とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

春うららの天気の下、所沢ミューズへコンサート

2016年02月15日 | 所沢ミューズ

 

  何か気象が変。我が団地の緑道は桃の花が満開、今日(2月14日)樫本大進と好きなピアニストの一人であるリフシッツのソナタのリサイタルを聴きに所沢ミューズに行く。コンサート前の腹ごしらえにプロペ通りの「てんや」に入る。「年金者のグルメ」の定番だ。値段・量・味のバランスが良い。それに企業努力をしている。季節ごとにメニューが変わる。今日は早春天丼と称して「霞ヶ浦のわかさぎ」だった。天ぷら「いもや」のようにベストの選択ではないが、所沢では天ぷら大好き人間にはベターの選択だ。いつもどおりに開場前にミューズ事務所の2階にある音楽書コーナーによると、派手な衣装のジジババが占拠し、大声で(本人たちは耳が遠いのだろう、普通の声と思っているのだろう)しゃべりかつ食事禁止を無視してとても読書コーナーではなかった。我ら団塊世代は多数を良いことにやりたい放題か「他人の振り見てわが身を正せ」と肝に銘じた。

 当日売りが多かったのか、予定より早く開場になった。最近ミューズも営業改善のためか水増しS席が増加した。私の席はS席だが2階の右隅だった。私の隣のご夫婦もコンサートゴーアーなのだろう。チケットを購入した奥さんに向かって旦那が「この席がS席かよ」と、すると奥さんは「そうなのよ、でもA席はもっとひどいところしかないのよ」と言っていたが私もおかしいと思った。正直今日のプログラムはプロコフィエフが邪魔だった。アンコールにバッハを弾いてくれたので、いわゆるドイツ三大Bのソナタを披露してくれた。このプログラムは魅力だったし、リフシッツは好きなピアニストだが私は24日には彼のピアノを聴きにまたミューズにいく。私にとっては2週続けて同じ演奏家を聴くのは初めてのケースだ。

 実力の割にはギャラが安いのか、チケットの値段も、今年ミューズにお初のユンデ・リのチケットが7000円に対して彼のチケットは2500円だ。ピアニストも実力よりは見てくれorお涙頂戴的な物語が必要なのか疑問を感じた。閑話休題

 最初はベートーベン、彼の作品の中でも出だしで聴く者を魅了するのは、運命に次ぐ曲ではと私は思うほど、出だしに集中したが、聴いた席が悪いのか樫本のVnの音が弱すぎた。曲が進むとむしろリフシッツのピアノの響きが良すぎるではと思った。両者の音の融和が取れずにちょっと残念だった。

(私の手持ち)

私のお薦め② アスコーナ音楽祭のLive録音。ハスキルの生き急ぐ熱情の上にグルミヨーの美音のVnが乗る。併せのルガーノでLiveのハスキルのMozartのPf Con No.23も素晴らしい

①は②同様に素晴らしいがスタジオ録音。だが合わせのMozartのソナタは私の推薦。③レコード芸術なる雑誌のご推薦 スタンダードな名盤④1968年ソ連に押しつぶされたプラハの春のコンサートLive

  2番目の曲はソナタNo.2 ベートーヴェンがクロイツェルでなくブラームスが「雨の歌」でないのが今日の樫本大進の本気モードの表れか、樫本の抒情性豊かな音色に、ちょっとリフシッツがやりすぎの感がなくもないが私は満足した。ふと思ったのは①の演奏スタイルに近いと思ったのだが(私の推薦版)。ポカポカ陽気の中で心地よいひと時を過ごした。

 

ブラームス室内楽全集の中の1枚、特に印象に残る演奏ではない③ブラームスのスペシャリストといわれたカッチンのピアノだがスークの良さを邪魔した演奏に思われる。

これは大学の時1枚1000円のステレオLPの最安値だった。ブラームスのヴァイオリン協奏曲が聴きたかったが、正直これがプロの音かと思うほど汚い音色だった。それをライナーノートで宇野某なる評論家は「シゲティーは厳しい精神により音楽に肉薄した」と表現している。いかに原稿料のためとはいえここまで言えるのは詐欺師的な口上だろう。だがソナタのピアノ音色は非常にロマンテイックなおんしょくだ。だからこそシゲティーの汚い音色が際立つ。正直就職してお金が入って協奏曲は買いなおした。

 最後は何とプロコフィエフだった。このプログラム構成はどちらが選んだのかが知りたい。私の好みからすれば、ブラームス、ベートーベンで前半、後半に分け頭にバッハのソナタを入れてほしかった。少なくともプロコフィエフを入れるのであれば前半の頭だろう。コンサーとの余韻がプロコフィエフで吹き飛んでしまった。アンコールがバッハだったのがせめてもの救いだったが。

(私の手持ち)

Vn:David Oistrach Pf:Svjatoslav Richter どんなにか素晴らしい演奏家が演奏しても駄作は駄作だ。しかし当時のプロコフィエフにすれば命がけでわび状代わりにスターリン独裁政権にこの曲をささげたと知るに付け自由にものを言えること、多様な価値観を共有できる社会の大切さを、この曲が示している。その意味ではアベの「あほのミックス」の行く先に待ち受ける、シンゾウ君の衆参同時選挙と、憲法改正は、バカほど怖いものはない。嫌いな曲だが折につけ警鐘の意味で聴くことにしよう。

 

 

 



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