「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 2012年 アメリカ
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監督 アン・リー
出演 スラージ・シャルマ
イルファン・カーン
ジェラール・ドパルデュー
レイフ・スポール
アディル・フセイン
ストーりー
小説家ヤン・マーテルがインド人の青年パイ・パテルが語る幼少時代を聴きに訪れる。
ママジから「話を聞けば神を信じる」と聞いてやって来たのだという。
パイは泳ぎや楽器も得意な少年だったが、宗教の入り交じった南仏のリヴィエラのような街ポンディシェリで育ち、ヒンズー教とキリスト教とイスラム教とを同時に信奉するようになる。
身分が低い夫と結婚して勘当された植物学者でもある母と父は植物園を営んでいたが、さらに動物園も経営してベンガルトラなど多くの動物を飼っていた。
パイの一家は補助金がなくなったなどで動物園を畳み、新天地を求めて動物とともにカナダに移住を決断。
ダンス教室で出会った恋人アナンディとも別れることになる。
太平洋を北上中に海難事故に遭い、船の沈没とともに16歳の少年パイが人間では唯一の生存者となる。
彼はライフボートでオランウータン、ハイエナ、シマウマ、トラのリチャード・パーカーと過ごすことになる。
脚を骨折しているシマウマを襲うハイエナ、それに怒ってハイエナを襲うが逆に倒されるオランウータン。
ハイエナはベンガルトラに倒され、トラとパイ少年とで広大な海をさまようことになる。
「大海で生き残るために」というボートに必ず搭載してある遭難マニュアルを読んでボートにあった道具で筏をつくり、備え付けの水や食料を少しずつ使っていくが、クジラのために多くを失う。
お腹が空いたリチャード・パーカーが魚を採りに降りてボートに上れなくなるが、殺そうと思ったものの、殺せず、一緒の航海が続く。
寸評
船が沈没して、一人生き残った少年のサバイバル物語なのだが、過酷な場面があるもののどこかメルヘンチックである。
斬新な映像美で彩られた迫力の映像がファンタジックさを醸し出す。
クジラの回遊シーンや大ジャンプ、夜空の美しさや大海原に漂うボートの映像に唸らされる。
主人公がボートに潜んでいたトラと、よくある動物映画のようになれあったりはしないで運命共同体となっていく様が魅力となっている。
映画に登場するトラのほとんどは高度なコンピューターグラフィックによるものであるらしいのだが、このトラの表情、特に目の輝きが作り出されたものではあるが神秘的だ。
トビウオの大群に出会ったり、それを追ってきたマグロがボートに飛び込んできたりとCGを駆使したシーンも上手く収まっている。
ミーアキャットの島には驚かされるし、しかもその島全体が食人の島だったと言うのもどこか童話的だ。
兎に角それらのシーンが全体を支配していて、当然のことで会話は少ないのだがその分、映像で見せ続ける。
もう一つのバックボーンが宗教に関するものだ。
パイはヒンズー教徒の母に育てられたので元はヒンズー教徒なのだが、やがてキリスト教にもイスラム教にも感銘を受けていく。
この宗教感覚は欧米人には理解しがたいかもしれないが、日本人である僕にはよくわかる。
子供が誕生すると宮参りや七五三などで神社に詣で、結婚式は教会で上げ、クリスマスを祝う。
死ねばお寺のお世話になる仏教徒と化す。
パイはこの無宗教ともいうべき、何でも受け入れてしまう日本人の特性に似た宗教観を有している。
それでもパイは苦境の時には神に救いを求めている。
一体どの神に救いを求めたのかはわからないが神を頼り、神の存在を体感する。
沈没船が日本国籍で日本語の文字が所々で一瞬ながら挿入されているのだが、この日本を意識させていることとパイの宗教観はリンクしていたものだったのだろうか。
監督に確かめてみたい疑問である。
パイの乗ったボートにはリチャード・パーカーと名付けられた虎のほかにもシマ馬やハイエアナが同乗していて、そのうちオランウータンも流れついてくる。
やがてそれらの動物は弱肉強食の世界を見せるのだが、じつはそれは擬人的に語られたものなのではないかと最後の方で匂わされる。
おそらくパイの語った物語は人間世界で起きたことなのだろうが、小説家が言うようにトラの方が面白い話である。
人間世界で起きたことなら凄惨なことと言わざるを得ない。
この衝撃的事実をもう少しドラマチックに描けていたなら間違いなく超一級の作品になっていたような気がする。
いくらCG技術の進歩といっても、あれだけ動物の動きをドラマチックに描かれると、それに対応する生身の人間の演技を挟むのは難しいわなあ。
パイが家族を得て幸せに暮らしていることを示すラストはいい。
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監督 アン・リー
出演 スラージ・シャルマ
イルファン・カーン
ジェラール・ドパルデュー
レイフ・スポール
アディル・フセイン
ストーりー
小説家ヤン・マーテルがインド人の青年パイ・パテルが語る幼少時代を聴きに訪れる。
ママジから「話を聞けば神を信じる」と聞いてやって来たのだという。
パイは泳ぎや楽器も得意な少年だったが、宗教の入り交じった南仏のリヴィエラのような街ポンディシェリで育ち、ヒンズー教とキリスト教とイスラム教とを同時に信奉するようになる。
身分が低い夫と結婚して勘当された植物学者でもある母と父は植物園を営んでいたが、さらに動物園も経営してベンガルトラなど多くの動物を飼っていた。
パイの一家は補助金がなくなったなどで動物園を畳み、新天地を求めて動物とともにカナダに移住を決断。
ダンス教室で出会った恋人アナンディとも別れることになる。
太平洋を北上中に海難事故に遭い、船の沈没とともに16歳の少年パイが人間では唯一の生存者となる。
彼はライフボートでオランウータン、ハイエナ、シマウマ、トラのリチャード・パーカーと過ごすことになる。
脚を骨折しているシマウマを襲うハイエナ、それに怒ってハイエナを襲うが逆に倒されるオランウータン。
ハイエナはベンガルトラに倒され、トラとパイ少年とで広大な海をさまようことになる。
「大海で生き残るために」というボートに必ず搭載してある遭難マニュアルを読んでボートにあった道具で筏をつくり、備え付けの水や食料を少しずつ使っていくが、クジラのために多くを失う。
お腹が空いたリチャード・パーカーが魚を採りに降りてボートに上れなくなるが、殺そうと思ったものの、殺せず、一緒の航海が続く。
寸評
船が沈没して、一人生き残った少年のサバイバル物語なのだが、過酷な場面があるもののどこかメルヘンチックである。
斬新な映像美で彩られた迫力の映像がファンタジックさを醸し出す。
クジラの回遊シーンや大ジャンプ、夜空の美しさや大海原に漂うボートの映像に唸らされる。
主人公がボートに潜んでいたトラと、よくある動物映画のようになれあったりはしないで運命共同体となっていく様が魅力となっている。
映画に登場するトラのほとんどは高度なコンピューターグラフィックによるものであるらしいのだが、このトラの表情、特に目の輝きが作り出されたものではあるが神秘的だ。
トビウオの大群に出会ったり、それを追ってきたマグロがボートに飛び込んできたりとCGを駆使したシーンも上手く収まっている。
ミーアキャットの島には驚かされるし、しかもその島全体が食人の島だったと言うのもどこか童話的だ。
兎に角それらのシーンが全体を支配していて、当然のことで会話は少ないのだがその分、映像で見せ続ける。
もう一つのバックボーンが宗教に関するものだ。
パイはヒンズー教徒の母に育てられたので元はヒンズー教徒なのだが、やがてキリスト教にもイスラム教にも感銘を受けていく。
この宗教感覚は欧米人には理解しがたいかもしれないが、日本人である僕にはよくわかる。
子供が誕生すると宮参りや七五三などで神社に詣で、結婚式は教会で上げ、クリスマスを祝う。
死ねばお寺のお世話になる仏教徒と化す。
パイはこの無宗教ともいうべき、何でも受け入れてしまう日本人の特性に似た宗教観を有している。
それでもパイは苦境の時には神に救いを求めている。
一体どの神に救いを求めたのかはわからないが神を頼り、神の存在を体感する。
沈没船が日本国籍で日本語の文字が所々で一瞬ながら挿入されているのだが、この日本を意識させていることとパイの宗教観はリンクしていたものだったのだろうか。
監督に確かめてみたい疑問である。
パイの乗ったボートにはリチャード・パーカーと名付けられた虎のほかにもシマ馬やハイエアナが同乗していて、そのうちオランウータンも流れついてくる。
やがてそれらの動物は弱肉強食の世界を見せるのだが、じつはそれは擬人的に語られたものなのではないかと最後の方で匂わされる。
おそらくパイの語った物語は人間世界で起きたことなのだろうが、小説家が言うようにトラの方が面白い話である。
人間世界で起きたことなら凄惨なことと言わざるを得ない。
この衝撃的事実をもう少しドラマチックに描けていたなら間違いなく超一級の作品になっていたような気がする。
いくらCG技術の進歩といっても、あれだけ動物の動きをドラマチックに描かれると、それに対応する生身の人間の演技を挟むのは難しいわなあ。
パイが家族を得て幸せに暮らしていることを示すラストはいい。