたいものだ。

アルンヘム・フィルハーモニー管弦楽団 クリストファー・リンドン=ギー(指揮)
録音時期:1995年、1996年 録音方式:デジタル(セッション)
MARCO POLO (8223666)




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