あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

すでに戦争はあなたの隣にいる

2014年03月19日 21時44分33秒 | Weblog
 戦争の危機が迫っていると、ぼくは本気で思っているのだが、世の中はとても気楽そうだ。日本総研理事長の寺島実郎氏が訴えていることだが、現在のウクライナ情勢が最悪米ロの軍事的対立に発展した場合、もし集団自衛権が発動されたら、日本の自衛隊がロシア軍と戦火を交える可能性だって低くはないのだ。日本が自分の利害ではロシアと緊張関係を持ちたくないと思っていても、本当に切迫した事態になったらアメリカもロシアもそんなことは関係なくなるだろう。
 人々が戦争へのピリピリした緊迫感を感じないのは、まさに「平和ボケ」である。もっとも現在は先進国の多くで徴兵制が無くなり、戦争が人々から遠い話になってしまっている。それは日本だけの話ではない。戦後、戦争を止めたことのない合衆国でさえ、多くの人にとって戦争はどこか別世界のことらしい。

 ただその合衆国の人々もテロの恐怖には日常的にさらされている。実はそれ自身が戦争そのものなのだけれど、皆そうした認識がない。誰もそれを指摘しないからだ。
 だがまさに戦争とは、気づかぬうちにやってきてしまうものなのである。15年戦争時の日本人だって、まさかやがて自分が空襲に逃げ惑うことになるなどとは思っていなかったろう。そのころ大半の人にとって戦争は遠い大陸で起きている景気の良いイベントでしかなかったのだ。

 もうひとつ、戦争は決して他国のために起こすものではないということを知っておく必要がある。戦争はいつでも誰かが自分の利益のために起こすものなのだ。そしてそこにいかにも人々が納得しそうな「大義」の看板を掲げて正当化する。人々もそのことに薄々気づいていながら、戦争を始めようとする人たちに付いていた方が得そうだから、自分から進んで喜んでその怪しげな「大義」を支持することになる。
 しかしそれは結局自分自身を追い詰め、首を絞める結果しかならない。戦争に負けたとき、日本人はそのことを嫌と言うほど知らされることになった。それが戦後の平和国家・日本を建設する原動力となったのである。
 そして今、そうした痛みが忘れ去られようとしている。大きな力が痛みを継承することを妨害し、勇ましく景気の良い幻想を植え付けようとしてきたからだ。平和ボケはこうして作られてきた。

 現実にはすでに我々の周囲を「戦争」がじわじわと浸食してきている。そのことを今日ネットでみつけたふたつのサイトを紹介することで指摘したい。

 ひとつはフリージャーナリストの志葉玲氏による「国に裏切られた元イラク派遣自衛官が警告-安倍政権『集団的自衛権の行使』の行く先にあるもの」という記事だ。

 これは読んでもらえば意味がすぐわかるだろう。すでに日本では戦争の被害者が出つつあるのだ。そしてそれはまさに集団的自衛権というものが、いったい我々にどんな危機をもたらすのかを如実に示している。おそらくこのケースは氷山の一角である。目に見えない障害、つまり精神的な障害を負った人ならもっと沢山いるはずだ。そのことをしっかり見据えるべきである。特に自衛隊の活躍を賞賛し賛美し感謝している人たちは、そうした自衛隊員がこのような目に遭わされていてよいものかどうか、ちゃんと考えて欲しい。

 もうひとつは「空襲資料 埋もれる5000点 都祈念館凍結15年」という東京新聞の記事だ。

 ここで注目すべきなのは、空襲の被害を伝承しようとする活動をナショナリストが妨害しているという点だ。
 本来なら自国民の側に立って主張するのがナショナリストであるはずだ。しかしここで行われているのはその全く逆のことなのである。彼らはなぜ真実を人々の目から隠そうとするのか。いったい誰の立場に立とうとしているのか。
 まさに戦争があなたではない「誰か」の利益のために行われようとしていることを象徴しているではないか。

 意識的な反戦主義者・非戦主義者が平和ボケなのではない。思考停止に陥ってズルズルと戦争への道を許してしまうことこそが、度し難い平和ボケなのである。

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