カモさんありがとう

我が家の近くに池がある。小さくて、また、水が濁って汚い池。そんな池にも生き物はいる。鯉と亀です。秋には鴨が飛来してくれる

日本の一線は?

2017-04-29 19:30:33 | つぶやき
朝鮮半島が騒がしい。アメリカの空母カールビンソンが日本海に入る。                                                                                                                                                                                                                                                    北朝鮮が非常に危険な国であり、米国にとって優先課題であると指摘。                                                                                                                                                                                韓国にはTHAADを配備し、海には空母で監視する。北朝鮮の問題はシリアのように簡単に攻撃は出来ない。問題が複雑すぎる。                                                                                                                                                     トランプ大統領は、テーブルの上には「あらゆる選択肢がある」と語り、北朝鮮が一線を越えたら攻撃するようなことを語っている。                                                                              では、米国の一線とはどんなことを指すのか?                                                                                                                     [一つは、ICBMであり、もう一つは核実験を実施する]と解されている。トランプ大統領は、外交的に解決したいとも語っているが、「非常に大規模な紛争」が起き得るとの考えている。とも語っている。                                                                                                                   これほど困難なことになったのは、国連安保理がキチンと機能していない点であると思う。拒否権という厄介な権利が存在し、しかも、安保理で決定したことがチャンと守られていないことが、大きな問題であると思われる。                                                                                                          守らない国とは、言わずと知れた国==中国が裏から北朝鮮を援助している。ざるである。                            この点、前大統領オバマ大統領と違ってトランプ大統領は、中国を何とか動かして、北朝鮮を抑え込もうとしている。この姿勢は、同盟国としてもありがたいことである。                                                             しかし、日本としてはどんなことが出来るのか?もどかしい限り。憲法が、行く手を阻んでいる。                                                                                              掲題の件ですが、日本には「一線」があったとしても、「拱手傍観」で「日本有事」となり攻め込まれる。といった事態にならなければ動かないのではないか。                                                                  一個人として、何とも歯がゆい。------                                                                                                                     皆、どう思っているのでしょうか? 聴きたいものである。

老いを見つめて(15)--おばさんの引っ越し

2017-04-29 18:43:18 | つぶやき
家内の叔母さんが引っ越しした。                                                                                                                                                                                                93才である。実は、1月1日生まれで、自分の母と生年月日が同じである。                                                                                                        自分の母は、もう、よぼよぼであるが、おばさんは元気。杖をついて外を歩ける。私は70才半ばは過ぎた。が、目は加齢黄斑円孔で耳は難聴でしかも補聴器を付けている。耳も両耳とも耳鳴りに年がら年中悩まされているが、おばさんは、耳も目も良い。おばさんは、今まで、一人暮らし。       いままで、我が家から2分くらい離れた場所に住んでいたが、賃貸住宅の家賃が高く引っ越しすることになった。                                                                                       当初、府営住宅に申し込みをしたが、条件がきつく申し込みも出来なかった。家内が、UR賃貸住宅に確認したところ、条件は問題なくすぐに空き部屋に入れることになり、準備出来次第入ることとなった。                                                                                                                      さあ、それからが大変。独り暮らしではあるが、なんせ、物が多い。                                                                                                                                                                                                                                                      ここで「断捨離」。                                                                                                                                                                                                     やはり、年と共に物が増えていく。でも、おばさんたちの年代は、「勿体無い」の精神の持ち主のため、「モノ」がなかなか捨てることが出来ない。   横道に逸れるが、自分の母は、同い年ではあったが、ものをどんどん捨てていけた人である。                                                                                               引っ越しの荷物つくりに、家内とおばさんの格闘が始まった。おばさんは「これは要らない、これはおいとく」等々。                                                                                          家内は「あの世に、何も持ってはいいけない」---等々。                                                                                                                  人には、考えもある、が、執着は持たない方がよい。!!!                                                                                                               こんな機会こそ、「モノ」の「断捨離」ができる。