先のMy Blog でカラヤンのマスカーニの「我友 フリッツ」にふれ、プッチーニのヴェリズモ・オペラ(verismo opera)としてトスカを上げたが、これは今はやりの「コピペ」でウキペデイアからだが、はたしてトスカやアンドレア・シェニエがあてはまるか疑問に思えた。そもそもヴェリズモの定義は何かだが、一般的にはこれまたウキペディアのコピペだが「ヴェリズモ(伊verismo )は、日本語で真実主義あるいは現実主義とでも訳されるべき一種のリアリズム運動で、19世紀末から20世紀初頭にかけてイタリア散文文学で隆盛した新傾向のことである。」とされている。前置きが長くなったが、ヴェリズモ・オペラ(verismo opera)のウキの記述はトスカをあげるべきでなくむしろ、トスカもシェニエもし歴史・史実劇で市井の庶民の生活にねざした視点からすればプッチーニの代表作は「外套」だろうと思った。そんなわけで手持ちの「外套」を取り出したが、結局三部作全部を見てしまった。
三部作は2007年のメトロポリタン=J.レバイン(NHK-BS)と2008年スカラ座=R.シャイーの聴き比べになった。
結論からいえば、三部作を続けてみるならば、シャイーのDVDがあれば他はいらないのではないか、正直舞台としてつまらぬ、修道女アンジェりカすら外套とジャンニ・・スキッキの間奏曲のように舞台を進めていく推進力は見事だ。また演出のロンコーニの舞台も簡潔な作りで印象的だった。
外套では手持ちの3つとも船長ミケーレ役はファン・ポンスで、彼の当たり役なのだろう、どれも素晴らしい。あえて言えば、1994年のメト盤が推薦。これは発売は2005年だがファン・ポンスとテレサ・ストラータスが、ドミンゴで外套、道化師でパバロッテを向こうに回しまさに四相撲を組む演技も歌も素晴らしい出来なのだが、なぜかポンスもストラータスともに日本ではメジャーな人気が出ないのが不思議だ。
シャイー盤ではルイージのドヴォルスキーが、レヴァイン盤ではジョルジェッタのグレギーナがいまいちだが総合評価はイーブンだ。
修道女アンジェリカは主役はバルバラフリットリで同じだが、これは舞台でスカラが勝る。メトのジャックオブライエンは、この三部作の従来からの固持付け解釈である、ダンテの地獄ー煉獄ー天国をイメージして舞台を作ったと述べているが、どれも魅力はない、写実主義でつまらない。しかも舞台は汚い。正直単独で見るべき舞台でもなく、シャイーのまさにメロディーを奏でる演奏が効果的だった。
ジャンニ・スキッキに関しては、これはシャイー盤のレオ・ヌッチに尽きる。歌、演技ともに彼をおいて現在他に人がいるだろうか。メトのコルベルリとはそれこそ段違いの差がある。
ジャンニ・スキッキについては、あまりにも有名な「私のお父さん」のアリアしか知らずに、何年か前に友人の関係者がプロデュースした舞台を初めて観たときには、こんな楽しいオペラだったんだとそれこそ最後に主役が死ぬのが定番のプッチーニのオペラの例外を楽しんだことを思い出しますが、レオ・ヌッチのまさに独り舞台のごとくに歌も演技も圧倒する凄い舞台だ。
三部作を日本で一挙に公演したことがあるのだろうか、どれもが1時間足らずの作品に、主役級をそれぞれ確保し、舞台装置を3通り作り、幕間に転換するだけのスキルを備えた劇場があるのだろうか、新国立劇場での公演があったのだろうか。
スカラ座、メトだからのなせる技なのだろうか?
『神曲』の地獄篇ー、煉獄篇ー、天国篇の舞台作りを明言したJ.オブライエンの舞台だが、あまりに暗く、センスに欠ける舞台に、好きなレヴァインの音楽も活かされない。
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