日本の高度成長期の始まった昭和の時代、何の前触れもなく、親父の転勤で現岡山市(当時は西大寺市)に行くことになった。3年間私も、おふくろも、東京の神田での都会生活とは余りにもかけ離れた「西大寺の田舎生活と人間関係」の良い思い出のないまま過ごしてきて月日をおもいだした。3年後またオヤジの転勤で小田原市に引越しした。
その年の「冬のボーナス」時に、またなんの前触れなもなしに、家に「ステレオ」が届いた。これは3年間の西大寺市での生活への音楽好きだった母への親父のお詫びだったのか?
今日のコンサートの「四季」を聞き終えたときに、ふと、とおのむかしに亡くなった母を思い出した。この曲は母の好きな曲だった。母の聞いた曲は、メンバーは変われど演奏団体の名は「イムジチ」だった。
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