おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

宮本武蔵 巌流島の決斗

2023-04-15 06:22:28 | 映画
「宮本武蔵 巌流島の決斗」 1965年 日本


監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 入江若葉 木村功 浪花千栄子 丘さとみ
   金子吉延 河原崎長一郎 千田是也 中村是好 日高澄子
   尾形伸之介 田村高廣 中村錦司 里見浩太郎 内田朝雄
   三島ゆり子 清水元 中村時之介 北竜二 三国連太郎
   高倉健 片岡千恵蔵

ストーリー
一乗寺下り松に吉岡一門を葬った武蔵(中村錦之助)は、宿敵・佐々木小次郎(高倉健)との再会を約して、再び修業の旅に出た。
その冬、武蔵は生活力のたくましい童子・伊織(金子吉延)を知りその厳しい生活態度にうたれて、伊織と共に鍬を持ち荒地に挑んだ。
農作期も終り伊織を連れて江戸へ出た武蔵は、計らずも立ち寄った研師厨子野耕介(中村是好)の家で小次郎の愛刀・物干竿を見た。
小次郎は、細川藩家老岩間角兵衛(内田朝雄)に見出され、細川家の指南役にかかえられていたのだ。
武蔵は、彼の腕前にホレこんだ博喰・熊五郎(尾形伸之介)の世話でのどかな日を送っていたが、ある日居所をつきとめたお杉(浪花千栄子)が町奴・半瓦弥次兵衛(中村時之介)らを連れて乗りこんできた。
武蔵を迎えにきた将軍家指南役・北条安房守(中村錦司)の駕篭で武蔵は難を逃れ安房守の屋敷に入った。
武蔵はそこで柳生但馬守(田村高廣)と沢庵(三国連太郎)に会った。
沢庵は柳生の庄で石舟斎の看病をするお通(入江若葉)を呼び、将軍家指南として身をたてることを勧めた。
だが、閣老会議は武蔵が年端もゆかぬ吉岡源三郎を斬ったことを理由に、これを却下した。
数日後、武蔵は小次郎から決闘の場所を豊前小倉とする果し状を受け取った。
武蔵は伊織と長岡佐渡(片岡千恵蔵)宛の別れの書状を沢庵に渡すと京を後にした。
一方、お通も沢庵から武蔵の消息を聞き、武蔵の後を追って小倉に向ったが、途中で又八(木村功)、朱実(丘さとみ)、さらにお杉にも再会した。
今ではお杉も、お通への誤解を解き自らの非を詑びるようになっていた。
その頃武蔵は巌流島で小次郎と相対していた・・・。

寸評
いよいよクライマックスとなる宿敵佐々木小次郎との巌流島での決斗が描かれる。
前作で父親の青木丹左衛門を追って行った城太郎は登場しない。
代わって両親を亡くした伊織少年が登場する。
彼は武蔵と共に暮らした後、細川藩家老の長岡佐渡に預けられ武士のしつけをされることになる。
史実ではこの伊織は宮本武蔵の養子として知られている。
島原の乱には侍大将と惣軍奉行を兼ねる武功をたて、一門を差し置いて小倉藩の筆頭家老になったと言われていて、小倉郊外赤坂・手向山の山頂に巨石をもって武蔵の彰徳碑を建てているらしい。
その漢文による小倉碑文の一千百余文字によって、吉岡一門との決斗や船島での決斗も史実とされているとの事である。
作中で伊織は長岡佐渡に伴われ、 養父武蔵の巌流島での決斗を見聞している。

武蔵はまだまだ修行中で未熟な面を見せたりするが、相手の佐々木小次郎は人格的に劣っていると言う描き方がいままでになく顕著である。
刀研師の耕介が預けた刀をまだ研いでいなかったことに立腹したり、岩間角兵衛の姪であるお光(三島ゆり子)との関係などを見ると悪者と描いており、細川忠利(里見浩太郎)の御膳試合では長岡佐渡に「こざかしい奴」とさえ言われている。
完全に武蔵に対うる悪役的な描き方で、後の高倉健なら絶対にやらなかった役回りである。

最終章なので今までの未解決となっていた問題が次々解決される。
憎しみを募らせていたお杉婆だが、又八と朱実との間に出来た孫を見て改心する。
朱実は又八に小次郎から救われていたので、その後夫婦になっていたのだろう。
又八、朱実と出会い、まだ赤ん坊の孫を見ても許せんと慟哭するが、結局この孫によって武蔵とお通への憎しみが消えることになる。
一瞬の出来事で全てを洗い流してしまう描き方は物足りなくも思われるが、老人にとって孫の力は計り知れないものがあることは私自身も経験していることで、お杉婆の気持ちはよくわかるのだ。
巌流島へ武蔵を見送る場面では、それまでとは違った柔和な顔になっていて浪花千栄子の上手さを感じた。
朱実の養母であるお甲は大金を持って祗園藤次と蓄電したはずだが、その後全く登場していない。
又八とも関係があった女だが、物語の進行上で関係がなくなり消え去ったのだろう。
お通との恋模様は前作で一応の形を見せていたが、本作でははっきりと妻として見送ってくれと言っているし、お杉婆も二人の仲を認めたようだ。

このシリーズは人間武蔵を描きながら、武芸者として成長していく過程を描いているのだが、人間の内面に切り込んでいくような鋭さがないものの、大衆娯楽作品として随分格調高く撮られている。
中村錦之助の代表作に数えられてもいい作品になっていたし、東宝版の三船敏郎、松竹版の高橋英樹の武蔵と比較してもその存在感は第一だろう。
後年、同じく内田吐夢監督で「宮本武蔵 真剣勝負」が撮られた。

宮本武蔵 二刀流開眼

2023-04-14 07:12:16 | 映画
「宮本武蔵 二刀流開眼」 1963年 日本


監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 入江若葉 木村功 浪花千栄子 阿部九州男
   竹内満 木暮実千代 丘さとみ 江原真二郎 平幹二朗
   河原崎長一郎 南廣 香川良介 国一太郎 鈴木金哉
   遠山金次郎 薄田研二 堀正夫 神田隆 片岡栄二郎
   外山高士 波多野博 江木健二 谷啓

ストーリー
般若野で不逞の浪人の群を倒した武蔵は城太郎をつれて柳生石舟斎宗厳の城に向い、この剣聖と剣を交えようとしたが果せない。
吉岡清十郎の弟伝七郎もまた石舟斎に会おうとするが、お通を通して拒絶されてしまう。
一方、武蔵は柳生四高弟と剣談を交えるところまでこぎつけたが、城太郎が紀州公より賜った柳生家の愛犬を打ち殺したことから、高弟たちと対立した。
そのとき、お通の笛の音が流れ、ハッとした武蔵の袖口が相手の真剣に大きく裂けた。
瞬間、武蔵は小刀を抜き放って、図らずも二刀流の構えを見せる。
翌日、右舟斎の庵の前に立った武蔵は庵内にお通の姿を認め、お通も武蔵に気付いた。
が、次の瞬間、武蔵は逃れるように姿を消した。
そのころ、吉岡の門弟祇園藤次は旅先で燕返しの秘剣を身につけた佐々木小次郎を知り、更にふとしたことから清十郎も彼の太刀さばきを見て、小次郎を吉岡道場の客として招き入れる。
さて、伏見城の改修工事に従事していた本位田又八は、小次郎あての免許皆伝の状を偶然手に入れ、小次郎の名を騙って京に出たが、そこで、清十郎に体を奪われた上、母お甲は藤次と逐電、という悲運に見舞われた朱実に逢い、それがもとで小次郎に化けの皮をはがされる。
一方、清十郎ばついに宿敵武蔵との対決を決意した。
五条大橋で「洛北の蓮台寺野で、九日の卯の下刻」とあるこの高札を朱実も、お通も見ていた。
そして武蔵も―――。しかし、武蔵の眼は遠く枯柳に寄りかかっている小次郎にそそがれていた。
二人は宿命的ななにかを感じたようであった。
小次郎に止められたが、清十郎はひくにひけず、その日は来た・・・。


寸評
前作のラストシーンから始まり物語の連続性が保たれる。
宝蔵院との戦いを終えた武蔵は柳生の里を訪れ、柳生石舟斎との立ち合いを熱望する姿から始まる。
柳生の里では吉岡清十郎の弟である伝七郎も登場するが、プライドだけが高くて腕は大したことがない事が描かれ、後の対決の興味はそがれる形となっている。
石舟斎、武蔵が共にその腕のただならぬことを見抜くシーンはなかなか面白い。
武蔵は柳生の高弟たちと立ち会い、とっさに小太刀も抜いて二刀流の構えを取る。
宮本武蔵と言えば二刀流と連想ゲーム的に思い起こすが、二刀を構えた武蔵に対し、柳生の高弟が「二刀流・・・」とつぶやくことで二刀流の誕生を描いている。
真剣の重さを考えると二刀を構えるのには相当の腕力が必要だと思われる。
肖像画その他から武蔵は180センチはあったと思われ、当時としては大男でそれくらいの腕力があったのだろう。
ここで咄嗟にとった構えが副題となっている「二刀流開眼」となるわけだが、二刀流の構えはこの一度きりで再び見せることはない。
武蔵は自然と共に生きる石舟斎の心を読み取り柳生を去るが、求道者としての成長を物語るシーンでもあった。
すれ違い物語の側面も持っているので、ここで出会ったお通と言葉を交わすことはなく別れてしまう。

やがて雌雄を決することになる佐々木小次郎が登場する。
吉岡清十郎は門弟と争う小次郎を見てなかなかの使い手であることを見抜くが、小次郎も馬から飛び降りた清十郎の動きを見てその腕を評価する。
しかし道場で弟子と打ち合う木剣の響きを聞いて小次郎は清十郎の腕も大したものではないと悟る。
こうなってくると、武蔵と吉岡兄弟の対決は結果が出たようなものだ。
清十郎の弱さは何かにつけて描かれ、弟伝七郎の腕も柳生での出来事で描かれているからだ。
それでも名門の意地で清十郎は武蔵との決闘に出向く。
創業家の二代目で、先代の威光と実力差に悩んでいるが家業(道場)を継がねばならない宿命があって、プライドと威厳を保とうとする姿は現代社会にも通じるものだ。
柳生石舟斎が言うようにプライドだけが高い名家の子は始末に負えないということだろう。

武蔵は吉岡一門と三度対決するが、第一戦目が清十郎との蓮台寺野での決斗で、本作でそこに至る経緯が描かれている。
予想通り清十郎は武蔵の敵ではなく一撃で倒される。
腕の骨を木っ端みじんに打ち砕かれており、小次郎によってその腕を切り落とされる。
名門吉岡のプライドから戸板を降りて歩いて帰ろうとするが、その姿は敗れた兵法者の無残な姿である。
武蔵もいつそうなるか分からない道を歩んでいるが、その光景を見たお通も武蔵の歩む道の険しさを知ったことだろうし、恐怖心も持ったのではないかと思うのだが…(読み過ぎか?)。
武蔵は所詮やる相手ではなかったと立ち去るが、その時夕日が真っ赤に染まる。
内田吐夢が好きそうな幕切れだった。

宮本武蔵 般若坂の決斗

2023-04-13 07:23:28 | 映画
「宮本武蔵 般若坂の決斗」 1962年 日本


監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 入江若葉 木村功 浪花千栄子 阿部九州男
   三国連太郎 木暮実千代 丘さとみ 佐々木孝丸
   江原真二郎 河原崎長一郎 南廣 香川良介 国一太郎
   竹内満 堀正夫 月形龍之介 黒川弥太郎 山本麟一
   大前鈞 中村錦司 村田知英子 玉喜うた子 久岡恵美子

ストーリー
白鷺城の暗黒蔵にこもること三年、武蔵(中村錦之助)は名を宮本武蔵と改め、沢庵(三国連太郎)に別れを告げて剣の旅に出た。
同行を願うお通(入江若葉)が約束の花田橋に駈けつけたとき、武蔵の姿はすでになかった。
三年後、京は祗園の色里で吉岡清十郎(江原真二郎)がお甲の娘朱実(丘さとみ)にうつつを抜かしていた。
武蔵の幼馴染の本位田又八(木村功)は、お甲(木暮実千代)の名ばかりの亭主だ。
清十郎が伊勢に旅立った日、吉岡道場に現れた武蔵は門人数名を敗った。
清水坂で武蔵に果し合をいどんだのは本位田家のお杉婆(浪花千栄子)と権叔父(阿部九州男)だが、武蔵は相手にせず逃げ去った。
木賃宿で逢った城太郎少年(竹内満)が青木丹左衛門の一子と知り、武蔵は弟子にすると約した。
醍醐道で追いついた城太郎は、武蔵に又八からの書状を渡した。
吉岡道場千人の門下が意趣をふくみ、武蔵を捜しているという。
武蔵が清十郎に書いた手紙を城太郎が大和街道で落したとき、市女笠の旅の女--お通が教えてくれた。
一方、奈良奥蔵院裏の畑で、武蔵は鍬を手にした老僧日観師(月形龍之介)のただならぬ気魄に舌を巻いた。
訪ねる宝蔵院の胤舜(黒川弥太郎)は不在で、どの修業者も高弟阿巌(山本麟一)の敵ではなかった。
が、武蔵の鋭い木刀に阿巌は血を吐いて息絶えた。
その武蔵に「強さをためねばならぬ」と戒しめたのは日観で、武蔵は「敗れた!」と呟いた。
その頃、奈良には素性の知れぬ牢人衆が多く流れ込み、町を荒らし回っていた。
そして、武蔵に恨みを抱く牢人たちは宝蔵院の荒法師たちを煽動して、武蔵を囲んだ。
武蔵は奮然と斬りまくると、加勢するはずの法師たちは、逃げる牢人衆を片端から突き伏せた。
奈良の町を大掃除しようと、日観師が胤舜に策を授けたのであった。


寸評
京八流の末流だったとも言われる京流の吉岡一門が登場する。
メインは槍の宝蔵院との対決だが、それまでにお甲や朱実、お通などの女性陣に加え、本位田又八とその母であるお杉婆など、このシリーズを彩る人物がわずかではあるが登場する。
新たな人物として城太郎少年が登場するが、この少年は青木丹左衛門の一子である。
第一作を見ていない観客には青木丹左衛門とは誰なのかよくわからないが、姫路城主池田輝政の家臣で武蔵を召し取りに来てお通に入れあげた武将である。
どうやら叱責されて武士を捨て、一子城太郎を奉公に出していたようである。
城太郎は父と武蔵の関係を知らないが、事情を知る武蔵は城太郎を弟子にする。
この武蔵と城太郎の関係は青木丹左衛門という名前を聞きもらすと上手く理解できないかもしれない。

武蔵はどこでどのように修行を積んだのかわからないが、いっぱしの武芸者となっている。
腕も相当上達していそうだ。
武蔵は吉岡道場の道場荒らしを行った後、奈良の宝蔵院を目指す。
関ヶ原に始まり、岡山から姫路、京都から奈良と関西近辺をうろついていることになる。
宝蔵院と言えば槍術が有名でというか、どうしたわけか宝蔵院と言えば槍術だと僕の頭に刷り込まれている。
宝蔵院流槍術は奈良の興福寺の僧宝蔵院覚禅房胤栄が創始した十文字槍を使った槍術だと記憶するが、ここでの宝蔵院の僧たちは普通の槍を使っていて、十文字槍を使っていない。
宝蔵院では阿巌と立ち会うのだが、 阿巌の槍術はすさまじく立ち会った武芸者の中には命を落とすものもいて、武者修行の武芸者たちも尻ごみをするくらいである。
それでも武蔵は阿巌と立ち会うのだが勝敗の行方は日観が見抜いていた。
日観が静止するのも聞かず戦いを挑んだ阿巌は一撃で倒される。
一撃で倒されることを強調したいのだろうが、一撃を受けた阿巌の姿を捉えるだけであっけない幕切れだ。

宝蔵院の僧達との対決場面は般若野で繰り広げられる。
武蔵が宝蔵院への落首をまき散らした恨みで、牢人衆と共に武蔵をやっつけるために武蔵を般若坂に誘い出したのだが、それは日観と胤舜のたくらみであったという筋書き。
その場面の当初の描き方はあたかも宝蔵院も武蔵を打ち取るかのような描き方である。
それは策略だったという結末なのだが、宝蔵院と武蔵の一大対決と思わせるならもう少し事前にそれと思わせる仕掛けを描いておいても良かったかもしれない。
胤舜の強さもどれくらいのものだったのかは分からぬままである。

般若野では牢人衆を相手に、武蔵となって初めての衆人相手の決斗を行う。
斬って斬って斬りまくる立ち回りで、昨今では当然となっている切り刻む音は使われていないが血しぶきが上がり首が跳ね飛ぶシーンが続き、プログラムピクチャとしてのチャンバラ映画の醍醐味が味わえる。
武蔵は日観に対して一目置いたはずだが、闘いが終わって殺しておいて供養するのは欺瞞だと叫ぶ。
このラストシーンは、武蔵が武芸者としてだけではなく、求道者としての一面を見せたシーンだったように思う。

宮本武蔵

2023-04-12 07:02:06 | 映画
シリーズの最高傑作「宮本武蔵 一乗寺の決斗」は2020/5/3で紹介していますので、今回はそれ以外を。

「宮本武蔵」 1961年 日本


監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 風見章子 入江若葉 木村功 浪花千栄子
   阿部九州男 三国連太郎 花沢徳衛 坂東簑助
   木暮実千代 丘さとみ 加賀邦男 宮口精二 赤木春恵

ストーリー
慶長五年九月、関ヶ原の合戦で西軍豊臣方は惨敗に終った。
作州宮本生れの郷士の伜、新免武蔵(中村錦之助)と本位田又八(木村功)は野望を抱いて西軍に加わったが傷ついて、もぐさ家のお甲(木暮実千代)とその養女朱実(丘さとみ)に救われた。
この母娘は戦場荒しを稼業とする盗賊だったが、ある日、お甲の家を野武士辻風典馬の一隊が襲った。
武蔵は典馬を殴殺し、又八は手下を追いちらした。
そんな二人にお甲の誘惑の手がのびて、又八は許嫁のお通(入江若葉)を忘れお甲とともに姿を消した。
豊臣方の残党狩りが厳しく続く中、宮本村に向った武蔵は人殺しを重ねつつ故郷に向かった。
その頃、お通のもとに又八からの縁切状が届いた。
又八の母お杉婆(浪花千栄子)と権六叔父(阿部九州男)は、又八の出奔を武蔵のせいにして恨んでいた。
農繁期の盛りに百姓達は武蔵召捕りのためにかりだされた。
みかねた沢庵(三国連太郎)はお通と二人で武蔵を生け捕りにしてきた。
沢庵は境内の千年杉に武蔵を吊るしあげ、人間としての道を諄諄と武蔵に説いた。
沢庵の大きな心を知らないお通は武蔵を哀れに思い、武蔵を助け共に宮本村をのがれた。
武蔵は、囮として捕えられている姉を救出せんと日倉の牢に向ったが、姉は沢庵に救われていた。
沢庵は武蔵を姫路の白鷺城に連れていき、そして天守閣の開かずの間に武蔵を残し去っていった。
強いだけの武蔵に学問を習わせようというのだ。
一方、お通は花田橋の竹細工屋喜助(宮口精二)の店で武蔵が出てくるのを待つことになった。
宮本村では、権六叔父を供に連れたお杉姿がお通成敗の悲願をかけて旅立った。


寸評
剣豪と聞いてまず名前が挙がるのが宮本武蔵だろう。
上泉伊勢守信綱、伊東一刀斎、塚原ト伝、柳生石舟斎なども強かったと伝え聞くが、知名度では圧倒的に宮本武蔵がリードしている。
それは吉川英治の小説「宮本武蔵」によるところが大きいのだが、内田吐夢の5部作(「真剣勝負」を入れると6部作)も大いに貢献しているかもしれない。
第一作なので関ヶ原の戦いに西軍の宇喜多勢として参加して敗軍となり逃げ帰るところから描かれている。
後に重要な登場人物となるお甲、朱実親子とも出会い、野武士の辻風典馬一味と乱闘を繰り広げている。
後は故郷に帰っていざこざを起こしながらも沢庵和尚に助けられ、姫路城の天主に幽閉されて悟りを開くまでが描かれる。
ヒロインであるお通は本位田家の嫁となることが決まっているが、又八がお甲と出来たこともあって武蔵と共に作州の宮本村から出奔する。
お通は本位田家の嫁になることを承知していたようだが、又八、お甲の連名書簡を受け取ってからは、又八への思いは消えたようである。
それがどうして突如とも思える武蔵への思慕へと変わってしまったのだろう。
実は昔から武蔵を慕っていたという風でもなさそうなのだが、何か唐突としたものを感じた。

セット撮影が多いが、建物だけでなく野山のセットや背景の絵画など、当時の映画界には職人が大勢いたことを画面を見ていると知らされる思いがする。
出演陣では当時の東映では唯一演技派と言える中村錦之助が(僕はそう思っている)、ギラギラした新免武蔵を熱演している。
キャスティングのクレジットでも、改名前なので宮本武蔵ではなく新免武蔵としてクレジットされている。
存在感を示すのは浪花千栄子のお杉婆である。
悪態をつくセリフ回しと風貌がやけに印象に残り、理不尽にお通と武蔵を恨んで追いかける動機付けに成功していると思うし、流石の沢庵和尚・三國廉太郎も影が薄い。

武蔵は姫路城の天守に幽閉されるが、そこは赤松一族が滅亡した場所でもあり、血と共に彼等の怨念が残っている場所である。
ここでの演出は後年でも見られた内田吐夢流の演出が見受けられる。
流された無益な血が柱の下から湧き出てきて、床に沁み込んだ血の跡がくすぶり始める。
武蔵が悟りを開く場面では、暗闇だった天主の壁に光が差し込み朱色に浮かび上がりるという演出だ。
眼光鋭い武蔵のアップでエンドマークが出るが、第一作で一番迫力ある場面だった。

プログラムピクチャと呼ばれる大量に送り出された作品群の中に、このような作品が紛れ込んでいた時代が懐かしくなってくる。
毎週代わる上映作品を楽しみにして何の気なしに行った映画館で、今週の映画は違ったなと自然と湧き上がる満足感を感じた時代だった。

宮本から君へ

2023-04-11 07:18:19 | 映画
「宮本から君へ」 2019年 日本


監督 真利子哲也
出演 池松壮亮 蒼井優 井浦新 一ノ瀬ワタル 柄本時生 星田英利
   古舘寛治 松山ケンイチ 佐藤二朗 ピエール瀧 左時枝
   北川裕子 螢雪次朗 梅沢昌代 小野花梨 新井英樹 工藤時子

ストーリー
文具メーカー、マルキタの営業マン宮本浩(池松壮亮)は、喧嘩をして前歯を折り、腕にギプスをするケガをして、相手にも全治2か月のケガをさせ、これから結婚して子供ができるというのに、そんなことでやっていけるのかと、岡崎部長(古舘寛治)にしぼられる。
宮本は婚約者の中野靖子(蒼井優)を両親に初めて紹介するが、「この娘と結婚するから」という言い方を母親は気に入らず、靖子が妊娠していることを息子がちゃんと話さないのも気に入らない。
だが、宮本には二人のなりそめを話しづらい理由があった。
靖子は、マルキタを辞めて独立した、宮本の先輩・神保和男(松山ケンイチ)の仲間だった。
ある晩、靖子の部屋で宮本が食事をしているところに、靖子の彼氏だった風間裕二(井浦新)が現れる。
宮本は帰ろうとするが、裕二が「宮本と何度もやった」と嘘をついた靖子を殴るのを見て「中野靖子は俺が守る」と叫んでしまう。
裕二が去った後、靖子は裕二と切れるために宮本を利用したことを詫びるが、靖子を守るという宮本の気持ちは本気だった。
靖子は裕二の匂いのついた布団を外へ投げ捨て、宮本と激しく体を重ねる。
靖子は宮本を海に近い町で電器店を営む実家に連れていく。
宮本は歓迎されるが、靖子の父は娘が既に妊娠していることが気に入らなかった。
宮本は営業先の泉谷建設・馬淵部長(ピエール瀧)、彼の親友の太陽製菓・大野部長(佐藤二朗)に気に入られ、彼らの飲み会に参加することになり、恋人になった靖子も呼ばれた。
宮本は調子に乗って日本酒の一升瓶をラッパ飲みして酔いつぶれてしまう。
宮本と靖子を自動車で送らせるために大野が馬淵の息子の拓馬(一ノ瀬ワタル)を呼び寄せる。
最初は好青年と思われた拓馬が、靖子の部屋で泥酔した宮本が寝込んでいるうちに靖子をレイプしてしまう。


寸評
時間が飛んだりしているが難解ではない。
人と人との格闘の物語であり、精神と肉体の格闘の物語でもある。
始まるとすぐに池松壮亮の宮本がボコボコにされた姿で登場するのだが、僕はそのシーンから画面に引きずり込まれ最後まで息つく暇がないほどの迫力を感じた作品だった。
宮本は靖子を伴って実家を訪問する。
母親は、「この娘と結婚するから」という報告的な言い方が気に入らず、靖子が妊娠していることも気に入らないようなのだが、宮本は「そんなことは関係ないだろ!」と声を荒げる。
親としては当然の気持ちだろうが、男としてはそんな風に答えてしまうのも分らぬではない。
僕は母子家庭で育ったのだが、結婚を決めた時には「式場を決めてきたから」と報告し、母親から「お前は何も言わない」とグチられたことを思い出す。
また相手の育ちを気にした母の態度に、宮本と同様「そんなこと関係ないだろ」と言い放ったことも記憶にある。
もう何十年も前の話で、母親には可哀そうなことをした若気の至りであったと思う。
靖子の父親は結婚を認めながらも、「東京に行く時には、このようなことはしないと約束したはずだ」と言い、許しはしたが素直に祝福できない態度を示す。
すっかり歳をとった僕は、父親の気持ちとして理解できる。
宮本は両家からあまり色よい態度を示してもらえなかったが、まっしぐらに靖子との結婚に進んでいく。
男には負けられない喧嘩があると意気込む姿に熱いものを感じる。

体力に劣る宮本は二度にわたって拓馬にボコボコにされる。
格闘場面としては二度目に当たる高層アパートの非常階段で繰り広げられるシーンがスゴイ。
決死の思いで戦いを挑むが返り討ちにあいそうになる。
そこから反撃に出るが、非常階段の9階からお互いに落ちそうになりながら格闘する。
相手の拓馬が何とも憎らしい奴であることも手伝って、完全に宮本に肩入れしてしまう。
宮本にとっては、反則技を使ってでも勝たねばならない戦いで、なかなか迫力のあるシーンとなっている。
実はこの前に拓馬の父親の馬淵は、息子と靖子のことで争いをして大けがを負わされ入院させられている。
馬淵は息子の非を認めながらも、それでも親子だから守らねばならないと宮本に伝える。
宮本は命がけで介抱しないといけないようにしてやると馬淵に詰め寄るのだが、この時の池松壮亮には役者の凄みを見る思いがする熱演を見せる。
役者の凄みは靖子の蒼井優も同様である。
宮本と身体を重ねるシーンには彼女の根性を見た思いがする。
すっぴんの蒼井優が宮本と呼び捨てにして怒鳴りまくる姿は正に女優を感じさせた。
宮本は熱い。 一途な男である。
そんな男だから柄本時生の田島も、井浦新の風間も存在を認めているのだろうし、僕も宮本に同化できる。
生まれてくる子は拓馬の子でない事は確かだが、風間の子か宮本の子か分からない。
しかし風間が祈るように宮本の子であってほしいと思うのだが、宮本は誰の子であれ親子仲良く暮らしていくだろうと思わせるすさまじいラブ・ストーリーを描いた真利子哲也の演出は力強い。

壬生義士伝

2023-04-10 07:15:19 | 映画
「壬生義士伝」 2002年 日本


監督 滝田洋二郎
出演 中井貴一 三宅裕司 夏川結衣 中谷美紀 村田雄浩
   佐藤浩市 塩見三省 堺雅人 野村祐人 斎藤歩
   加瀬亮 山田辰夫 伊藤淳史 伊藤英明

ストーリー
明治三十二年、東京市。
冬のある夜、満州への引っ越しを間近に控えた大野医院に病気の孫を連れてやってきた老人・斎藤一は、そこにかつて新選組で一緒に戦った隊士・吉村貫一郎の写真を見つける…。
盛岡の南部藩出身の貫一郎は、純朴な外見に似合わない剣術の達人であった。
が、その一方で名誉を重んじ死を恐れない武士の世界に身を置きながら、生き残ることを熱望し、金銭を得るために戦った男でもあった。
全ては、故郷で貧困に喘ぐ家族のため。
脱藩までして新選組に入隊した彼には、金を稼ぎ、愛する家族のために生き残る必要があったのだ。
斎藤はそんな貫一郎を嫌ったが、反面、一目置くところもあった。
時が過ぎ、大政奉還。
一転して賊軍となった新選組は、官軍の制圧に遭い壊滅状態に陥る。
ところが、貫一郎だけは脱藩で裏切った義を二度と裏切れないと、たったひとりで最後まで戦い抜いた。
そして、傷ついた彼は大阪蔵屋敷の差配役として赴任していた幼なじみの大野次郎右衛門の情けで、官軍に引き渡されることなく、故郷を想いながら切腹したのだった。
思いかけず、次郎右衛門の息子・大野千秋から、気になっていた貫一郎の最期を聞くことが出来た斎藤。
彼は、貫一郎の娘で今は千秋の妻となった小児科医・みつの診断を終えた孫を連れ、夜の道を帰っていった。


寸評
主人公の吉村貫一郎は架空の人物であるが、南部藩盛岡の出身である。
南部藩は江戸時代に何十回も飢饉に襲われた過酷な藩であったことは事実の様だ。
彼は剣術に優れ学問も有しているようなのだが、下級武士のため貧困に苦しんでいて、口減らしにために妻は自殺を試みているという極限状態に身を置いている。
その為、彼は脱藩し新選組に入隊するのだが、いわば二度と帰れぬ出稼ぎに出たわけだ。
そんな状況を考えると妻の吉村しづ(夏川結衣)はちょっと元気すぎるなあ。
それは夏川結衣のキャラクターによるもので致し方のないことか。

新選組は物語になりやすい集団で数々の作品に登場する。
近藤、土方、沖田などが何度も描かれてきたが、ここでは近藤勇を俗物として描いている。
しかし近藤は脇役にしか過ぎず、新選組の主人公は佐藤浩市が演じる斎藤一だ。
斎藤一は剣豪としてしられ、描かれたように左利きだったことも事実らしい。
永倉新八などと同様に新選組の生き残りとして明治維新後も生き延びた。
後に新政府側の警察官となり、西南戦争にも従軍し宿敵だった薩摩と闘い積年の恨みを晴らしたようだ。
そのことはともあれ、斎藤は人のよさそうな馴れ馴れしい吉村を気に食わない。
気に食わない男は判らぬところで切り捨てている男である。
斎藤は近藤に媚びを売る谷三十郎も気に食わないでいる。
浪士襲撃の時にその谷が卑怯な振る舞いをするのを目にして彼を暗殺する。
犯人かどうかは分からないが、彼が犯人であることは明白だ。
ちなみに谷三十郎暗殺事件は本当にあって、その犯人は斎藤一だと疑われていたこと、暗殺を命じたのは土方歳三だったなどという説もある。
土方が暗殺を命じたのは谷の息子が近藤の養子となって、谷が増長してきたことを不快に思ったことによるというものらしいが、作中でも息子の周平(加瀬亮)が養子になるシーンが描かれていた。

斎藤は吉村も始末しようとしたが互角の腕のため殺害を断念する。
そこからは吉村の新選組での命を惜しむ守銭奴としての姿と、南部藩時代の出来事が交互に描かれていく。
彼が命を惜しむのは愛する家族に会いたいためであり、守銭奴と化しているのは貧困に苦しむ家族に仕送りを行うためである。
それからすればこれは紛れもなく家族愛の物語なのだが、どうもそのあたりのパンチ力が弱い。
さげすまされながらも義に生きた吉村という視点にしても切り込み不足感がある。
吉村は伊東甲子太郎(斎藤歩)に脱隊に誘われるが、藩を裏切った自分は二度裏切ることはできないと断る。
その毅然とした態度に斎藤も意外だと思うのだが、吉村の抱いている義がどの程度のものであるのかは、その一件だけでは描き切れていなかったと思う。
従って吉村の最後も間延びしていたし、南部藩が大野次郎右衛門(三宅裕司)の主張で奥羽列藩同盟に加わり政府軍に立ち向かうことも盛り上がりに欠ける結果となっていたように思う。
僕は吉村貫一郎より斎藤一の描かれ方に興味が持てた。

ミツバチのささやき

2023-04-09 07:14:19 | 映画
「ミツバチのささやき」 1973年 スペイン


監督 ヴィクトル・エリセ
出演 アナ・トレント イザベル・テリェリア
   フェルナンド・フェルナン・ゴメス

ストーリー
1940年頃、スペイン中部のカスティーリャ高原の小さな村オジュエロスに巡回映写のトラックが入っていく。
映画は「フランケンシュタイン」で、喜ぶ子供たちの中にアナと姉のイザベルがいた。
その頃父のフェルナンドは、養蜂場でミツバチの巣箱を点検する作業をしている。
母のテレサは、室内にこもって、内戦で荒れはてた家や人々の様子を手紙に書き綴っている。
いったい誰に宛てている手紙なのか、毎週のように、駅に向かい、列車に投函する。
公民館のスクリーンには、少女が怪物フランケンシュタインと水辺で出会う美しいシーンが展開している。
そのシーンに魅入られたアナは姉からフランケンシュタインが怪物ではなく精霊で、村のはずれの一軒家に隠れていると聞き、学校の帰りにアナはイサベルに精霊が住んでいる村のはずれの一軒家に誘われた。
夜ふけに一人起き上ったアナは外に出る。
列車から兵士が飛び降り井戸のある家に入って行く。
彼は足をけがをしていて動けない様子で、アナに拳銃を向けるが子供だと知るとやさしくなる。
二人はアナが持って来た父のオルゴール時計で遊ぶ。
その夜、井戸のある一軒家に銃声が響いた。
翌朝、フェルナンドがオルゴール時計のせいで警察に呼ばれる。
公民館に横たえられた兵士の死骸、食事の席でオルゴール時計をならすフェルナンド、井戸のある家に行き血の跡を見つめるアナ。
その日、夜になってもアナは帰らなかった。
そのころ、森の中のアナの前に、映画で見た怪物そっくりの精霊が姿をあらわした。


寸評
一般的に評価の高い作品であるが、僕はこの映画を理解することに困惑している。
荒い画質とともに、上映されている「フランケンシュタイン」を映しとる場面が何度か出てくるのだが、その映画を度々描く意味はどこにあったのか、父親のフェルナンドがミツバチについて語る意味、所々で起きる事件のあらわすものなどが、見ているうちに頭の中でこんがらがってきたのだ。
スペイン内戦の終結直後の1940年を舞台としていて、フランコによる独裁政治が終了する数年前に製作されたこの映画は彼の独裁政治を批判していると言われれば、無理やりこじつければそう思う箇所もないではない。
そう思って見ないといけない作品なのかもしれない。

アナの母は誰に書いているのか分からないが、手紙を列車に備わっているポストに投函している。
その姿を見ると養蜂所に勤めている夫との関係は冷ややかで、家庭は崩壊しているのではないかと思われる。
スペイン内戦によるスペインの分裂の象徴だというのだが、それを想像するには相当のスペイン通であり、且つ想像力豊かでなければならない。
母親のテレサが出していた手紙の相手は誰だったのだろう。
僕は列車に乗っている兵士と不倫関係にでもあるのかと思ってしまった。
父親のフェルナンドがミツバチの生態に対する嫌悪を語る場面が何回か出てくる。
政権批判が埋もれているとすれば、女王バチのために何も考えずに働くミチバチを嫌悪するのだが、それは統率がとれているかに見えるフランコ政権の下で、その圧政に甘んじている社会を糾弾しているということなのか。
アナが精霊が住むと信じている廃墟に脱走兵らしき男が逃げ込んでくる。
そこでアナはこの男と出会い、男は銃を身構えるが子供と分かり優しくする。
アナにとってこの男は精霊であり、何かと世話を焼くのだが、しかしこの男が言葉を発するシーンはない。
この男は追手に見つかり、発言する機会のないまま廃墟の中で射殺されてしまう。
射殺される直接的な場面はなく、せん光が暗闇の中で音と共に光り、男の殺害が暗示される。
ロングショットでとらえたこのシーンは、映画の持つ雰囲気を継続しているいいシーンだが、アナにとっての精霊がいなくなった瞬間でもあったのだと思う。
アナはその後、行方不明となりモンスターと出会う。
発見後のアナは言葉を失い食欲もなくす。
一体、何を言いたいのだろう。

フェルナンドが語るミチバチ談義は興味を引く。
ミチバチは利己的な行動を取らず、生存を目的として本能に従い迷うことなく行動している。
死の意識はなく、自ら死を選ぶとすれば仲間がいる巣から飛び去るしかない。
人間は全く逆であり、死の概念を持っている。
死の概念を持っているのだから、生の意義も感じているはずだ。
アナは蜂の巣を模した部屋から光を感じるが、それは生きている意味を悟り、スペインの明日を信じたということだったのだろうか。
なんだか理屈をこねているようで、いやな映画の見方になってしまった。

M:i:III

2023-04-08 13:32:02 | 映画
「M:i:III」 2006年 アメリカ


監督 J・J・エイブラムス
出演 トム・クルーズ フィリップ・シーモア・ホフマン
   ヴィング・レイムス マギー・Q ジョナサン・リス=マイヤーズ
   ミシェル・モナハン ローレンス・フィッシュバーン

ストーリー
アメリカCIAのスパイ組織IMFのトップエージェント、イーサン・ハントはスパイ稼業を引退し、婚約者のジュリアと自らの正体を明かさぬまま穏やかで幸せな日々を過ごしていた。
イーサンは引退後、教官として後進スパイの育成に励んできたのだが、教え子のひとりであるリンジーが闇市場の商人の周囲を探る任務に就いたまま行方不明になった。
イーサンはジュリアには仕事で出張に出ると嘘をつき、相棒のルーサーら仲間たちと共にリンジーの救出に向かい、無事に救出成功したかと思われたが、リンジーの脳内には小型爆弾が仕掛けられており、イーサンらの奮闘空しくリンジーは殺害されてしまった。
イーサンはジュリアと結婚式を挙げると、リンジーが生前追っていたブラックマーケットの商人デイヴィアンが事件の鍵を握っているとみて、デイヴィアンが潜伏しているとみられるバチカンへと仲間たちとともに飛び立った。
リンジーは生前にビデオメッセージを残しており、それによるとIMFの上官ブラッセルがデイヴィアンと結託して裏切り行為を働いていることを告げていた。
ブラッセルら上層部には一切報告しない極秘任務として、バチカンを駆け回ったイーサンのチームはデイヴィアンの身柄を確保、アメリカに連れ帰ろうとしたが、途中で何者かによるミサイル攻撃を受け、デイヴィアンを連れ去られてしまった。
デイヴィアンはジュリアが勤務する病院に押しかけて彼女を誘拐、デイヴィアンが狙う機密情報『ラビットフット』を48時間以内に探し出さないとジュリアを殺すと脅迫してきた。
その後、ジュリアの病院を訪れたイーサンはIMFの者に捕まり、本部に連行された。
ブラッセルの尋問にも口を割らないイーサンは、ブラッセルの部下マスグレイブから『ラビットフット』は上海にあると聞きつけ、IMFから脱出に成功すると上海に飛んだ。


寸評
「ミッション・イン・ポシブル」はトム・クルーズ主演の人気シリーズであるが、元はテレビドラマの「スパイ大作戦」で日本では1966年から1973年まで放送され、僕も毎週楽しみにして見ていた。
毎回決まりきったオープニンで始まるのだが、そのシーンが見どころでもあった。
当局からの指令は録音テープで届き「おはよう、ブリックス君」で始まり、最後は「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで」で終わる。
そして「なおこのテープは自動的に消滅する」と流れると、発火装置が作動してテープから煙が出て破壊される。
時代が変わって、指令の媒体はテープではなくなっているが内容は当時の形式通りである。

映画導入部にクライマックスシーンをちょい見せするのは、僕としてはあまり感心しなかったのだが、あとは最初から最後までアクションに次ぐアクション、見せ場に次ぐ見せ場の連続でまったく飽きさせない。
フィリップ・シーモア・ホフマンのふてぶてしい悪役ぶりも最高。
この類の映画は悪役が光ってこそ主人公が映えるから、全くの公式通りのキャスティングだった。
「007シリーズ」がボンド一人の超人的な活躍で目的を達成するのに比べ、こちらの面白さは、一言で言えばチームプレイの面白さで、メンバーが力を合わせて目の前の難関を突破していく。
それが徹底しているから、ひとりの仲間を敵から救うために命を賭けるのも、フィアンセを助けるために命を賭けるのも矛盾が無く納得できた。
そしてその行動原理が、MIFの幹部が「私は国益と民主主義のために働いている」と発する言葉と対になっていて、無意識の中で物語に深みを持たせていたと思う。
特殊装置や武器に始まり、携帯電話に至るまで、小道具の使い方も上手いと感じさせた。
これが三作目となるシリーズ物だが、今回の作品がずば抜けて面白い。
スカッとしたい映画を映画館で見たい分にはオススメ度100%だ。

先ずはイーサンがリンジーの救出に向かい彼女の救出に成功するのだが、リンジーは脳に小型爆弾を仕掛けられており殺害されてしまう。
巧みなストーリーテリングで引っ張って行けていたと思うが、冒頭でのリンジーに関する描写ではなぜリンジーが殺害されずに捕らわれていたのかが説明されていない。
リンジーを生かしておく必要が何処にあったのだろう。
疑問を積み残してそこからはバランスの良いアクションシーンが続き、ビジュアル的にも進歩を見せている。
バチカンでデイヴィアンを誘拐するくだりなどは実にスタイリッシュだ。
潜り込んだゼーン・リーがコンパクトに仕込んだ隠しカメラでデイヴィアンを撮影し、データーを転送してマスクを作成するくだりから、車で脱出しモーターボートで逃亡するまでのスピード感が素晴らしい。
上海では隣のビルから振り子の原理で目的のビルに侵入するアクションも見せるシーンとなっている。
イーサンはジュリアの救出に向かい上海の川沿いを駆け抜けるのだが、超高層が立ち並ぶところから風情が残る下町の様子が紹介されて海外ロケの良さが出ている。
アクションに次ぐアクションで中身は何もないのだが、それがこの作品の特徴でもある。
サスペンスとして裏切り者のエピソードがもう少し盛り上がりを見せれば更に評価が上がったと思う。

ミッション:インポッシブル

2023-04-07 06:46:19 | 映画
「ミッション:インポッシブル」 1996年 アメリカ


監督 ブライアン・デ・パルマ
出演 トム・クルーズ ジョン・ヴォイト エマニュエル・ベアール
   ヘンリー・ツェーニー ジャン・レノ ヴィング・レイムス
   クリスティン・スコット・トーマス ヴァネッサ・レッドグレーヴ
   インゲボルガ・ダクネイト エミリオ・エステヴェス
  
ストーリー
極秘スパイ組織IMFのリーダー、ジム・フェルプスの元に当局から指令が入った。
任務は、東欧に潜入しているCIA情報員のリスト“NOC”を盗んだプラハの米大使館員ゴリツィンと情報の買い手を捕らえることだが、盗まれたのは暗号名の情報だけで本名のリストは別にある。
ゴリツィンはそれを入手するため、明日の大使館のパーティに現れるらしい。
ジムの作戦に従い、イーサン・ハントをはじめとするIMFのメンバーは大使館に向かった。
しかし、作戦は敵に筒抜けで、ハッカーのジャック、工作員のサラ、監視役のハンナにゴリツィンまでが殺され、ジムも銃弾に倒れてしまう。
辛くも逃れたイーサンはCIAのキトリッジに会い、彼からIMFに内通者がいると聞かされる。
今回の作戦はそれを暴くために仕組まれたもので、ゴリツィンは囮だったのだ。
生き残ったイーサンは彼に内通者と見なされ、愕然とする。
彼はキトリッジとの会合の場であるカフェを爆破して逃走し、本当の裏切り者を探そうとする。
大使館の作戦で生き残ったジムの妻、クレアも無事アジトに戻り、イーサンは今までの状況を説明。
キトリッジは、内通者にNOCリストを盗ませたのは武器商人のマックスだと言っていた。
内通者の暗号名が“ヨブ”だと知ったイーサンは、その名を騙ってマックスに会い、ヨブのリストはCIAが用意したニセ物だと伝える。
さらに彼はマックスに取り引きを持ちかけ、全世界のNOCリストをヨブと交換することが決まった。
イーサンとクレアは、CIAを解雇されたタフガイのクリーガーと天才ハッカーのルーサーを仲間に加えて、次の作戦を開始するが、それは何とCIA本部の1室に侵入し、NOCリストを入手しようというのだ。
クレアの陽動作戦が成功し、イーサンは見事、NOCリストのダウンロードに成功した。
これを知ったキトリッジは、イーサンの母と叔父を麻薬密売容疑で逮捕し、彼をおびき出そうとする。


寸評
「スパイ大作戦」は1967年からテレビ放映されたアメリカのテレビドラマで、日本でも人気があり僕も視聴していたのだが、記憶に残るのは何と言っても毎回のオープニングだ。
スパイチームのリーダーであるジム・フェルプスにテープが届けられる。
テープを再生すると、「おはようフェルプス君」で始まり司令が下る。
そして最後に「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。成功を祈る」とのメッセージが流れ、テープから煙が出て消滅すると言うものだった。
時代が進み、録音テープからビデオテープに代わっているが(これも今となっては懐かしいメディアである)、「おはようフェルプス君」がないものの、オープニングはまさしく「スパイ大作戦」のそれで、往年のファンはそれだけで感涙ものだ。
しかし途中からこの映画は普通のスパイ映画に変質してしまっているので、「スパイ大作戦」を期待した者は裏切られた気分になってしまっただろう。

兆候は当初からあった。
それはメンバーが次々死んでしまうことで、仲間が一致協力して不可能を可能にするという面白さを捨て去っていることだ。
しかし、これは普通のスパイ映画なのだと思って見ると、そして「スパ大作戦」を知らない世代にとっては、リーダーのフェルプスが死んでしまうのも納得でき、彼の生存も容易に想像できるだろう。
新しいスパイ映画としてみると、欧米で秘密組織に潜り込んでいる諜報員の名簿が奪われているという背景が分かりにくいので緊迫感をそいでいるような気がする。
スタイリッシュでスピーディな展開は維持されているのだが、登場人物の人間的な魅力が消されてしまっているのが作品を軽いものにしている。
クレアのエマニュエル・ベアール、マックスのヴァネッサ・レッドグレイヴ、クリーガーのジャン・レノ、ルーサーのヴィング・レイムスなど魅力的なキャスティングがされていながら、彼等のキャラクターは機械的で人間的な魅力を感じないのだ。
フェルプスの妻だったクレアにイーサンが惹かれていく過程、マックスの不気味さと立場、データーの保存メディアを通じたクリーガーとイーサンの思惑などが非常に薄っぺらい。
ベルリンの壁がなくなり、ソ連が崩壊し、東西冷戦が過去のものとなったので、スパイ合戦が非現実的と感じるようになり、作品が裏切りをテーマにしているのも悪くはないが、第一作のテーマがどうしてこれなのかという疑問が湧いてくる。
当初はシリーズ化を考えていなかったのかなあ。

トム・クルーズのスター映画なので、CIAの本部に忍び込んだ場面で空中に浮かぶ彼の姿は目に焼き付くシーンとなっている。
それにしても、ラロ・シフリンのテーマは名曲であったのだと思わされる。
テレビ版でも使われたこのメロディがあちこちで使われていることが証明している。

ミセス・ダウト

2023-04-06 08:14:32 | 映画
「ミセス・ダウト」 1993年 アメリカ


監督 クリス・コロンバス
出演 ロビン・ウィリアムズ サリー・フィールド ピアース・ブロスナン
   ハーヴェイ・ファイアスタイン リサ・ジャクブ
   マシュー・ローレンス マーラ・ウィルソン ロバート・プロスキー 

ストーリー
7色の声を使い分ける声優のダニエルは仕事中にボスともめ、クビになる。
インテリアデザイナーの妻ミランダは、子供と遊ぶしか能のない夫にうんざりしていて、長男クリスの12歳の誕生パーティで子供や動物たちとバカ騒ぎをしたダニエルに、ついにミランダの怒りが爆発し離婚を宣言。
クリスの姉リディアと5歳の妹ナタリーも落胆するが、それ以上にショックだったのは、子煩悩なダニエルで、裁判の結果、養育権はミランダのものとなり、ダニエルは週に1度しか彼らに会えなくなった。
一方、ミランダは仕事を通じて昔の恋人スチュと交際を始める。
ミランダは留守中に子供の世話をしてくれる家政婦を雇う新聞広告を出すが、それを知ったダニエルは、オカマで映画の特殊メイクアップ・マンの兄フランクの協力で、初老のイギリス夫人に変身。
ミセス・ダウトと名乗ってミランダを訪れた彼はすっかり気に入られ、家政婦として雇われる。
ミランダも子供たちもダニエルとは気づかず、バレるのをごまかしながらも彼は子供たちを厳しくしつける。
ある日、クリスとリディアはダウトの正体に気づくが、パパの本心を知り3人だけの秘密にした。
その頃、ダニエルはTV局の社長ランディに気に入られ、新番組の打ち合わせにレストランに招待された。
ところが同時刻、同じ場所でミランダの誕生祝いがあった。
仕方なくレストランに向かった彼は、トイレで忙しく変装しながら、2組のテーブルを往復する。
酔ったダニエルは、スチュにいたずらを仕掛けてさんざんな目に遭わせるが、逆に正体がバレてしまう。
新しい家政婦を求めて面接を始めたミランダ達だったが、ある日、ダニエルの出演するテレビ番組を見た。
子供たちに対する愛情を知ったミランダは、ダニエルと和解した。


寸評
この手のドタバタ作品を撮らせると日本映画は足元にも及ばない所がある。
大笑いしてしまうシーンは随所にあるのだが、ホロリさせられるシーンも用意されていて作品を引き締めている。
その辺りの演出とバランスが上手くとれている。
ダニエルが声優であることでオープニングはアニメーションから始まり、この映画の雰囲気を予感させる。
ダニエルはすぐにクビになってしまい、その帰り道で子供たちと出会い長男クリスの誕生パーティを開くことにするのだが、この誕生パーティの様子がはじけていて現実にはありえないもので笑わせる。
移動動物園だと言って兎や馬などの家畜動物をいっぱい連れてきている。
部屋では友達も交えた子供たちに加えてダニエルも参加して大はしゃぎだ。
子供たちはそんな父親のダニエルが大好きなのだ。
ところが妻のミランダは逆にそんなダニエルが気に入らない。
いつの間にかミランダは何事につけてもガミガミ言うガミガミ女になってしまっていた。
しおらしかった女性が妻となって年数も経つと細かいことにもガミガミと言う女に変身してしまうものらしい。
子供が生まれれば尚更で、「女は弱し、されど母は強し」となって夫と妻の地位が逆転するのも珍しくはない。

ロビン・ウィリアムズの中年女への成り切りぶりが面白いと言うより感心させられてしまう。
メイク技術も流石にアメリカ映画でこなれていて、子供たちやミランダが気が付かないのを納得させられる出来だ。
家政婦として入り込み、掃除をするときのアクションなどには大笑いさせられる。
ダニエルは料理などできないのでレシピを見ながら挑戦するが見事に失敗してしまう。
そこでディナーの出張販売を依頼し見事にテーブルにセットすると帰宅したミランダを初め家族は大喜びする。
ダニエルが扮したミセス・ダウトに冷たくしていたリディアが謝りに出てきて「ママの笑顔を久しぶりに見た」と告げることをきっかけにして、ダニエルは徐々にミランダに負担をかけていたことを悟っていく。
ミランダに新しい恋人らしき男が出てきてすったもんだすることはあるが、徐々にダニエルが変心していく様はホッコリさせるものがある。
ミセス・ダウトとして子供たちの世話をするうちに、ダメ亭主だったダニエルが料理も出来るようになり部屋の片付けもきちんとやれるようになっていく。
ドタバタだけではない真面目なシーンも深刻さを伴わない形で描かれていることで作品への安心感が出ている。
バスの運転手に言い寄られても良かったが、それはそれで面白いオチが用意されていて、そのような小ネタが次から次に出てきて飽きない。

別居することで夫婦共々に精神的に安定した生活を送ることができるようになるのは分からぬでもない。
夫婦生活が長くなってくると、お互いに我慢し合って共同生活を送っていた側面もあるから、その我慢がなくなれば多分気楽な生活が送れるようになるのだろう。
つなぎとめている要因の一つが子供の存在だと思うのだが、ダニエルは毎日子供たちの世話を焼くことが出来るようになり、子供たちの養育という問題が解決される。
子供たちは母親が好きだったが、それよりもっと父親のことが好きだったのだ。
ハッピーエンドだけど、子供たちが成人した時にダニエルはどのような生活を送ることになるのだろうと思った。

岬の兄妹

2023-04-05 07:42:36 | 映画
「岬の兄妹」 2018年 日本


監督 片山慎三
出演 松浦祐也 和田光沙 北山雅康 中村祐太郎 岩谷健司 時任亜弓
   ナガセケイ 松澤匠 芹澤興人 荒木次元 杉本安生 風祭ゆき

ストーリー
とある港町造船所で働く良夫(松浦祐也)は、右足が上手く動かないという障害を持っていて、妹の真理子(和田光沙)は自閉症で、体は大きくても小さな子供のままだった。
目を離せないので鍵を閉めて仕事に行く良夫だったが、真理子はまたいなくなった。
真理子の迷子札を見て男性が保護して車で送ってくれたが、帰ってきた真理子を風呂に入れる時に衣服のポケットから一万円が出てきて、さらに下着からは男の体液のようなものがべったりと付いていた。
良夫は不景気のため造船所をクビになり、いよいよ家賃が滞り、電気まで止められてしまった。
やたらと外に出たがる真理子を連れ、ふと閃いた良夫はパーキングエリアに行き妹に売春をさせる。
何故か楽しそうな真理子に困惑するも、生きるために良夫は売春を続けていく。
やがて真理子が妊娠してしまったが、子供を堕ろすにも金がなく、良夫は時期的に子供の父親に違いないと思われる中村くん(中村祐太郎)に会いに行く。
しかし中村くんは逆ギレ、結婚どころか堕ろして当然とまで言われてしまう。
落ち込む良夫に造船所から、人が辞めたからまた働かないかと言われたが、あまりにも都合のいい話に良夫は憤りを覚える。
家に帰ると真理子は気持ちよさそうに寝ていたので、良夫は手に持ったブロック石を振り上げ真理子の頭に打ち付けようとした時、ふと真理子のお腹に目がいった。
そこにも命がある…、良夫はどうすればいいのか分からなくなった。
翌日、真理子が良夫にお気に入りの貯金箱を差し出すと、いつのまにか貯まっていたお金は下ろすことができる程になっていた。


寸評
タブーに挑んだような作品で決して明るい内容ではなく、また未来への希望を感じさせる内容でもないのにグイグイ引っ張る作品になっているのがスゴイ。
イジメられっ子の少年が無理やり真理子と初体験をさせられ、「生きていれば楽しいことも有るのですね」と言うのだが、この兄妹にそのような日々が訪れることを期待できるのだろうか。
良夫と真理子の兄弟は極貧の最下層に属する生活を送っている。
兄は片足が不自由な障碍者だし、妹は精神薄弱で淫乱の傾向もある。
良夫がリストラにあって生活費もままならない兄妹は家賃も電気代も払えない。
唯一の救いは良夫の友達らしい肇くんがいるぐらいである。
どうしようもない生活を送る兄妹を演じた松浦祐也と和田光沙のリアルすぎる存在感がこの映画を支えている。
特に真理子を演じた和田光沙の存在感が凄まじい。
脱ぎっぷりも凄いと思うのだが、それが卑猥でもなくエロチックでもない普通の姿に見えてしまうほどの自然体であることがこの映画の凄さでもある。
真理子の幼い頃の出来事としてブランコに揺られながら快感に浸る姿が描かれる。
ビックリするようなシーンとなっているのだが、真理子がセックスに積極的なのは持って生まれたものなのかもしれないと思わせる。
真理子が小人症の中村くんと度々の売春行為を行ったことで、良夫は中村くんに真理子との結婚を頼みに行く。
それは兄心からではなく厄介者を押し付けるためであって、見透かされたように中村くんから冷たくあしらわれるのだが、この時の中村祐太郎の演技もすごい。
和田光沙といい、中村祐太郎といい、この映画ではハンデを背負った人の描写が凄いとしか言いようがないもので圧倒される。
生きることの過酷さを描いていて、とても障碍者の性といった視点だけで語られるべき作品ではない。

兄は生きるために妹に売春をさせる。
ひどい仕打ちだと思うのだが、妹には充実した日々だったのかもしれないと思わせるところもある。
どん底の生活を味わっている兄妹なので、彼らは社会保障制度によって補助を受けられるはずなのにまったくその手続きを取っていない。
彼らの無知によるものなのか、社会はそんな彼らを見捨てているのか、彼らは一向に救われない。
産婦人科医は堕胎手術に7~8万はかかると言っていたが、どうやらか売春でいつの間にか貯まっていた金で堕胎できたようである。
売春行為で身ごもった子供を、売春行為で貯めた金で堕胎すると言うバカバカしい事をやっている。
堕胎を行った真理子は以前と人が変わったような表情で海辺にたたずんでいる。
そんな真理子を見つめる良夫の携帯が鳴るが、おそらく売春の相手からだろうから良夫はどうするのだろう。
何も変わらない以前の生活に戻るしかないのだろうか。
真理子の売春行為をやめる決断をしてほしいと願う。
真理子を見捨てられない良夫との兄妹愛が切なすぎる。
見終った時に僕は心の中でつぶやいていた、「生きるしかないのだ」と・・・。

ミケランジェロの暗号

2023-04-04 07:06:46 | 映画
「み」は2020/4/25の「ミクロの決死圏」から「ミスティック・リバー」「水の声を聞く」「水の中のナイフ」「道」「未知との遭遇」「ミッション」「ミッドナイト・イン・パリ」「宮本武蔵 一乗寺の決斗」「ミリオンダラー・ベイビー」に続いて、
2021/12/3の「ミシシッピー・バーニング」から「味園ユニバース」「乱れ雲」「乱れる」「ミッシング」「ミッドナイト・ラン」「蜜蜂と遠雷」「緑の光線」「ミニヴァー夫人」「身代金」「ミュンヘン」「ミンボーの女」まででした。
今回はそれ以外の作品を紹介します。

「ミケランジェロの暗号」 2010年 オーストリア

                          
監督 ヴォルフガング・ムルンベルガー                                
出演 モーリッツ・ブライブトロイ ゲオルク・フリードリヒ
   ウーズラ・シュトラウス マルト・ケラー ウーヴェ・ボーム 
        ウド・ザメル ライナー・ボック メラーブ・ニニッゼ
   カール・フィッシャー    クリストフ・ルーザー

ストーリー
ドイツのポーランド侵攻を翌年に控えた1938年、オーストリアのウィーン。
画廊を営むユダヤ人一族のカウフマン家は、ムッソリーニも欲しがるという国宝級の逸品、ミケランジェロの素描を隠し持っていた。
ある日、息子のヴィクトル・カウフマン(モーリッツ・ブライブトロイ)は、兄弟同然に育った使用人の息子ルディ・スメカル(ゲオルク・フリードリヒ)と久々の再会を果した際、その絵の隠し場所を教えてしまう。
しかし、ナチスに傾倒していたスメカルは昇進を狙ってそのことを密告、一家は絵を奪われ収容所へと送られる。
一方、ナチスは絵を取引の材料にイタリアと優位な条約を結ぼうとするが、奪った絵が贋作であることが発覚。
本物の絵をどこかに隠した一家の父ヤーコブ(ウド・ザメル)はすでに収容所で死亡、だが彼は息子に謎のメッセージを残していた。
ヴィクトルは絵の在りかも分からぬまま、母ハンナ(マルト・ケラー)の命を救うためナチスを相手に危険な駆け引きに出る。
恋人レナ(ウーズラ・シュトラウス)を巻き込んだ彼の作戦は成功するのか、そしてミケランジェロの絵はどこにあるのか…。


寸評
実によくできた脚本で、立場がころころ変わる展開をテンポよく見せるサスペンス映画でありながら、どこか喜劇的な滑稽さを兼ね備え、よくあるナチス映画と違ってナチスを小馬鹿にしたような作りが、肩をこらさず観客を画面に引きずり込んでいく。
本物のありかは容易に想像がつくが、それをものともしない切れ味のよさがあった。
サスペンス映画の常套とはいえ、間一髪のところで何度も局面が展開したり、とっさの判断でピンチを切り抜けるなどの処理も無駄がなく息つかせない。
その間の会話も小気味良かった。

ルディ・スメカルはカウフマン家の使用人の息子であるが、亡くなっている使用人もルディも家族同様に過ごしていたらしく、二人は幼なじみである。
しかし、戦争と人種の違いが二人を対決へと向かわせてしまう。
それなのに、全編を通じてヴィクトルとルディは憎み合っていないという雰囲気を映し出し、父も母もルディを許しているように思えるのがこの映画に可笑しさと同時に余韻を醸し出している。
ラストシーンはその象徴で、こちらも思わずニコリとしてしまった。
したたかな父ヤーコブのウド・ザメルも適役だったが、母ハンナのマルト・ケラーが凛とした姿を見せてカウフマン家の女主人としての貫録を醸し出していた。

ナチスの非道さや人間の愚かさもあったが、家族愛、友情、恋人への愛などの人の持つ素晴らしい一面を感じた映画でもあった。
「ヒトラーの贋札」のスタッフが・・・と宣伝文句にあるが、僕の感性はこちらの作品のほうがマッチする。
ドイツ軍を小馬鹿にした作風のせいか、ふと昔見た「サンタ・ビットリアの秘密」を思い出していた。
もっともこちらはもっとコメディ・タッチだったけれど。

マンマ・ミーア!

2023-04-03 07:41:01 | 映画
「マンマ・ミーア!」 2008年 イギリス / アメリカ


監督 フィリダ・ロイド
出演 メリル・ストリープ アマンダ・セイフライド
   ピアース・ブロスナン コリン・ファース
   ステラン・スカルスガルド ドミニク・クーパー
   ジュリー・ウォルターズ クリスティーン・バランスキー

ストーリー
舞台は、エーゲ海にある美しいリゾート地カロカイリ島。
結婚を控えたソフィには父親と一緒にバージンロードを歩く夢があった。
ソフィの父親が誰かは母親のドナ自身も知らないのだが、ソフィは母親に内緒で、母親の昔の日記を手掛かりに、父親捜しを試みる。
父親候補は3人おり、ソフィは3人全員に母親の名前で結婚式の招待状を送った。
ソフィの前に、父親候補の男性3人が同時に訪ねてきた。
昔の3人の男に会って動揺を抑えきれないドナは、男たちを追い出す。
懐かしさと困惑の入り混じった気持ちで泣き出したドナを親友が励ましてくれ、ドナもようやく落ち着きを取り戻したのだが、ドナに追い出された3人の男達は、仕方なくヨットでセーリングに出かけた。
その姿を見たソフィは3人が帰ってしまうと勘違いし、海に飛び込み3人を追いかけセーリングに同行する。
その夜、ソフィの独身最後のパーティが行われ、3人の男達も合流し、ソフィは必死で父親を突き止めようとしたところ、男達は自分こそが父親であると主張し、一歩も譲らなかった。
翌日、この出来事が原因で、ソフィは婚約者と口論をしてしまう。
ついには、母親を傷つけるような言葉も言い放ち、ソフィは自己嫌悪に陥った。
落ち込んだソフィを慰めてくれたのは、母親のドナだった。
母に対する感謝の気持ちでいっぱいになったソフィはエスコートをドナに頼み、ドナも喜んだ。
結婚式当日、結婚の誓いの直前になって、男の一人がドナにプロポーズした。
ソフィの結婚式は延期され、急きょドナの結婚式が行われることになった。
父親が誰か、最後までわからなかったが、そんなことはソフィにはもうどうでもよいことだった。


寸評
映画の全編に流れるのはABBAのご機嫌なヒットナンバーで、僕はABBAのファンでもないのだが、どの曲もポップでノリの良い曲ばかりだから無条件に楽しめるのがこの映画の良いところ。
ドナ、ロージー、ターニャの3人が「Dancing Queen」を歌いながら島を駆け巡るシーンから僕はノリノリだった。
見ているこちらも自然と体が動いてしまう。
この場面は「マンマ・ミーア!」における1番の名シーンだったように思う。
映画だから当然そうなのだが、演じている老弱男女のすべての人たちが実に楽しそうなのだ。
彼らの溌溂さと幸せ感をこちらも享受できて、ミュージカルはこうでなくちゃと思ってしまう。
楽曲はたくさん披露されるが、度々描かれる大勢の人たちが歌い踊りまくるシーンが最高だ。
主演はドナのメリル・ストリープなのだが、僕はメリル・ストリープがこんなに歌が上手いとは知らなかった。
メリル・ストリープが楽しそうで、この映画はメリル・ストリープの映画といえる。
物語自体はどうってことのない話なのだが、舞台となるギリシアの小島の美しさが補っている。
ここまでお気軽に撮られると、理屈抜きに笑って楽しい気分になれる。
ミュージカル映画の魔術である。

ドナは島のホテルを経営しているが、いたるところが傷んでいるボロホテルである。
もう少し金銭的に余裕があれば生活にゆとりが出て、もう少しホテルもいい環境に出来るのにとドナは嘆き、「Money、Money、Money」を歌い上げる。
年金生活で毎週発売されるロト宝くじに夢を託している僕にも通じる気持である。
金、金、金と言えば守銭奴のようで嫌になってくるが、もう少しお金が欲しいと思う僕は「Money、Money、Money」が頭の中を駆け巡り、リッチな生活を送っている妄想が湧き上がってくる。
それなのに、裕福でなくてもいいじゃないかと慰めともつかぬ勇気も貰える。
ミュージカル映画の魔術である。

ソフィの結婚式にドナの友人のロージーとターニャがやってきて3人のばか騒ぎが繰り広げられる。
歳を取ってもバカ騒ぎが出来る昔からの友人はいいものだ。
ある程度の年齢になると変にお利口になってしまって、若い頃にやっていたバカ話やバカな行動は出来なくなってしまうものだが、そのような友人と出会うと時計が逆回りして青春が蘇ってくる。
かつてユニットを組んでいたように思われる3人を見ていると、羨ましくなるようないい友人たちだと思う。
彼女たちが繰り広げるドタバタ劇も楽しませてくれる。
ドナの過去が回想形式で描かれることはないが、3人の男性たちと映した写真がチラッと挿入される。
ソフィの父親がそれぞれの男たちであったかもしれないと思わせる小道具として上手い使い方だった。

それにしても最後はお気軽な結末だ。
振り返れば、誰よりもソフィの婚約者である若いスカイがソフィに「父親捜しより自分探しをすべきだ」という言葉が一番重かったように思う。
ソフィは結局自分探しに旅立つようだったが、ドナも遅まきながら自分探しを始めたのかもしれない。

マルタのやさしい刺繍

2023-04-02 07:40:17 | 映画
「マルタのやさしい刺繍」 2006年 スイス


監督 ベティナ・オベルリ
出演 シュテファニー・グラーザー ハイジ・マリア・グレスナー
   アンネマリー・デューリンガー モニカ・グブザー
   ハンスペーター・ミュラー=ドロサート

ストーリー
スイスの小さな閉鎖的な村に住む老婦人のマルタは、夫を失くして以来すっかり元気をなくしていた。
そんなマルタを家族や友人など周囲の人々も心配している。
そんな中、村の合唱祭に使う旗がネズミにかじられるという事件が起こり、裁縫が得意なマルタに旗の修復の依頼が舞い込んだ。
マルタと友人達が町に修復の為の生地を買いに出かけたところ、マルタはショップに置かれていたレースの美しさに目を輝かせ、帰り道で発見したランジェリーショップでマルタは下着を物色した。
実は、マルタは若い頃に下着を作っていた経験があり、下着を見ているうちにマルタは長年の夢だった自分の下着ショップを持つ夢を思い出す。
友人達にその夢を話したところ、自由奔放な友人のリージだけが、マルタの夢に賛同してくれた。
マルタは夫の残した店を改装し、下着ショップをオープンすることを決めたのだが、閉鎖的な村の人々はマルタが下着ショップをオープンすることを非難し、牧師である息子もマルタに批判的だった。
ある日、マルタは偶然に息子が不倫していることを知った。
マルタは、間違った行いをしているにも関わらず自分を批判する息子に腹をたてた。
そんな中、当初からマルタの夢を応援してくれていたリージが急に亡くなってしまった。
マルタは自分を応援してくれていたリージのためにも、世間体を気にするのではなく、自分の夢を実現することを決意する。
マルタの友人がインターネットに下着の画像を公開したところ、注文がたくさん舞い込むようになった。
商品の在庫が間に合わないので、マルタは施設で刺繍コースを受講している会員達に応援を頼む。


寸評
舞台はチーズで有名なスイスのエメンタール地方で、自然に囲まれた静かな山村だ。
伝統を重んじる田舎の村にはありがちなことだが、きわめて閉鎖的で保守的である。
マルタのランジェリーショップは刺激的だと村の大人たちは大反対である。
老人ばかりの村ではないはずで、若い女の子たちはきっと支持しただろうにと思うのだが、若い娘はあまり登場せず、わずかに合唱祭で気に入った下着をつけて抗議するシーンぐらいである。
兎に角この映画ではお年寄りたちが活躍する。
彼らまでとはいかないが、老人の部類に入ってきた僕は老人たちの話がスンナリ受け入れられるようになっていて、この映画においても村の男たちに嫌悪感を抱き、おばあちゃん達を応援する気持ちになっていた。

マルタを取り巻く友人たちの描き方がよくて、友達って大事だなあと思う。
マルタが夫を失って無気力になっている時も「なんとかしないと」と心配しているし、マルタがランジェリーショップを開きたいと言い出した時も手助けをしてくれる。
最初はマルタを受け入れられずに離れていく友人もいるが、最後にはお互いが理解しあって協力してくれる。
特に積極的な協力をみせるリージの描き方がいい。
彼女はマルタのように夢を追っているのではなく、夢の中にいる女性で泣かせる結末だ。
マルタの息子である牧師はリージの娘と不倫しているのだが、牧師の妻は不倫を告げられて「こんな村に来てやったのに!」と怒って村を出ていく。
登場した時から何か不満げで、夫が開いている聖書の会の人たちとも馴染んでいないようで孤立している風だ。
彼女の孤独は、友情で結ばれているマルタたちと対極にある感情である。

ヒロインが得意とする美しい手仕事はこの地方の伝統であり、また、夢を実現させ生きる喜びを見出すパワーの源でもある。
夢を叶えるのに年齢は関係ないと、マルタは誇らしげに語る。
お年寄りが新しいことに挑戦し、前に進んでいく姿はコミカルでありながらも感動的である。
マルタがランジェリーショップをオープンするのはマシなほうで、夫から運転を禁止されていたおばあちゃんが運転免許取得に挑戦する。
親を邪険にする息子への反発でもある。
この映画では息子たちが年老いた親を邪魔者のように扱っているのだが、僕にもそのような感情がなかったわけではなく反省させられる。

パソコン教室に通って勉強しようとするおばあちゃんも登場し、好意を寄せているらしいお爺ちゃんに教えを請い、やがて二人して一つ部屋で老人ホームに入ることになる。
老後の過ごし方としては、羨ましく思える身の振り方でもある。
彼女がインターネット販売の道筋をつけるのは今日的であった。
僕も、登場するおばあちゃんたちのように、老いてなお盛んな人生を送りたいものである。

マルタの鷹

2023-04-01 09:20:42 | 映画
「マルタの鷹」 1941年 アメリカ


監督 ジョン・ヒューストン
出演 ハンフリー・ボガート メアリー・アスター ピーター・ローレ
   シドニー・グリーンストリート ウォード・ボンド
   グラディス・ジョージ エリシャ・クック・Jr
   バートン・マクレーン ウォルター・ヒューストン

ストーリー
サンフランシスコのスペード・アンド・アーチャー探偵事務所にワンダリーという女性の依頼人がやってくる。
妹が家出したので見つけ出してほしいという用件で、手がかりはフロイド・サースビーという男だった。
ワンダリーが彼に会った後、サム・スペードの相棒のアーチャーがサースビーを尾行したが、その夜アーチャーは殺されてしまう。
サム・スペードはワンダリーに連絡を取ろうとするが、彼女は宿泊先のホテルをチェックアウトしていた。
その後サースビーまで殺されたため、スペードは警察の尋問を受けることになった。
翌日、再びスペードと会ったワンダリーは、自分の本名がブリジッド・オショーネシーであること、妹などおらず、サースビーは自分を裏切った相棒であることを告白した。
間もなくスペードの所へ、ジョエル・カイロという男がサースビーについて何か知っているか探りに来た。
彼は自分が黒い鷹の像を探していることを告げた。
スペードの前にはさらにガットマンという名のいかがわしい人物が現れ、その太った男は黒い鷹の像のいわれをスペードに説明した。
ガットマンは高い価値のあるその像の行方を追っていた。
スペードは彼から睡眠薬入りの酒を飲まされ昏倒し、しばらくしてから無事に目を覚ました。
その間にブリジッドは香港から貨物船で届けられる小包をスペードの事務所に届けるように手配していた。
船長自ら事務所に来るが、撃たれていた彼は荷物をスペードに渡して死亡する。
その中身が鷹の像だと知ると、スペードはそれを駅の荷物引受所に預けて引換券を受け取った。
事務所に帰ると、ブリジッド、カイロ、ガットマン、それにガットマンの手下・ウィルマーが勢揃いしていた。
彼らと話し合ったスペードは、これまでの殺人罪でウィルマーを警察に突き出すという条件を持ち出し、鷹の像を彼らに渡すと約束したのだったが・・・。


寸評
原作はハードボイルドの古典ということだが、ハードボイルドの定義って何だろう。
僕が思うに、感情に流されない非情な面を持ち精神的にも肉体的にも強靭な男が主人公にしているものとの認識で、探偵を主人公にしたものなら思考を巡らせて謎を解いていく探偵に対して、前述のような性格を持つ行動的な探偵を主人公にしているのがハードボイルド映画と称されていると思う。
そのような面から見ればサム・スペードは相棒のアーチャーが殺されても死体に駆け寄ることもしないし、秘書にその後の対応を任せて感情をあらわにせず、女に甘いところもない、正にハードボイルド映画の主人公である。

物語はミステリー性を持ってスタートする。
ワンダリーと言う女性が行方不明の妹の捜索を依頼し、サースビーと言う男を手掛かりにアーチャーが尾行を開始するが、アーチャーもサースビーも殺されてしまう。
二人を殺した犯人は一体誰なのかが最初の興味となる。
ワンダリーは偽名だったことが分かり、ブリジッドが重要な人物となり、興味は彼女に移っていく。
やがてカイロという男やウィルマーという男が登場し、彼らが殺人犯ではないかの疑問が湧き上がる。
姿を現さない太い男とは誰なのかとか、一体誰が殺人犯なのかとなるのだが、僕にはそこからの展開がどうも軽いように思えてしまってあまり作品に乗り切れないでいた。

マルタの鷹を追っているボスがガットマンという太った男なのだが、この男がマルタの鷹の秘密であるとか、香港から到着した船の火災の原因とか、船長の殺害についてなどをスペードに話しているのだが、彼がそのような詳細をスペードに話す必要があったのだろうか。
そもそも彼の手下のようなカイロやウィルマーが何とも頼りなくて、とてもスペードに対抗するような男ではないことが緊迫感を欠いている原因だ。
いともも簡単にのされてしまうし、隠し持った拳銃も簡単に取り上げられてしまうので、とてもスペードの相手にはならない。
彼らに比べれば遥かにスペードの秘書のエフィの方が頼りがいがあるように見える。
彼女はスペードが電話で指示する時の相手だったりして、あまり登場しないが本当に優秀な秘書なのだ。
優秀さにおいて二人の男は完全に彼女に負けている。

アーチャーの女房がスペードに片思いをしていてモーションを掛けているのだが、スペードは軽くあしらっている。
彼女が美しい依頼人のブリジットとスペードが親しくしているのに嫉妬する場面があり、彼女の存在は面白いと思ったのだが、それ以上描くとハードボイルドの雰囲気が壊れたのだろう。
ブリジットとスペードの間にある男と女の感情も同様の理由で深くは描かれていないのだろう。
その為に最後にスペードがブリジットに取る非情な行為に、僕はあまり感動しなかった。
スペードは「相棒のことをどう思っていようと、相棒が殺されたら犯人を捕まえないとこの稼業は成り立たない」と言っているのだが、スペードの様子からはそのような気持ちがあるとは見えなかったなあ。
マルタの鷹を持った刑事が「重いな、何が詰まっているのだ」と聞くと、スペードは「夢が詰まっている」と答える。
最後を締めるセリフとしては決まっていた。