おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

「菊と刀」はベネディクト、「菊とギロチン」は瀬々敬久

2018-07-18 09:10:01 | 映画
同じ夢をみて闘った

「菊とギロチン」 2018年 日本


監督 瀬々敬久
出演 木竜麻生 東出昌大 寛一郎
   韓英恵 渋川清彦 山中崇
   井浦新 大西信満 嘉門洋子
   大西礼芳 山田真歩 嶋田久作
   小木戸利光 渡辺謙作 大森立嗣

ストーリー
大正末期。関東大震災直後の日本には、不穏な空気が漂っていた。
台頭する軍部の影響で、それまでの自由で華やかな雰囲気は徐々に失われ、人々は貧困と出口の見えない閉塞感にあえいでいた。
そんなある日、東京近郊に女相撲一座“玉岩興行”がやって来る。
力自慢の女力士たちに加え、元遊女の十勝川(韓英恵)や家出娘など、この一座にはワケあり娘ばかりが集まっていた。
新人力士の花菊(木竜麻生)もまた、夫の暴力に耐えかねて家出した貧しい農家の嫁だった。
貧しい農家の嫁だった花菊は、夫の暴力に耐えかねて家出し、女相撲に加わったのだ。
“強くなりたい。自分の力で生きてみたい”と願う花菊は、周囲の人々から奇異の目で見られながらも、厳しい練習を積んでいく。
そして訪れた興行の日。
彼女たちの興行を観戦に来ていた中に中濱鐵(東出昌大)や古田大次郎(寛一郎)たちの姿があった。
彼等は“格差のない平等な社会”を標榜するアナキスト・グループ“ギロチン社”の中心メンバーである。
師と仰ぐ思想家の大杉栄が殺されたことに憤慨し、復讐を画策すべく、この土地に流れ着いたのだ。
そして、女力士たちの戦い魅せられた中濱鐵と古田大次郎は、女力士たちの自由を追い求める姿に共鳴し、彼女たちと行動を共にするようになる。
“差別のない世界で自由に生きたい”。
その純粋な願いは、性別や年齢を越え、彼らを強く結びつけていく。
次第に惹かれあっていく中濱と十勝川、古田と花菊。
だが、彼らの前には、厳しい現実が容赦なく立ちはだかる……。

寸評
「菊と刀」はルース・ベネディクトが著した日本文化固有の価値を分析した名著であるあるが、「菊とギロチン」は
瀬々敬久が描いた女相撲の力士花菊とテロ集団だったギロチン社の若者たちの物語である。
映画は1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災直後から始まるが、関東大震災は阪神・淡路大震災、東日本大震災以上の大災害だったと思われる。
当時は情報伝達手段も未熟で、更なる悲劇を生んでいる。
陸軍の中では、震災後の混乱に乗じて社会主義や自由主義の指導者を殺害しようとする動きも見られた。
甘粕事件(大杉事件)では、大杉栄・伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが憲兵隊に殺害され、亀戸事件では労働運動の指導者平澤計七ら13人が亀戸警察署で、近衛師団に属する習志野騎兵第13連隊に銃殺され、平澤が斬首された。
一方で混乱に乗じて朝鮮人が毒を井戸に投げ入れたとか、暴動を起こそうとしているというデマが飛んで、大勢の朝鮮人が殺戮されたとも聞く。
甘粕大尉は大杉事件の後、満州国建国で暗躍し、終戦を知って自決した人物だ。
大正ロマンの時代だったのかもしれないが、大正時代は昭和初期の軍部独裁を迎える前の不穏な時代だったのかもしれない。

女性たちに土俵で相撲を取らせた記録は古くは奈良時代、雄略天皇の在世にまで遡るらしい。
平成も終わるころ、大相撲春巡業で救命措置のために土俵に上がった女性医師が土俵から下りるよう場内アナウンスで注意されたという一幕があり、「人道か、伝統か」の二者択一的議論が起きたことがあった。
女相撲が存在していたのだし、女性は土俵に上がれないのが伝統だとはいったい誰の入れ知恵なのか。
震災翌年の日照りで困窮した地主(嶋田久作)が、神の怒りを買って雨を降らせてもらおうと、女相撲の興行を招聘するというシーンがある。
そしてめでたく雨となり、嶋田久作の微笑と「神様が怒って下さったな」のつぶやきは可笑しいが、それを聞くと女性はやはり土俵に上がるものではないということになる。

ここでの女性力士たちは精神的、肉体的に虐げられてきた女たちだが、相撲を取ることで自立の意思に目覚めていく。
映画の序盤で、「ギロチン社」メンバーによって決行されたテロの数々が描かれるが、それらはまるで子どもの遊びの様で、女たちに比べて男たちは徹底して幼稚に、そして未熟に描かれている。
大杉栄暗殺に対する報復計画は遅々として進まないし、リーダーの中濱鐵などは「俺はもっと大物を殺るのだ」と言って一向に実行犯になっていない。
花菊の「おら、強くなりてえ」「弱い奴はいつまでたっても何もできねえ」は、弱い奴はいつまでたっても何もできないという少女の叫びだ。
彼女に恋する古田大次郎は正力松太郎の暗殺も直前で失敗してしまい逃亡する羽目になってしまう。
弱い男の古田大次郎と強くなっていく花菊、平等社会を夢るだけの中濱鐵と忌まわしい記憶を持つ十勝川。
彼等にあるのは先の見えない青春だ。
怒りは青春のはけ口だ。
何を言っているのか分からないこともある彼等の叫び声と、手持ちカメラで揺れ続ける画面は怒りの表現だ。
何があったというわけではないが、3時間に及ぶこの作品、なんか迫力あったなあ~!

逆噴射家族

2018-07-08 16:55:32 | 映画
僕と石井岳龍との出会いはATGで見たこの作品からだったが、その期を見渡しても僕の中ではこの作品以外に受け入れられるものがない。石井岳龍は変な監督だ。

「逆噴射家族」 1984年 日本


監督 石井聰亙
出演 小林克也 倍賞美津子 植木等
   工藤夕貴 有薗芳記

ストーリー
今日は小林家の引越しの日で、新興住宅地にトラックがやって来た。
小心で生真面目、家族をこよなく愛する優しい父・小林勝国は、20年間のローンでようやく小さな庭付きの一戸建て住宅を手に入れたのだ。
母・冴子は、天真爛漫で底抜けに明るい女性だが、観葉植物を我が子のように可愛がるヘンな癖がある。
東大をめざして浪人中の息子・正樹は受験勉強がたたってか、いつも異様に眼をギラつかせ、明けても暮れても暗記に没頭している。
娘のエリカは、アイドルタレントを夢見て、常に演技のマネゴトに熱中している女の子。
郊外で健康的かつ明るい家庭を築きあげるのが勝国の夢であり、新居の前に家族と共に立った時、彼の胸は充足感でいっぱいだった。
翌日から、イソイソと健康器具等を買い込み、勝国は理想的な家族設計を実行に移して行く。
ある日、勝国の兄の家を追い出された祖父・寿国が舞い込んで来た。
頑健で愉快な寿国を最初は暖かくむかえる家族だったが、あまりの無遠慮かつ奔放な振る舞いに、次第に反感を覚えるようになる。
さらに、一人増えたことで狭い団地住いの悪夢が甦ってきた。
危惧した勝国は悩み抜いた末、この家に祖父の為の地下室を作る事を思いつき、スコップで、シャベルで、はたまた砕岩機まで買い込んで穴掘りに精を出し始めた。
穴掘りも中盤にさしかかった頃、せっかく手に入れた新居に白蟻が現れて・・・。

寸評
石井 岳龍(いしい がくりゅう)が石井 聰亙(いしい そうご)と名乗っていたころの作品で、石井としては一番よくできた作品でないか。
1982年2月9日に日本航空機が羽田沖に墜落した事故があり、一般的に日航機逆噴射事故と呼ばれその事故原因が物議をかもした。
統合失調症の機長がエンジンの逆噴射を行ったことによるものだが、副操縦士が叫んだ「キャプテン、やめてください!」や「逆噴射」という言葉が当時流行し、この作品のタイトルもそれに起因したものとなっている。

全体の作りはコメディだが描かれている内容は多分にブラックなものである。
主人公の勝国(小林克也)は狭い団地から逃れて、念願のマイホームを東京郊外で手に入れる。
妻(倍賞美津子)や子供たち(有薗芳記、工藤夕貴)は大喜びである。
勝国は満員電車による過酷な通勤も我慢して幸せいっぱいだ。
当時のマイホーム事情を思い起こさせる環境が描かれる。
そこに兄と同居していた父親の寿国(植木等)が兄と気まずくなり転がり込んでくる。
これなども年老いた親との同居問題を先取りしている。
それなりのスペースがあった新居は寿国の入居で再び手狭になってしまう。
そのこともあって最初は歓迎していた子供たちに不満が湧いてくる。
コメディらしい描き方ではあるが、ここまではよくある展開なのだが、ここから一気に狂気の世界に突入する。
現実にはあり得ない、真新しい家の床をくりぬいて寿国のための地下室を作り始めるのである。
寿国は地下室づくりに没頭し始め、再びマイホームの完成に縛られていく。
マイホームを夢見るサラリーマンの縮図が再び展開される。
その様子はハチャメチャで、ドリルやコンベアなどが持ち込まれ、もはや改築の度を過ぎたものだ。
シロアリが巣くっていることがわかり寿国は半狂乱に陥る。
彼にしてみれば、やっと手に入れたマイホームがシロアリにやられると言う恐怖である。
日航機の機長も極度の被害妄想に陥っていたと聞く。
マイホームはどんどん破壊されていき、天真爛漫でノー天気な妻まで「みんなが勝手なことをするから家がこんなになってしまったじゃない!」と叫びだす。
家族の維持、家庭の維持はそれぞれの我慢で成り立っているのだと言っているようでもある。
こうなってくると誰が正常で、誰が異常なのか分からなくなっている。
それぞれが、自分は正常で他が異常なのだと思っているのだ。
たしかにこの小林家は少し変わった人の集合体なのだ。
勝国は皆に死んでもらって自分も死のうなどと思い始める始末だ。
それをきっかけに家族間で大バトルが発生し、正に家庭の中は家族による戦争状態となる。
一触即発の要素をはらんでいるのが家庭なのかもしれない。
家庭内戦争に疲れた一家は妻の「ご飯よ」の一言で元に戻るが、世界の紛争にはそんな妻がいない。
勝国の「一から家を作りなおす」の言葉で、家族は再びマイホーム建設を目指すことになる。
滅茶苦茶な映画だが、サラリーマンの悲しい物語でもある。

パンク侍、斬られて候

2018-07-06 11:04:31 | 映画
世紀のハッタリ合戦。最後に斬られるのは誰だ!?

「パンク侍、斬られて候」 2018年 日本


監督 石井岳龍
出演 綾野剛 北川景子 東出昌大
   染谷将太 浅野忠信 永瀬正敏
   村上淳 若葉竜也 近藤公園
   渋川清彦 國村隼 豊川悦司

ストーリー
自ら“超人的剣客”と豪語する浪人・掛十之進(綾野剛)がとある街道に姿を現わすや、いきなり物乞いの老人を斬り捨てる。
そして居合わせた黒和藩の藩士・幕暮孫兵(染谷将太)に“腹ふり党”なる新興宗教団体の脅威が迫っていると説き、重臣・内藤帯刀(豊川悦司)のもとで仕官への道を開く。
内藤は権力の座を重臣・大浦主膳(國村隼)と争っており、“腹ふり党”の一件で大浦を失脚させようと画策する。
ところが“腹ふり党”はすでに解散していることが判明、自らの立場を守るべく“腹ふり党”の元幹部・茶山半郎(浅野忠信)をたきつけて、藩内で騒動を起こさせようとする十之進だった。
発令される隠密ミッションを巡って、クセもの12人が、繰り広げる腹の探り合いと、1人の女・ろん(北川景子)をめぐる恋の行方は・・・。
そして、謎の猿将軍(永瀬正敏)が語り出す驚愕の真実とは・・・。
藩主・黒和直仁(東出昌大)に率いられた黒和藩の軍勢と“腹ふり党”の一大決戦が繰り広げられる。

寸評
僕は石井聰亙時代の「逆噴射家族」(1984年)を見て、随分と好き勝手する監督だなあと思ったのだが、石井岳龍と改名している今回の作品はそれ以上にハチャメチャで、これはもう付いていける人と付いていけない人がはっきり分かれるだろう。
僕はどちらかと言えば付いていけない部類だが、出演陣の快演だけはそのメイクを含め楽しめた。
冒頭こそオーソドックスな時代劇風だが、すぐにあらぬ方向へ暴走し始める。
登場するのは、お調子者のフリーター掛十之進をはじめ、いずれも強烈かつ奇妙奇天烈な人物ばかり。
おまけに"腹ふり党"の教義が「世界は巨大なサナダムシの腹の中だ!」だというのだから、もう何おかいわんやである。
したがって、基本は破天荒な暴走エンターティメントである。
内藤は自らの立場を守るべく「腹ふり党」元幹部・茶山半郎をたきつけて腹ふり党を復活させ、藩内で騒動を起こさせようと画策するのだが、そこで登場する茶山半郎の顔は天才バカボンのようなメイクで、その茶山を浅野忠信が怪演する。
浅野忠信だけではない。
幕暮孫兵の染谷将太も、ろんの北川景子も「よーやるわ」つい言ってしまう演技を見せる。
悪ふざけが過ぎると言いたくなるが、ここまで堂々とやられたらアッパレとしか言いようがない。
ミュージカル的なところもあるし、人形劇もあるし、影絵のような演出もあるし、ド派手なCGも飛び出す始末で、まさに何でもあり状態なのだ。
自分でものを考えずにひたすら流行に付き従う庶民を描いたり、正論しか言わない藩主がいたり、皆に迎合する軟弱な藩の幹部がいたりするのは現実社会への風刺ともいえるが、それよりもこの制作費の無駄使い的な映画作りを誰が許しているのかと思ってしまう。
ハッキリしたことは、僕は石井岳龍作品には溶け込めないということだった。

焼肉ドラゴン

2018-07-05 18:10:28 | 映画
たとえ明日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる。

「焼肉ドラゴン」 2018年 日本


監督 鄭義信
出演 真木よう子 井上真央 大泉洋
   桜庭ななみ キム・サンホ
   イ・ジョンウン 大谷亮平
   ハン・ドンギュ イム・ヒチョル
   大江晋平 宇野祥平 根岸季衣
 
ストーリー
高度経済成長期の真っ只中、大阪で万国博覧会が開催される直前。
関西の地方都市の一角で、小さな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む龍吉(キム・サンホ)と妻・英順(イ・ジョンウン)は、静花(真木よう子)、梨花(井上真央)、美花(桜庭ななみ)の三姉妹、一人息子の時生(大江晋平)と共に暮らしている。
第二次世界大戦で左腕を失った龍吉は、故郷の済州島を追われて来日した英順と再婚し、ここで小さな焼肉店“焼肉ドラゴン”を開業し、4人の子どもたちを育てるために身を粉にして働いてきたのだった。
店内は、李哲男(大泉洋)と梨花の結婚を巡って騒ぎたてるなど、常連客たちでいつも大賑わいだ。
辛い過去は決して消えないが、毎日懸命に働き、家族はいつも明るく、些細なことで泣いたり笑ったりの日々。
「たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる……」それが龍吉のいつもの口癖だ。
そんな中、中学生になった末っ子の時生は学校でイジメに遭い心を閉ざしてしまう。
一方、次女の梨花は哲男と結婚したが、夫の哲男が幼なじみでもある長女・静花への恋心を今も捨てきれずにいることに苛立ちを募らせていく。
強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、次第に時代の波が押し寄せてくる・・・。

寸評
在日コリアンたちのドラマだが、同時に時代や民族を超えて困難や悲しみに直面する多くの人々への激励のドラマでもある。
それは龍吉の言う「明日はきっとええ日になる。たとえ昨日がどんなでも」に集約されている。
大阪人の僕は、大阪が舞台ということだけで興味が湧いた。
在日コリアンは生野地区に多く住まわれているが、ドラマの舞台は飛行場が近いから豊中地区だろう。
豊中からうどん汁を運んでくるシーンもあるし、かつて中村地区に不法占拠集落があった事実も後押しする。
大阪を舞台にすると何となく違和感が残る関西弁が話されるが、本作ではすんなり耳に入って来て、親しみやすかったことも良かったと思う。

導入部で哲男と梨花の大喧嘩が描かれるが、ここでは井上真央が頑張っていてこの映画の雰囲気を一気に感じさせてくれた。
井上真央は地味な女優だが、その影の薄さで妙な雰囲気を出すことが出来るいい女優さんだ。
梨花だけが韓国語を話せないのは、日本で育ったことで韓国語を必要としていなかったのだろう。
英順が韓国人学校に時生を転校させようとするのに対して、龍吉は頑として応じない。
日本で生きていくしかないという彼の強い決意の表れなのだが、梨花が日本語しか話せないことはそれを補完していたように思う。

在日コリアンが経験してきた歴史をドラマの背景として織り込みながらも、それをユーモアを交えて描いているので堅苦しい社会派映画とはならず、切実な話が続いた後に小ネタで笑いをとったりするので喜劇映画かとさえ思ってしまう。
哲男が静花に心の内をぶちまけるシーンは、なまじの恋愛映画よりも感動的だし、美花の不倫相手に対して、龍吉が自らの過去を語るシーンも胸を打ち、シリアスドラマとしての感動も描かれているのは好感が持てる。

僕は彼等の苦労を知らない。
戦争に翻ろうされた人々もいるだろう。
光州事件から逃れて日本にやって来た人々もいるだろう。
龍吉は戦争の犠牲者、英順は済州島の4.3事件の生き残りだ。
僕は戦争も、虐殺も経験していない。
それは幸せなことだと思う。
三姉妹たちはそれぞれ別の国へ旅立つ。
一人は北朝鮮へ、一人は韓国へ、一人は日本に残る。
朝鮮半島と日本の関係は、描かれた差別と共に未だに微妙だ。
離れていても家族としてつながっていると龍吉は叫ぶが、どうしても三姉妹の行く末を想像してしまう。
両親を演じた2人の韓国俳優、三姉妹を演じた真木よう子、井上真央、桜庭ななみなどの役者たちが支えた作品でもあった。