「俺たちに明日はない」 1967年 アメリカ

監督 アーサー・ペン
出演 ウォーレン・ベイティ フェイ・ダナウェイ
ジーン・ハックマン マイケル・J・ポラード
エステル・パーソンズ デンヴァー・パイル
ダブ・テイラー エヴァンス・エヴァンス
ストーリー
世界恐慌下のアメリカのテキサス。
刑務所を出所してきたばかりのクライドが例によって駐車中の車を盗もうとした時、近くの2階から声をあげて邪魔をしたのが、その車の持ち主の娘ボニーだった。
二人はこれがはじめての出会いだったが、クライドはボニーの気の強さに、ボニーはクライドの図太さに、惚れこんでしまった。
二人いっしょならば恐いものなしと彼らは、町から町を渡りながら次々と犯行をくり返していく。
ほどなくガソリンステーションの店員だったC・Wを加え仲間は3人になる。
しかし銀行強盗の最中にC・Wのヘマによりクライドは遂に人を殺すことになる。
クライドの兄バックとその女房のブランチを加え5人となったが、この兄夫婦とボニーはそりが合わなかった。
銀行強盗を更に重ねる一行だが、ボニーとブランチのいさかいも抜き差しならないところまで来ていた。
アイオワに移った一行だが、滞在中のモーテルで保安官たちに囲まれてしまう。
装甲車すら出動した激しい射ち合いの末、バックとブランチは重傷を負ってしまった。
翌朝再び急襲され、傷を負いながらもクライド、ボニー、C・Wは何とか逃げ出したが、バックは死にブランチは逮捕される。
3人は、唯一世間に名前の知られていないC・Wの父親の農場にたどり着き傷を癒した。
復讐に燃えるテキサス警備隊隊長ヘイマーは巧みな話術でブランチからC・Wの名前を聞き出す。
寸評
僕がアーサー・ペンを知ったのは浪人時代に見た「逃亡地帯」だった。
脱獄囚が戻ってくるとの噂に町の住民が集団ヒステリーを起こす姿を描いた作品で、アメリカ映画の凄さを思い知らされた僕にとっては記念碑的作品だった。
そしてこの「俺たちに明日はない」で打ちのめされたような衝撃を受けた。
クライドがリーダーであったにも関わらず原題は「クライドとボニー」ではなく「ボニーとクライド」となっていて、実際ボニー・パーカーを演じるフェイ・ダナウェイが男性的な強い女を見事に再現していてしびれてしまう。
二人はおしゃれな若いカップルでかっこよく、おまけに彼等の犯罪手法は最新式の車を奪い、あっという間に州を越えてしまうというスタイリッシュなものである。
犯罪者の彼等にいつの間にか感情移入してしまっていて、狙っているのが富裕層の象徴である「銀行」であることも共感を呼び起こす。
当初は襲った銀行が倒産していて金を奪えず、その状況をクライドが銀行員からボニーに説明させるというズッコケたもので極悪非道の銀行強盗のイメージがない。
食料調達のために襲った雑貨屋では店員に逆襲され負傷させてしまうが、クライドは「襲う気などなかったのになぜ反撃されるんだ?食料をもらいに行っただけなのに・・・」と身勝手なことを言って幼稚さを見せる。
そんな彼等をバンジョーの軽快な音楽が後押しするので、彼等はむしろヒーロー的な存在になってしまう。
若者の持つ無軌道ながらも毎日を謳歌する姿にあこがれすら抱いてしまう出だしがとてもいい。
若い男女が危険の中に身を置いて行動を共にすればラブシーンが登場しそうなものだが、クライドは性的に不能であるという描き方も変化に富んでいる。
公開当時のアメリカはベトナム戦争にのめり込んでいて、世界では反戦運動が拡がっていた。
若者たちは体制に反旗を翻すボニーとクライドに共感をよせ、刹那的な衝動に身を任せたくなる気持ちに理解を示し、「俺たちに明日はない」は若者たちの将来への絶望感や無力感を描き出した作品と言える。
この映画では拳銃やマシンガンをぶっ放すシーンが数多く登場する。
頭部を撃たれて吹き飛ぶ姿や、血を流す警官などをリアルに描いているが当時としては珍しい描き方だった。
今では珍しくもない描き方だが、初めて見た時にはその迫力に圧倒された。
極めつけはラストシーンでハチの巣状態になるボニーとクライドの姿で、実に衝撃的なシーンとなっている。
振り返ると男であるクライドと、女であるボニーの求めているものに微妙な違いがあることに気がつく。
ボニーは母親を気遣い母親を含む一族と思われる人たちとピクニックを楽しむ。
このシーンはソフトフォーカスで撮られていて、平凡ながらも幸せな家庭を夢見るボニーの気持ちを表していたように思う。
最後の夜、ボニーは今までのことが水に流せたらと漏らすが、クライドに仕事をする州と暮す州は別にすると答えさせているのは、安住を求める女の気持ちをクライドは理解していなかったのだと言っているように感じた。
ボニーは「私たちにも明日があればいいのに」と悲しい気持ちで憧れていたに違いない。
やはりラストシーンはいい。 絶妙のスピード感だった。

監督 アーサー・ペン
出演 ウォーレン・ベイティ フェイ・ダナウェイ
ジーン・ハックマン マイケル・J・ポラード
エステル・パーソンズ デンヴァー・パイル
ダブ・テイラー エヴァンス・エヴァンス
ストーリー
世界恐慌下のアメリカのテキサス。
刑務所を出所してきたばかりのクライドが例によって駐車中の車を盗もうとした時、近くの2階から声をあげて邪魔をしたのが、その車の持ち主の娘ボニーだった。
二人はこれがはじめての出会いだったが、クライドはボニーの気の強さに、ボニーはクライドの図太さに、惚れこんでしまった。
二人いっしょならば恐いものなしと彼らは、町から町を渡りながら次々と犯行をくり返していく。
ほどなくガソリンステーションの店員だったC・Wを加え仲間は3人になる。
しかし銀行強盗の最中にC・Wのヘマによりクライドは遂に人を殺すことになる。
クライドの兄バックとその女房のブランチを加え5人となったが、この兄夫婦とボニーはそりが合わなかった。
銀行強盗を更に重ねる一行だが、ボニーとブランチのいさかいも抜き差しならないところまで来ていた。
アイオワに移った一行だが、滞在中のモーテルで保安官たちに囲まれてしまう。
装甲車すら出動した激しい射ち合いの末、バックとブランチは重傷を負ってしまった。
翌朝再び急襲され、傷を負いながらもクライド、ボニー、C・Wは何とか逃げ出したが、バックは死にブランチは逮捕される。
3人は、唯一世間に名前の知られていないC・Wの父親の農場にたどり着き傷を癒した。
復讐に燃えるテキサス警備隊隊長ヘイマーは巧みな話術でブランチからC・Wの名前を聞き出す。
寸評
僕がアーサー・ペンを知ったのは浪人時代に見た「逃亡地帯」だった。
脱獄囚が戻ってくるとの噂に町の住民が集団ヒステリーを起こす姿を描いた作品で、アメリカ映画の凄さを思い知らされた僕にとっては記念碑的作品だった。
そしてこの「俺たちに明日はない」で打ちのめされたような衝撃を受けた。
クライドがリーダーであったにも関わらず原題は「クライドとボニー」ではなく「ボニーとクライド」となっていて、実際ボニー・パーカーを演じるフェイ・ダナウェイが男性的な強い女を見事に再現していてしびれてしまう。
二人はおしゃれな若いカップルでかっこよく、おまけに彼等の犯罪手法は最新式の車を奪い、あっという間に州を越えてしまうというスタイリッシュなものである。
犯罪者の彼等にいつの間にか感情移入してしまっていて、狙っているのが富裕層の象徴である「銀行」であることも共感を呼び起こす。
当初は襲った銀行が倒産していて金を奪えず、その状況をクライドが銀行員からボニーに説明させるというズッコケたもので極悪非道の銀行強盗のイメージがない。
食料調達のために襲った雑貨屋では店員に逆襲され負傷させてしまうが、クライドは「襲う気などなかったのになぜ反撃されるんだ?食料をもらいに行っただけなのに・・・」と身勝手なことを言って幼稚さを見せる。
そんな彼等をバンジョーの軽快な音楽が後押しするので、彼等はむしろヒーロー的な存在になってしまう。
若者の持つ無軌道ながらも毎日を謳歌する姿にあこがれすら抱いてしまう出だしがとてもいい。
若い男女が危険の中に身を置いて行動を共にすればラブシーンが登場しそうなものだが、クライドは性的に不能であるという描き方も変化に富んでいる。
公開当時のアメリカはベトナム戦争にのめり込んでいて、世界では反戦運動が拡がっていた。
若者たちは体制に反旗を翻すボニーとクライドに共感をよせ、刹那的な衝動に身を任せたくなる気持ちに理解を示し、「俺たちに明日はない」は若者たちの将来への絶望感や無力感を描き出した作品と言える。
この映画では拳銃やマシンガンをぶっ放すシーンが数多く登場する。
頭部を撃たれて吹き飛ぶ姿や、血を流す警官などをリアルに描いているが当時としては珍しい描き方だった。
今では珍しくもない描き方だが、初めて見た時にはその迫力に圧倒された。
極めつけはラストシーンでハチの巣状態になるボニーとクライドの姿で、実に衝撃的なシーンとなっている。
振り返ると男であるクライドと、女であるボニーの求めているものに微妙な違いがあることに気がつく。
ボニーは母親を気遣い母親を含む一族と思われる人たちとピクニックを楽しむ。
このシーンはソフトフォーカスで撮られていて、平凡ながらも幸せな家庭を夢見るボニーの気持ちを表していたように思う。
最後の夜、ボニーは今までのことが水に流せたらと漏らすが、クライドに仕事をする州と暮す州は別にすると答えさせているのは、安住を求める女の気持ちをクライドは理解していなかったのだと言っているように感じた。
ボニーは「私たちにも明日があればいいのに」と悲しい気持ちで憧れていたに違いない。
やはりラストシーンはいい。 絶妙のスピード感だった。