儀式化された「10年目」ではなく、もう一度当時の「真実」を見つめる必要があるだろう。また「フクシマ」については、
ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅
がある。
今日が2011年のこの日の出来事の10年目の「記念日」であってはならないことを改めて突き付けてくる。土木工事の終了が「復興」では決してない。ましてや「東京五輪」が震災復興の証などではありえない。何を持もって復興かと問われれば、地域社会の生活が活気付くことだろう。堤防できて、道路ができて、団地が出来て、老人だけが残される社会が復興といえるのか?
今日のニュースを見て、自分が生きている間には、「復興」したといえる状況はおとずれないと思ったりした。
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