2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。
2020/6/11は「雪に願うこと」で、以下「夢」「夢売るふたり」「EUREKA ユリイカ」「許されざる者」「許されざる者」「ゆれる」「湯を沸かすほどの熱い愛」「醉いどれ天使」「八日目の蝉」と続きました。
「戦艦ポチョムキン」 1925年 ソ連
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監督 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
出演 アレクサンドル・アントノーフ
グリゴリー・アレクサンドロフ
ウラジミール・バルスキー
ストーリー
軍隊の度重なる敗北にともない、ロシア国内には、労働者ゼネスト、農民の暴動、従属民族の反乱が相次ぎ、革命の気運が漸く軍隊の内部にまで高まって来た1905年6月。
戦艦ポチョムキンは、労働者のゼネストが行なわれているオデッサの港からほど遠からぬところに碇泊していた。
6月14日の朝、甲板の一隅に吊された牛肉の表面にウジが群がっていることから、水兵たちの怒りは爆発した。
しかし、そこに現われた先任士官ギリヤロフスキーにより水兵たちは追いちらされ、食卓には腐肉のスープが並べられた。
だが、誰一人として手をつける者はなかった。
数刻後、緊急集合のラッパが鳴り渡り、甲板に整列した全員にむかって艦長ゴリコフは、スープに満足した者は前に出ろと命じ、出ない者は帆桁に引っぱりあげるようにと命じた。
水兵たちは動揺した。
その時水兵の一人マトウシェンコは水兵たちに砲塔の下に集まるよう呼びかけ多くの水兵はその指示に従った。
ギリヤロフスキーは、衛兵に艦首に残った十数名の水兵を射てと命令した。
間髪を入れずワクリンチュクがさけんだ。
「兄弟たち、誰を射つつもりか!」という言葉に、衛兵たちの銃はおろされた。
ギリヤロフスキーは再度命令したが、撃つ気のない衛兵をみてその手から銃をとり水兵たちを撃とうとした。
水兵たちは一斉に立ち上った。
軍医や艦長は海に投げこまれた。
しかし、指導者ワクリンチュクもギリヤロフスキーの銃にたおれた。
このポチョムキンでの暴動のニュースはすぐ町中に広がり、多くの大衆の心を大きくゆさぶった。
それから間もなくポチョムキンには黒海艦隊が鎮圧にくるという情報が入った。
降伏か抗戦かをめぐって激しい討論の末、ポチョムキンは抗戦ということに決った。
夜になり、艦隊は姿をみせた。
マトウシェンコの命令で、ポチョムキンのマストには「われらに合流せよ」の信号旗が上げられた。
艦隊は射程距離に入った。
戦いか、死か、緊張した一瞬がながれた。
そして次の瞬間、ポチョムキンの水兵たちが聞いたのは、津波のように押しよせてくる「同志!」という言葉だった。
寸評
僕が生まれる前の古典で、大学に通うようになってから名画鑑賞会で見ることが出来た作品である。
会場はたしか当時大阪の中之島にあったSABホールだったと思う。
映画青年を気取っていた時期で、モンタージュ理論を確立した映画として映画史に残る作品だからというのが鑑賞した動機であった。
モンタージュを利用した作品は珍しくなくなっていたが、それでもやはりオデッサの階段の虐殺シーンは迫力があり必見であろう。
虐殺される市民を演じるエキストラの動き、それに撃たれた母親のアップ、手を離れて落ちていく乳母車、怒りを表すような石像の獅子の顔がアップで挿入される。
デ・パルマの「アンタッチャブル」の乳母車のシーンがこの映画へのオマージュとなっている。
映画ファンでなければ本家がどこにあるか知らないで「アンタッチャブル」の駅の階段シーンを見ていただろう。
僕はその後もソ連映画を見たが、「カラマーゾフの兄弟」も「アンナカレニーナ」も長いだけで退屈したのに、この映画は楽しめた。
何においても今では当たり前の事でも最初に行った人はすごい。
蛇口をひねれば水が出てくる水道だって、スイッチを入れれば明かりが灯る電気だってそうだ。
オーソン・ウェルズもエイゼンシュテインも映画界におけるスゴイ人だったのだと思う。
エイゼンシュタイン以前にも、D・W・グリフィスが、部分的にモンタージュを試みたり、クローズ・アップを取り入れたりしましたが、それを映画的技法として定着させたのは、やはりこの作品ではないかと思います。
とにかく、モンタージュの面白さが群を抜いている。
それまでは、ただ画面をつないでいただけの世界に、映画的効果をもたらした意味は大きい。
内容的には、ロシア革命を背景にした政治的イデオロギーが、ギラギラするくらい前面に出ています。
有名なオデッサの階段のシーン等は、その最たる場面ですが、ここでもその政治的主張以上に、このオデッサの階段のシーンの前後のカッティング等の斬新な映像技法が目を引きます。
ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」に引用されていましたが、様々な意味で、以後の映像作家、作品に多大な影響を与えた、教典とも言うべき作品だと思います。