「関東緋桜一家」 1972年 日本
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監督 マキノ雅弘
出演 藤純子 鶴田浩二 高倉健 若山富三郎 菅原文太 待田京介
伊吹吾郎 山城新伍 木暮実千代 工藤明子 南田洋子
長門裕之 水島道太郎 嵐寛寿郎 石山健二郎 金子信雄
笠置シヅ子 八名信夫 藤山寛美 片岡千恵蔵
ストーリー
明治末頃、柳橋一帯の町内頭で鳶「に組」の副組頭の河岸政(水島道太郎)の娘・芸者鶴次(藤純子)はその美貌と男まさりの侠気と、幼い頃から北辰一刀流の達人で講釈師の呑竜(若山富三郎)から学んだ剣術で評判を呼んでいた。
鶴次には「に組」の組頭吉五郎(片岡千恵蔵)の一人息子である纒持信三(高倉健)という末を誓い合った男がいたが、信三は彼女に酔ってからんだヤクザ数人と乱斗し、その中の一人をあやめてしまったことから旅に出てしまっていた。
その頃、日本橋の博徒新堀一家の客分である、刑事くずれの博徒鬼鉄(遠藤辰雄)が柳橋で賭場を開き、河岸政が世話になっている旦那衆から金や財産を捲き上げたことから、いざこざが起こるようになった。
新堀一家の親分辰之助(嵐寛寿郎)と河岸政とは兄弟分であり、柳橋では賭場は開かないという約束が二人の間でかわされていたが、床に伏せている辰之肋をよいことに、新堀一家代貸の中州の常吉(名和宏)と鬼鉄は河岸政の縄張りに目をつけ、その拡張を計っていたのだ。
勢力拡大を狙う鬼鉄、その身内の大寅(天津敏)は、河岸政を大川端に襲って暗殺した。
「に組」小頭由次郎(菅原文太)の力添えによって鶴次が父の跡目をついだ。
鶴次暗殺に失敗した鬼鉄は、 出刃徳(楠本健二)に命じて割烹旅館金柳館に火を放った。
「に組」の消火作業で金柳館は一部を焼失しただけで済み、信三は出刃徳を捕えた。
鶴次は、鬼鉄に奪われた金柳館の権利証と出刃徳を賭けた勝負を挑んだ。
鬼鉄は、新堀一家に草鞋を脱いだばかりの客人旅清(鶴田浩二)をたて挑戦を受けた。
鶴次の心意気を察した旅清は勝を譲った。
それからしばらくして辰之助が後事を、義兄弟旅清に託して息を引きとった。
一方、銀次(待田京介)が、廓に売られ入水自殺を計ったお志乃(南田洋子)とその子供を救ったことから、お志乃は鬼鉄の妾であることが判明し、引き渡しを迫る鬼鉄と、母子をかばう銀次の対立は激しさを増した。
寸評
東映任侠映画を支えた藤純子の引退記念映画として大ヒットした。
僕も大阪梅田新道にあった東映会館でこの映画を見た。
なにせ「緋牡丹博徒シリーズ」のお竜さん、数々の任侠映画でヒロイン役を務めた藤純子をもう見ることが出来なくなるのである。
陰りを見せ始めていた任侠映画であったが、映画公開後の1972年3月30日に尾上菊五郎とホテルオークラで挙式した藤純子の引退が任侠映画の終焉を決定づけた。
結果的に最後の作品となったという事はあっても、引退記念映画を撮るなんてことは前代未聞であった。
彼女の引退記念映画として東映のオールスター作品ともなっている。
冒頭のキャスト紹介では台本をめくるように表示されていき、主演の藤純子に続き、鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、菅原文太が一頁ずつ表示されていく。
そして待田京介などが連名で続き、最後に藤山寛美と御大の片岡千恵蔵が再び一頁で表示される。
出ていないのは梅宮辰夫や松方弘樹ぐらいではないか。
もっとも彼らは実録路線に代わってから大活躍したのだから、ここでの登場は無かったのかもしれない。
これだけのスターを集めたので、彼らの見せ場を作りながら藤純子映画の総花的な物が詰め込まれていて、内容的には薄いものになってしまっている。
高倉健は藤純子と数々の作品でしっとりとした濡れ場を演じてきたが、本作ではネームバリューと役柄の割には影が薄い。
同じヤクザ者としての存在感は断然鶴田浩二に軍配が上がる。
脚本の笠原和夫が、高倉健を鶴田浩二と同じやくざにしたら、鶴田が断然うまくて高倉は勝てないと言ったと伝わっているが、本当にその通りだった。
東映はポスト藤純子として中村英子、藤浩子、土田早苗、堀越光恵、松平純子、池玲子などを育てようとしたが、ついに彼女の代わりにはなれなかった。
この時代、主役を張れた女優は藤純子しか居なかったのだ。
もっとも僕は東映という映画会社では女優が育ちにくかったのだと思っている。
さて僕が見に行った回の上映での様子だが、ラストシーンで藤純子が「皆さんお世話になりました」と言って去っていくところで拍手が起きそうなものだが、どうしたわけか笑い声が起った。
そのシーンを撮りたいがための作品だったようにも思うが、そのことを感じ取った観客の拍手の代わりの笑い声だったように思う。
僕も一時代を築いた藤純子への惜別の気持ちを湧き上がらせながら、「よくやるよなあ~」と薄笑いを浮かべたことを思い出す。
その梅田東映は今はもう無い。
映画館もないけれど、富司純子としてスクリーンに戻ってきた彼女は年齢もあってかつての藤純子ではなかった。
藤純子は僕たちの脳裏の中に存在するだけの伝説的女優となってしまったのだ。