カモさんありがとう

我が家の近くに池がある。小さくて、また、水が濁って汚い池。そんな池にも生き物はいる。鯉と亀です。秋には鴨が飛来してくれる

老いを見つめて(14)---断捨離その2

2017-04-22 17:32:44 | つぶやき
断捨離の中で一番厄介なのは何なのか?                                                                                                                                                                  私は、「離」ではないかと思います。断捨離とは「こころ」の問題であるからです。ではなぜ、「離」がむつかしいのか。                                                                                                                                                                                                                                            「断、捨」も「こころ」が軽くなるからですね。でも、「離」は、どうでしょうか、「断、捨」とはならないのです。                                                                                                                                                                                                                                                  以前、こんなご婦人と知り合いになりました。その方は、10年以上も前にご主人を亡くされていました。 ご婦人とは、短歌の会で知りあいました。  ご婦人と御主人様は恐らく仲が良かったのでしょうね。夜になって、ご主人のことを、思い出しては涙を流されているとのことです。                                                                                                                                                                      ご主人が着られていた背広もいまだにたくさん残しておられるようです。このように、「モノ」や「コト」と違って「情」は難しいですね。特に、情はなかなか捨てたり、断ったり、離したり出来ないのです。                                                                                                                                                                                                         私自身は、70歳半ばを過ぎました。すでに、断捨離をかなり進んでいますが、この中で、「離」がやはり一番難しい。                                                                                                                           肉親への思いは、断と捨は絶対と言ってもよいくらいに出来ない。従って、離をどのくらいできるかであろうと思う。肉親ーーー親、兄弟姉妹、配偶者、子供。この中で、親、兄弟姉妹とは比較的早い段階に離れていくように思う。特に男であれば早くから独立していくのではないだろうか。(でも、現代は晩婚のために親たちと同居の期間が長くなっているようだが。)                                                                                                                               父が亡くなった時にはすでに独立しかなりの年月が過ぎていた。このためか、あるいは自分は冷たいのか、父の死の現実に冷静になっており涙は出なかっつた。 昨年には父の死後30年過ぎたので、「祖霊祭り」を行い、「先祖代々之霊位」の位牌の方へ移って頂いた。                                                                                                                   後妻である母は、自分の養い親となり高校を卒業するまで面倒を見てくれた。今は、93歳になり一人で暮らしているが、身体能力の低下が激しく、  伝い歩きが精一杯であり、ヘルパーさんに週3回も通ってもらい家事等の応援をしてもらっている。昨日、妹から電話がありました。母が骨折したとのことです。恐らく、もう、あの年では回復の見込みはないかもしれません。                                                                                                                         父や母に対しての「離」は、このように離れて暮らしていたためか、「心」を乱すこともなく、一定の距離をおいて相対することが出来る。                                                                                                                                                それでは、亡くなった先妻に対してはどうか?                                                                                                                                                                                          当然33年も一緒に生活し、子供も2人も生んでくれた大切な人である。斎場への運び入れる前の棺の前ではこらえなくなって大粒の涙を流した私でした。                                                                      正直、3年位だったか悲しみに暮れていた。                                                                                                                      その頃、自分は「短歌」の同好会に入っていた。短歌は中断していたが、そのメンバーの中の一人がいつまでもくよくよしていても始まらないと「カラオケ」に引っ張り出してくれたのである。このカラオケがいまでも自分の趣味としていまだに続く。ありがたいことである。                                                                                                                                       その後の 故人・妻への思いはどうか。ここに「離」がどうなのかが出てくる。                                                                                                    「離」は出来る。しかし、「断」や「捨」は出来ない。                                                                                                                                                                                      人間とは良くしたもので、年月が少しずつ忘れさすのである。別に言えることは、「死者」は「生者」に迷惑をかけてはいけないという。また、「生者」は「死者」に迷惑をかけてはならないのである。それはなぜか?                                                                                                                                                                                 「生者」は「死者」の修行を邪魔をしてはならないのです。 前述のご婦人に見られるように夜な夜な故人を思い涙を流すのは、「死者」のあの世においての修行の妨げになるのです。                                                                                                                                                                                  心情的には、よくわかる。しかし、涙を流すことや「故人」の遺影を飾ることは、故人が生きていたことの思いを引きずらすことになるのです。   「写真」については、「お彼岸」や「お盆」には飾ってもいいが、日常には飾らないほうが良いのです。「死者」が生前の自分をの姿を見ては、この世に未練をのこし、修行の妨げになってしまうからです。 私は、写真は、お彼岸、お盆、そして、命日以外は飾らないようにしています。その方が、                                                                                                                                                                                                                    亡くなった方たちにとっても、生者にとっても良いのです。

富山市の皆さん! どうしてこうなった?

2017-04-22 17:24:57 | 何ていうことを
何故だ!!!                                                                                                                                                                                                         富山市の市民の皆さん! いったいどうして?                                                                                                                     4000万円もの政務活費不正関与の8人のうち5人が当選したのだって?  富山市の皆さんの甘いこと甘いこと。富山市の皆さんはこんなに甘いのかどうしてなのか?私にはわからない。                                                                                                                                                                                                 不正をしてもこれからは、不正金を返却したらこれからは、議員に居座り改選で再選できる下地を作ってしまった。詐欺罪にも問われずのうのうと議員生活を送れるのですか。                                                          気持ちの持って行くところがない!!!! 全国の皆さんはどう思っていらっしゃるのか? 聴きたいものである。                                                                                                                                                                                                                                ついでに、言いたい。悪いことをして、暫く熱が冷めたころ、件の件がいつのまにか忘れられたように復帰している業界がある。                                                                                                                                                                                                                          いわずと知れた、芸能界である。芸能界は本当に甘すぎる。悪いことをしていても、すぐに許される体質がある。お金が絡んでいるのであろうか。                                                                                                                                              それから、スポーツ業界(野球、バドミントン)野球、バドミントン共に賭博である。                                                                                                   野球は巨人の高木某やバドミントンの桃田某。                                                                                                                                                                                         日本人の正義感はどこへ行ってしまったのか? 悲しい出来事である。日本の将来が心配。