三井住友銀行のテレビCMが気にくわない。吉高由里子と西田敏行が出ている「投資信託」編というやつだ。
吉高:「投資って全然イメージできないんですけど」
西田:「ほおぉ投資…、投資って言うと難しいけど、大人への第一歩って言うとなんかいい感じじゃない」
吉高:「なぁるほど」
西田:「んー、だから自由に言い換えちゃえばいいんだよ。未来のお楽しみとか、それから自分への期待とか」
吉高:「やる気のぉ塊っ!とか」
西田:「えーっへっへっへー。なーんかわかんないけどいいねぇ。いいねえ、いいなあ」
こんな具合である。みんな何かおかしいと思わないのだろうか。
いま日本では子供の六人に一人が貧困状態にあると言う。ひとクラスに三~四人の貧困児童がいるということだ。これは尋常ではない。これではとても「先進国」などと胸を張れたものではない。
若年層ほど貧困率は高く、学校に行けないとか、奨学金の返済のために卒業したら破産してしまうとか、あってはいけないような悲惨な自体が日常化している。
ところがその若者たちは政治に関心がない。投票に行かない。彼らは新聞も読まないそうだ。彼らが信じるのは、差別を肯定・助長するネトウヨのヘイトスピーチがあふれるネット上の「まとめサイト」なのだと言う。
いったいなぜ若者たちは自らをどんどん地獄へ落とすような方へ向かうのか。
テレビをつけると、そこには何万円もする豪華なレストラン・メニューを珍妙な格好で食べるタレントや、何人前もの量をテレビ画面の外で吐き戻しながら食べ続ける大食いコンテストの模様が繰り広げられている。夕食にひとり百円しかかけられない子供がいる家のテレビに、そんな光景が映し出されている。
テレビのCMは高級車や、豪華な家電や、高価なスマホ、高価なテレビゲームを見せびらかす。一方、貧困と格差を糾弾するニュースキャスターたちは、彼ら自身は信じられないほどの高額のギャラを涼しい顔をしてもらっている。
若者たちが「テレビの向こう側」を信じないのは当たり前ではないか。そこは自分とは全く別の世界でしかないのだ。そこで行われていることに、自分たちがコミットできると思えないのも無理はない。
三井住友銀行のCMはそんな若者に、さらに歪んだ欲望を提示する。カネのない若者に「投資」を呼びかける。
投資は未来へのお楽しみか? 自分への期待か? やる気の塊なのか?
本来なら投資は投資であるべきだ。投資とは何らかの社会的事業(すべからく正当な企業は社会的機関であり、また本質的には人類社会を支える必要不可欠な公益的事業である)に対して、自分も共同出資者として参加し、ともにその事業を実現させようとする行為である。つまり個人の力ではできない規模の事業を行うために資本を集中する手法である。
もちろん、その事業で生まれた利益は出資者に還元される。そのことは、その範囲では当然な報酬と言ってよいだろう。
しかしこのCMで言われていることは明らかにそういうことではない。このCMが誘っているのは投機であり、博打である。
テレビCMで流されているのは確かに高額商品だけではない。宝くじ、競輪、競馬、競艇、そしてご丁寧にもサラ金とサラ金への過払い金を多額の手数料を取って取り返しますという弁護士事務所、そんな中にちょっと上品そうな顔をした保険や投資のCMが繰り返し流される。
あたかも高額商品が欲しかったら、博打を打って一か八かに賭けてみろと言っているようである。そして実際にこの社会は人々にそれを求めている。
歪んだ資本主義なのか、それとも、そもそも資本主義が歪んでいるのか。ハイボールを飲み過ぎて、なんだかよく分からなくなってくる。(蛇足。吉高由里子は好きなんだけどな)
吉高:「投資って全然イメージできないんですけど」
西田:「ほおぉ投資…、投資って言うと難しいけど、大人への第一歩って言うとなんかいい感じじゃない」
吉高:「なぁるほど」
西田:「んー、だから自由に言い換えちゃえばいいんだよ。未来のお楽しみとか、それから自分への期待とか」
吉高:「やる気のぉ塊っ!とか」
西田:「えーっへっへっへー。なーんかわかんないけどいいねぇ。いいねえ、いいなあ」
こんな具合である。みんな何かおかしいと思わないのだろうか。
いま日本では子供の六人に一人が貧困状態にあると言う。ひとクラスに三~四人の貧困児童がいるということだ。これは尋常ではない。これではとても「先進国」などと胸を張れたものではない。
若年層ほど貧困率は高く、学校に行けないとか、奨学金の返済のために卒業したら破産してしまうとか、あってはいけないような悲惨な自体が日常化している。
ところがその若者たちは政治に関心がない。投票に行かない。彼らは新聞も読まないそうだ。彼らが信じるのは、差別を肯定・助長するネトウヨのヘイトスピーチがあふれるネット上の「まとめサイト」なのだと言う。
いったいなぜ若者たちは自らをどんどん地獄へ落とすような方へ向かうのか。
テレビをつけると、そこには何万円もする豪華なレストラン・メニューを珍妙な格好で食べるタレントや、何人前もの量をテレビ画面の外で吐き戻しながら食べ続ける大食いコンテストの模様が繰り広げられている。夕食にひとり百円しかかけられない子供がいる家のテレビに、そんな光景が映し出されている。
テレビのCMは高級車や、豪華な家電や、高価なスマホ、高価なテレビゲームを見せびらかす。一方、貧困と格差を糾弾するニュースキャスターたちは、彼ら自身は信じられないほどの高額のギャラを涼しい顔をしてもらっている。
若者たちが「テレビの向こう側」を信じないのは当たり前ではないか。そこは自分とは全く別の世界でしかないのだ。そこで行われていることに、自分たちがコミットできると思えないのも無理はない。
三井住友銀行のCMはそんな若者に、さらに歪んだ欲望を提示する。カネのない若者に「投資」を呼びかける。
投資は未来へのお楽しみか? 自分への期待か? やる気の塊なのか?
本来なら投資は投資であるべきだ。投資とは何らかの社会的事業(すべからく正当な企業は社会的機関であり、また本質的には人類社会を支える必要不可欠な公益的事業である)に対して、自分も共同出資者として参加し、ともにその事業を実現させようとする行為である。つまり個人の力ではできない規模の事業を行うために資本を集中する手法である。
もちろん、その事業で生まれた利益は出資者に還元される。そのことは、その範囲では当然な報酬と言ってよいだろう。
しかしこのCMで言われていることは明らかにそういうことではない。このCMが誘っているのは投機であり、博打である。
テレビCMで流されているのは確かに高額商品だけではない。宝くじ、競輪、競馬、競艇、そしてご丁寧にもサラ金とサラ金への過払い金を多額の手数料を取って取り返しますという弁護士事務所、そんな中にちょっと上品そうな顔をした保険や投資のCMが繰り返し流される。
あたかも高額商品が欲しかったら、博打を打って一か八かに賭けてみろと言っているようである。そして実際にこの社会は人々にそれを求めている。
歪んだ資本主義なのか、それとも、そもそも資本主義が歪んでいるのか。ハイボールを飲み過ぎて、なんだかよく分からなくなってくる。(蛇足。吉高由里子は好きなんだけどな)