7月に秋田今野商店様より「温古知新」No.47号をお送りいただいた。例年お盆休みに読まさせていただいたが、今年は猛暑とおふくろの介護も加わり落ち着いて読む時間が取れず、読み終わるのに時間を要した。
社長様の巻頭言で秋田今野商店様が創業100年を迎えられたことを知った。素晴らしいことだ。日経新聞が200年企業を連載している、また東京商工会議所の会報では江戸の老舗を連載している。
企業存続条件が何かが非常に興味をひく。日本は老舗大国だと知った。経営学の学位のない時代に創業した企業が何故かくも多く日本にあるのか。生物学的に言えば種の存続は環境の変化への対応力だが、したがって企業にとっての環境変化への対応力は決して「経営学」から学えないものなのだろう。
今回門外漢の私が興味を引いたのは「共生」だった。論文は栗田先生が清酒醸造における「共生」を論じておられたが、なぜ、日本酒もワインも醤油もお味噌も発酵食品は市場が寡占化され難かったのだろうか。なぜ味覚が多種多様に存在しえたのだろうかに興味が集中した。
私の強引な結論は商品の原材料の元が「共生」でありそれを生み出す企業が経営者と従業員が「共生」しその生産物を消費する社会と企業が「共生」していたと。
日本は戦後の高度成長期でも「共生」という作用ー反作用の関係が存在しつつ、ベクトルの方向性を形成したが、いつしか「効率化」の名のもとに反作用を摘みとって企業も社会も「多様性」を潰して成長神話を築こうとした結果「失われた20年」を迎えた。
企業にしてみれば「多様性」を失った社員構成からは新たな企業活力は産まないのだろう。
今年の10月に名古屋で「生物多様性」の国際条約会議が開かれる。これまたアメリカの大国エゴにより困難な状態だが、目先の利益で「共生」環境を壊し発展途上国から効率的な収奪を行えばその代償は種(人種)の絶滅(戦争)を招く。
いま自分の足元の狭山丘陵の「自然」の中で人間の身勝手から引き起こされた「生物多様性=共生社会」の崩壊が随所で確認できる。
生物多様性条約問題が単なる「植物」の特許権問題に矮小化されていいのだろうか。
「共生」という視点から政治が自然環境問題も人間社会問題も捉え直していく時期にきている。今の政治の貧困は「失われた20年」が確実に「100年」に伸びるし日本の「200年」企業は確実に減少していくだろう。
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