ズッコな日々

高校時代のあだなはズッコ。

【ズッコケ】のズッコ。

専業主婦になったズッコな日々。

震度7だったここから。

2017年03月11日 | 想い

あれから6年の月日が経ちましたね。     早かったですか?


震度7と言う 大きな揺れで 我が家の石油タンクは倒れていました。




あの日 海沿いの幼稚園で、 通園バスで帰宅途中 津波に遭ってしまった子供達。  


もうすぐ一年生だと 準備していた真新しいランドセルが 背負うことのないまま仏壇に備えられていました。


あれから6年が経ち、 元気でいれば春から中学生だったその子達。


その中の一人の親御さんが 中学校の制服を作った事を ニュースで知りました。



あの日から時が止まり前に進めずに居る人、 今でも一緒に居ると想いながら暮らしている人・・・。


人の気持ちは計り知れませんが それぞれ違う 自分のスピードで少しずつ進んで行って欲しいな・・ と 思いました。













あの日の二階の子供部屋の様子です。


大きな揺れの途中で停電になり スグに復旧するだろう と 軽い気持ちでいたのに 電気が点いたのは地震から8日目の夜でした。


近所に給水ポイントが有る為 水道は止まらなかった我が家。 


ガスもプロパンガスなので ガス会社の方がスグに点検しに来てくれて、 その日から使えるようになりました。











地震の日の晩ご飯です。 毎週のように行ってたキャンプの経験が役に立ちました。


お刺身あるの分かりますか?   この日 実家の両親は気仙沼まで行っていました。


どこかでお昼食べようか? と 思ったけれど 色々買って家に帰ってから食べようと帰って来たそうです。


家に着いて、少し休んだ頃に揺れ始めたと言っていました。


気仙沼でお昼ご飯を食べてたら 間違い無くあの混乱に巻き込まれていたでしょう。


仕事帰りの旦那さんが 実家の様子を見に寄って、このお刺身を 「 はい。 お土産 」 と渡され帰宅しました。 怖。










 


電気は来なくても 幸運な事に 水とガスが使えた我が家。


明るいうちに家事を済ませて、土鍋でご飯を焚いて晩ご飯。  一日目は 久々だったので おコゲが出来ました。












震度7と言う大きな揺れでしたが 誰も怪我する事も無く 不便でも笑顔で過ごせました。


海沿いの方々を思うと ワタシ達の苦労なんてゼロに等しい・・・  皆 そう思ってました。
   











物が流通しない世の中で 「 食べてー! 」 と 友人達が色々な物を差し入れてくれました。


搾りたての生乳。 加熱して使ってねと言われました。












某ファストフード店のポテト ってのも有りました。  笑


その他にも えのき茸 とか めんつゆ や 白キムチの素とか・・・ 皆さんから 暖かい気持ちが届きました。













ケーキ屋の友人は ケーキを届けてくれました。


こんな大きな地震の時に こんなに美味しいケーキが食べられるなんて思わなかったよ。



携帯も使えない、 新聞も来ない、ガソリンも流通しない、 化粧もしないで過ごしていました。


周りが皆 そうでした。


ガスでお湯を沸かして 体を拭いて、 暗闇でランタンを点けて、旦那さんが髪を洗ってくれたっけなぁ・・・・。  笑


( 耳にお湯が入って ちょっと喧嘩になりました。 やーねー。 ) 












やっと物流が落ち着いて来た頃、 残り少ないガソリンで隣町まで買い物に行きました。


お肉はお一人様2パックまで と言う制限付き。 息子と手分けしてゲットした貴重な品々は お友達の家々にも分けました。


お互い様  お陰様。  そんな言葉が常套句になってました。









地震から8日目の夜、 家に パッ! と 灯りが点いた時、思わず万歳してしまいました。


不便でしたが うちだけじゃない。   うちより もっと大変な人達が居る。  そう思ってました。




未だに見つからない たくさんの行方不明者・・・  仮設住まいの方々・・・  更地になったままの海沿い・・・。


6年と言う年月は 長いのか短いのか。


微力でも 何かで復興の力になりたい。  微力でも きっとゼロではないから。



まだまだ たくさんの力が必要です。


ワタシも あの日から なかなか前に進めない方々の気持ちに寄り添って行きたいと思っています。





もうすぐ あの時間・・  2時46分がやって来ます。


内陸に住んでいても とても苦しい気持ちになります。  海辺の方々はどんなに苦しいか・・・。
  


それでも 内陸のここから 黙祷を捧げたいと思います。










地震で混乱していた我が家の窓辺で 励ますように咲いていた 君子蘭の鮮やかなオレンジ色が忘れられません。