あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

最初の悲劇か二度目のコメディーか

2014年12月08日 16時53分05秒 | Weblog
 いよいよ選挙の争点は憲法九条が無くなるかどうかに絞られてきた。毎日新聞によれば、すでに自民党単独で2/3を獲得する可能性があるという。それなのにマスコミは安倍氏の意向に沿って、いまだにアベノミクスがどうのという報道ばかりをしている。
 ぼくは一年前に、最悪の場合、年内にも日本が戦争に参加する可能性があると指摘した。幸いにも多くの人が危機感を共有して世論形成が進み、ギリギリここまで持ちこたえることが出来てきたが、この選挙でついに防波堤は決壊しようとしている。

 有権者が劣化し、政治家が劣化し、日本の戦後平和主義が崩壊する。いったいどうしてこんなことになってしまったのか。
 自民党による長い長い「反平和戦略」の積み重ねによるのだろう。それは実に粘り強く、じわじわと、人々の欲望を巧みに煽りながら続けられてきた。教育、マスメディア、選挙制度、労働運動つぶし、警察力による言論・思想・運動への弾圧、そうしたものが60年以上、陰に陽に少しずつ進行してきた結果である。
 おそらく、ぼく自身もその戦略にあらがいきれず、屈してしまった者のひとりだ。

 ぼくが子供のころ、1960年代に日本の戦争が正しかったなどと言う人はほとんどいなかった。2000年ころにはまだ、なんで当時の人々は戦争を止められなかったのかと言うような疑問が話題に上がっていた。
 今はかつての戦争を否定すると表明すること自体が、なにかしらのリスクを伴うようにまでなってしまった。憲法九条を礼賛することが「当たり前の常識」から「危険な政治的発言」と目されるようにまでなってしまった。あまりのことに愕然とする。

 ぼくの母は開戦時に16歳だった。今日が12月8日と知ると「大詔奉戴日」だ、嫌な日だと言う。先日も書いたが、母の父は一介の時計職人だったけれど戦争に反対していた。しかしその母でさえ、「お国のため」と思って千人針に立ち、神風が吹くと信じていた。何かやはり今と当時の時代が不気味に似ていると思う。
 昔はなぜ日本が戦争に向かっていったかを分析した本がその辺に普通に沢山あった。戦争の背景に、財閥が自分たちの利権を確保するために大陸に侵出して行く構造があったのは常識である。しかしいつの間にか、そうした歴史的な分析はどこかへ押しやられ、なんであれ日本が正しいという立場に立たない議論は最初から「偏向」「反日」として排除されてしまう。

 明治の経済発展があり、大正のデモクラシーが開花し、やがて関東大震災から大不況の時代がやってきて、資源のない日本は海外へ出て行かなくてはならないという勢力が、大昔の南進論や征韓論を復活するかのごとき大陸進出、南洋侵出をさかんに宣伝するようになる。人々はそうした景気の良い話に沸き立ち、やがて中国大陸の利権を巡ってイギリスと対立し、ドイツとの防共協定を少しずつ深化しながら決定的な軍事同盟へと発展させていく。
 この歴史上の固有名詞をひとつずつ入れ替えたら、どうだろう、まさに今の日本とそっくりではないか。

 もちろん歴史は繰り返さない。同じ歴史は存在しない。あったとしたらそれはブラック・コメディーでしかない、というのはマルクスの言だが、歴史教育の重要性を熱心に説いている勢力が、一番歴史に学ばないというのも、これはひどいコメディーではある。
 なぜか人間は、わかっているのに、あえて自らが破滅する道を選びたがる。あのレミングの伝説の旅のように。戦前にも多くの人々が戦争と侵略の愚かさを指摘し反対していた。しかしそれは、あるいは無視され、あるいは弾圧され、時代の波の中に消されていった。
 止めることは出来ないのかもしれない。しかしたったひとりでも、あらがうことだけは出来るだろう。
コメント
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