華厳寺までの参道が遠かった。小雨の中、参道には茶店が軒を連ねるものの、仏像・仏具を売る店が数件店を開けていただけで、いわゆる茶店はどこも締まっており正直閉口した。
雨で人出のない中では参道をのぼると、厳かな気分になってくる。紅葉は青葉でも美しい。緑の茂みの中から、たぶんイカルと思われるさえずりを聴いた。
広い駐車場には車が1台もなかった。バスを待つのは私を含め3名。雨の中駐車場の片隅のバス待合室で、揖斐駅行きのコミュニティーバスを待った。40分の間ぼけっとして、五月雨の音に耳を傾け、野球グランドほどのダダ広い空間をうつらうつらしながら眺めていると、バスのクラクションに我に返った。バスの中は小学生で満員だったが小学生が席を詰めて大人3-4人ほどの空間を作ってくれた。
バスは保護者の迎えるのある停留所で小学生を下ろしながら進み、途中、養護学校の生徒、中学校の生徒を乗せたり下ろしたりを繰り返し、この地区の通学用のスクールバスが主体で我ら観光客はおまけにすぎないものだと気が付いた。したがって、通学範囲を巡回するようなルートで走り、当初地図上で想定した以上の距離を走り、17時に揖斐駅前に到着した。しかしバス代は30分近く走って200円だった。
養老鉄道電車内のつり広告に、京浜急行とのタイアップ旅行の案内があった、意外な組み合わせに驚きつり広告を読むと、どちらも創業者は「立川裕次郎」とのことで大垣市出身の立川の故郷への思いの強さを感じるも、ある意味では明治時代の日本のエネンルギーの強さを思い知らされた。昨今の「ふるさと納税」の物欲のみにはしる姿に、明治ははるか宇宙の果てに遠ざかった気がした。
大垣は、仕事で何度か訪れたもののいずれも、名古屋の仕事のついで的に訪れ、それこそ、駅から目的地までタクシーでの往復でだけだった。「芭蕉終焉の地」「石田光成居城の地」と消えゆくものの歴史にいつかはじっくり歴史巡りをとおもいつつこの日もかなわなかった。
来た電車に飛び乗り、本日の終点岐阜に戻った。夕食は、腎臓・肝臓・高脂血症の身にはカミサンからおしかりを受けないのは中京地区のでの一人飯は「菜飯田楽」。大体中京地区駅至近にあるのは「鈴乃屋」。(ただし豊橋だけは駅至近のいちょうを利用した。)今回も名鉄岐阜駅にある同店で済ませ一人ホテルで、明日の本体の到着を待った。
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