とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

花粉飛び交う中を、所沢ミューズにBACHを聴きに

2018年03月26日 | 所沢ミューズ

 昨日(3月25日)、所沢ミューズにコンスタンチン・リフシッツのバッハのパルティータ全曲演奏会に出かけた。本来ならば、昼飯は所沢駅の駅そばだったが、朝食が遅かったことから昼飯をパスしたのだがそれが思いもかけない事態となった。しかもコンサート前に一仕事を抱えていたため、小手指駅に出る羽目になり、バスが休日ダイヤのために本数が減らされ、早めに出て、仕事が早めにかたづいたことも加わり、3時のコンサートに12時前に航空公園駅に着いた。時間つぶしに所沢中央図書館に行った。それから航空公園の中を歩いた。桜が5分咲きか?。それでも日差しがあり、多くの家族ずれでにぎわっていた。

  15時開演、ほぼ満席。私が最初にリフシッツを聴いたのは2010.12.25 同じ所沢ミューズだった。(blog:同日付けであり)その時はゴールドベルグ変奏曲だった。それ以来、グールド信仰者の私にはある種グールドとは相いれない対極にある演奏として「バッハに情念」を入れ込んだ演奏には今もってなじめないものの、惹かれるものを感じそれ以来、所沢ミューズのコンサートには通っていた。

 今回は、バッハの大作 パルティータ全曲演奏だ。全6曲を順番に2曲ずつ演奏して、途中に2度の休憩を入れての演奏だった。正直良い意味で疲れた。緊張感のある演奏で、情念の溢れる演奏だった。しかし後半空腹になりおなかがGoo-と鳴りだし焦った。隣の人は気ずかぬ舞いだったが?恥ずかしい思いをした。そしてアンコールが好きなバルトークのミクロコスモスのNo1&No5だった。次回の演奏はそれこそ、バルトークや、ベルクも入れてほしいと思った。

グレングールド(Pf)の演奏とは対極にあるバッハだったが、最もグールドの演奏は録音年代が1957-63年とバラバラで、同一に論じることはできないが、聞き終わった後の満足感を感じたコンサートだった。

 緊張の連続で正直「音を楽しんだ」感じはないものの、未知の美しさに出会えた喜びはあった。それこそBACH空間の宇宙を楽しんだ。

私の手持ち

カール・リヒター(チェンバロ演奏):旧約聖書的存在だが、正直音は鳴っても楽しみのない演奏で、聴いているときの緊張感で疲れる。演奏時間90:17(1時間47分)

グレングールド(ピアノ演奏):新約聖書 だが演奏年代の相違で彼自身の変化が楽しめる。その意味では、Bachの演奏の多様性を示した演奏だが、再録を望みたいとの思いが残る演奏でもある。

 手持ちの全曲盤は以上だが、

No2は アルゲリッチ 豪快な演奏

No.5はクラウディオ・アラウ ロマンチシズム溢れる演奏で心安らぐ。

 

 

 



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