昨日(11月10日)前回 聴いて感激したこともあり、今回もワクワクしながら期待してミューズに向かった。
前回のBlog
所沢ミューズで「鬼才! 天才! ファジル・サイ」を聴く https://blog.goo.ne.jp/yyamamot7493/e/3f8ceba36329eb5897c3684a95efb3cc
オールベートーベンプロの最初の曲は作曲年代順に悲愴。出だしで私は「え!!!これベートーベン?」よく言えばスポーティー、悪く言えば「無茶苦茶」テンポのスサマジー揺れ、強弱の振幅幅の大波・小波。まさにこの後も続く、ピアノは格闘技だ!!!!。
前回の演奏会では、演奏曲目からしてもそもそもが管弦楽の多様な色彩を生かせる曲だったが、今日の演奏プログラムはベートーベンの名曲中の名曲。しかもニックネームの付いた人気曲。したがってこれまでのこされた録音も数多く存在する中で、サイの解釈は、良く言えば、「才気あふれる個性の発露」悪く言えば「目立ちたがり屋の露悪趣味」。私の感想は両者五分・五分といったところ。この演奏を聴くとグレングールドの演奏③が、まっとうに思えた。
(私の手持ち)
①は1968年の録音だが、年代以上に録音の質が悪い②私の推薦:録音・演奏ともにスケールの大きさを感じる演奏 ③今日の演奏を聴くと至極真っ当な演奏と思える。④は(②+③)/2のような演奏 ⑤は古い教科書的演奏
月光は1楽章をあっさりと弾いて、あとは強弱の振幅を激しくテンポも激しく動かすなど、個性?あふれる演奏だが、私にはやりすぎに思えた。おそらくこの演奏を、日本の学校で演奏したら、「楽譜に書かれた記号を理解していない」と怒られてしまうのでは?でも演奏は面白かった。
(私の手持ち)
これも私には②のギレリスの演奏が好ましい。骨格がゆるぎないのがベートヴェンの音楽だと思うし、1楽章をことさらロマンティックに演奏するサービス精神の感じられない真摯な向き合い方も好ましい。
熱情のサイの演奏は今回の白眉だった。奇才ファジル・サイの爆演だった。強弱の対比、テンポの揺れ、どれをとってもありえない演奏だった。おそらく日本の音楽学校の先生だったら、間違いなくジュリアードではなくバークレイ音楽学校を進めたであろう。年に1度ぐらいはこのような演奏を聴くのもよいが、毎回はご遠慮する。
(私の手持ち)
これもやはり私はギレリスの①が推薦。堂々したゆるぎない構成の横綱相撲の演奏。ただし②はは1961年のLive録音で音も悪いし、ギレリスの横綱相撲とは反するスケール感のない演奏。⑤のグルダも面白い。サイの演奏はこの発展系の線上にあるのかな。?
最後に演奏された「告別」自ら名づけられたソナタだが、際の演奏はここまでくると、4つのソナタの思い入れの違いが正直私には理解できなかった。「告別」と付けたベートーベンはパトロンがフランス革命軍によって包囲されたウィーン脱出に際しての別れに「ささげた曲」とされるが、そのような背景はサイの演奏からは微塵も感じられなし、むしろ「熱情」との差異すら感じられない、音色の洪水だった。今日の演奏会は「ベートーベン」を聴いたのではなく、楽譜を読み取ったサイの感性の「音の展覧会」だった。サイの繰り出す1台のピアノからあふれ出る音色の「展覧会」を楽しんだのだと思った。古いヤツだとお思いでしょうが「昭和の人間」にはこれはベートーベンの音楽とは違うものだと思ったのです。
この日のアンコールは下記のとおり
ショパン:ノクターン第2番 op.9-2
サティ:グノシエンヌ第1番
サティが良かった。次回はオールサティプロで聴きたいものだ。
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