斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(47) 【痛い親指、甘い柿】

2022年12月17日 | 言葉
 庭の柿の実が熟れた。さっそく捥(も)ぎ、ナイフで皮を剝(む)こうとして、左手親指先の指紋のある部分、いわゆる「指の腹」を切ってしまった。包帯を巻くものの、傷が深いらしく血が止まらない。困ったことに、というかアタリマエというか、止まらなければ何もできない。ここは「年齢の割に血液サラサラか・・」と都合良く解釈して、ゴロンと横になる。果報は寝て・・いや、止血は寝て待つことにした。

 とはいえ気になる。見ると、もう包帯に血が滲んでいない。寝転んだために血が止まったらしい。鼻血や生傷の絶えなかった子供の頃のチエを思い出した。<出血が多い時は、傷口を心臓の位置より高くする>。横になったので傷口が心臓の高さになった、ということだろうか。
 
 もっとも、問題は、ここからだった。触覚機能の代名詞たる指先には神経が集中しているのか、とにかく痛い。それに少し力を込めただけで出血する。日常の動作で親指の先を使うことがいかに多いかを、怪我をして初めて文字通り痛感した。
 例えば朝、歯を磨こうと、練り歯磨きのチューブのキャップを回す。左手親指でチューブをしっかり掴まなければキャップは外れない。つい、いつもの調子で掴むと激痛が走る。かくて右手のひら全体でチューブを握り、右手親指と右手人差し指でキャップをつまんで外す、という芸当が必要になる。時間をかけ、ゆっくりやれば意外と簡単だ。何度かの鋭い痛みに耐えつつ覚えた方法である。
 万事がこの調子。朝起きてパジャマのボタンを外し、シャツのボタンを掛ける。ここで最初の激痛が走る。顔を片手で洗う。朝食で目玉焼きを作ろうにも、料理のプロでもあるまいし、シロウトには片手では割れない。さて、食べ終わると食器洗い。独り暮らしゆえ、これも自分で。指先が滑るので洗剤は使えない。

 そんなこんなで本日にいたるまで10日間くらいは不自由した。それにしても親指の先だけで、これほど日常が不自由になるとは! 怪我してみなければ分からぬものだ。そうそう、皮が剝けないので放っておいたカキ。改めて皮を剥き、食べてみると、トロトロの熟柿に変わっていた。その甘いこと、あまいこと。柿が詫びを入れているのかと勘違いするほどに甘く、おいしかった。

断想片々(46) 【楽天スマホのデータ利用額】

2022年12月08日 | 言葉
 楽天スマホ使用の理由
 筆者はスマホをほとんど使わない。大半の連絡は加入電話で済ませ、スマホを使うのは2人の娘や友人など、ごく親しい人とのやり取りに限っている。それも、たいていは無料通話のラインを利用してのこと(ひかりWiFi接続)だ。
 使っている楽天スマホでは、会話及びデータの使用量合計が月間3GBに満たない場合、月ごとの使用(利用)料は一律980円で済む。筆者の利・使用量は月に0・3GB前後なので、規定量の10分1ほど。安さが楽天スマホ使用の理由である。

 3通りの異なる使用量
 時間だけはたっぷりある高齢者の特権(?)を生かすべく、データ利・使用用量の詳細を確認してみた。まず「my楽天モバイル」をクリックし、ここの「ホーム」をクリックすると、「12月のデータ利用量」として「0.06GB」と表示されていた(12月7日現在)。次に「利用状況」をクリックすると、「楽天回線エリア」として(筆者の使用は楽天回線エリアのみ)「0.04GB」。さらに、その下の「直近の利用内訳」の折れ線グラフでは、12月1日から6日までの6日間のうち、3日の使用量だけが「0.03GB」で、他の5日間はいずれも使用ゼロだった。つまり12月分の合計は7日現在の数字として、0・06、0・04、0・03の、3通りが表示されていたわけだ。
  
 お粗末なデジタル世界?
 こんな紛らわしい表示があるものだろうか。説明不足なのか。数字に正確なデジタル機械らしくもない。おッと気づいて8日現在の「折れ線グラフ」を確認すると、なんと7日の1日だけで0・05GBが加算されていた! 7日は「ウオーキング」のデータをチラリと見ただけ、のはずだが・・。

断想片々(45) 【出産一時金の増額負担分は、高齢者のサイフから】

2022年11月15日 | 言葉
 高齢者は、ますます厳しく
 出産育児と、75歳以上の後期高齢者とに、如何なる関係ありや? 厚労省は2024年4月から増額予定の出産育児一時金について、増額分の7%を後期高齢者の負担とする制度改正に乗り出すという(11日付け読売新聞朝刊、13S版)。同じ厚労省の予算内とはいえ、ズボン前部の綻(ほころ)びを、さらに擦(す)り減った尻の布を切り取って縢(かが)る(=補強のために縫う)ものだ、とは言えまいか。

 飛び跳ねるように上昇した消費者物価と、下がる一方の年金支給額。<年金支給額は物価変動に合わせて上下させる>の原則もどこへやら、実際は、物価変動は年金支給額を下げる口実に使われても、上げる理由には使われない。 

 賦課方式と積立方式
 お年寄りたちは今、極めて従順になった(ようにも見える)。背景の一つに、年金制度をめぐる若者世代への引け目と遠慮があるのかもしれない。どういうことか--。
 現在の年金財源は、世代間で支えあう「賦課(ふか)方式」であるとされている。若い現役世代の負担により、受給者は年金をもらっている--と。しかし、これはゴマカシ、言葉のトリックである。

 筆者たち団塊世代が社会に出たころ、異なる考え方で年金制度が運営されていた。年金財源は国の管理下で年金加入者が積み立てる、という「積立方式」の考え方である。ところが積み立てていたはずの巨額の年金財源は、「賦課方式」というコトバの登場とともに消えた。はっきり言えば、国と当時の政治家たちが、積み立てられていた年金財源を”無駄遣い”してしまった(9「賦課方式」、10「続・賦課方式」参照)。バブルに浮かれていた時代のことだ。

 シルバー民主主義は、いずこへ?
 話は戻る。高齢者の発言が尊重された頃に使われた「シルバー・パワー」や「シルバー民主主義」などのコトバが影をひそめ、ややもすると当世は「老人福祉」という語さえ消えかけたかに見える。今年10月から75歳以上の医療費窓口負担も2割に増えた。後期高齢者は今やヤラレ放題である。

断想片々(44) 【中身のないニュース】

2022年11月10日 | 言葉
 ニュースには中身のないものや薄いもの、不確かなものも多い。例えば9日付け読売新聞朝刊国際面(13S版)に載った3段の囲み記事だ。見出しは「『露、米選挙に干渉してきた』」「『プーチンの料理人』実業家プリゴジン氏」。米国内は中間選挙のさなかであり、トランプ氏の次回大統領選出馬が取り沙汰されていたから、格好のニュースネタだったのだろう。

 このプリゴジン氏、最近はSNSで敵方ウクライナ・ゼレンスキー大統領の力量を褒(ほ)め上げるなど話題の人である。前回米大統領選でもロシアがトランプ候補側に付いて選挙干渉したとの話が出たから、ふたたび「米選挙にロシアが干渉した」だけでは二番煎じ。その点「プーチンの料理人のプリゴジン氏も」は、新しい要素だ。

 問題は中身
 しかし、要はそれだけのこと。読者が知りたいのは選挙干渉の具体的な中身の方だ。一般に知られていない事実を知る「プーチン側近」なればこそと、読者は(もちろん筆者も)期待して読み始める。ところが、いくら読み進んでも「米選挙に干渉してきた」の域から出ない。結果、読者の感想は「なあーんだ・・」で終わる。フェイクにあらずとはいえ、中身のない、少なくとも薄いニュースである。

断想片々(43) 【独・ショルツ首相の訪中】

2022年11月07日 | 言葉
 中国の「核兵器の使用、脅しに反対」
<習氏、核使用に「反対」 異例のロシアけん制、独首相会談>(5日付け共同通信)
<独中会談、習氏「核兵器使用反対」>(5日付け産経新聞)

 ドイツのショルツ首相が4日、北京で習近平国家主席と会談した。この席で習氏はウクライナ情勢について「国際社会は核兵器の使用や脅しに対して、共同で反対すべきだ」と強調した。「発言内容は中国外務省発表による」との但し書き付きだから、中国側も積極的にPRしたい発言部分だったのだろう。

 名指しは避けたものの、ロシアとNATO双方への発言であることは確かだ。とりわけロシアへのけん制とも受け取れる。ウクライナ侵略戦争の勃発以来、中国が終始ロシア寄りの発言を繰り返してきた点を考えれば、若干ながら明快な軌道修正である。


 読売新聞は触れず
 ウクライナ侵略戦争を長い歴史の中で振り返った時、ロシアに与(くみ)していた国々の離反の過程は、大きな意味を持ってくるに違いない。メディアであれば、必ず記事にしておくべき節目だろう。ところが、どうしたことか大手の読売新聞5日付け朝刊13S版には、この部分を伝えるくだりが無かった。翌6日付けでも触れていない。
 さて、どうしたことだろう。読売新聞ともあろうものが、知らないはずもない。知っていながらネグレクトしたのか。だとすれば、いかなる意図のゆえか。

91 【続・小さな戦争】

2022年10月09日 | 言葉
 玉川上水緑道
 筆者のウオーキング・コースは、東京都の西に伸びる玉川上水緑道である。玉川上水路は、江戸時代に多摩川から江戸の町まで、上水道水を導水するために掘られた。筆者は雨でもない限り週に2、3回、1回に1時間半ほど歩く。椎名誠さんの小説『岳物語』の舞台となった小平市のあたりで、武蔵野の面影が色濃く残り、木陰の道は夏でも涼しい。
 カブトムシやクワガタ目当ての子供たちで賑わった夏が終わり、今は少々厄介なモノがウオーカーたちの注目を集めている。オオスズメバチだ。自然のままが魅力のルートだから、まあ、こんな危険も時には仕方がないのだが--。

 うごめくオオスズメバチ
 9月も末のこと。歩いていると古木の根元、地上1メートルほどの所に「スズメバチに注意」の貼り紙があった。緑道を管理する東京都が注意喚起のために貼り出した。この種の貼り紙は何度か見ているから驚きもしないが、貼り紙から10センチほど上へ視線を移した時、背筋がゾクッとした。
 体長4、5センチくらいのオオスズメバチたちが、風呂敷半分ほどの広さにわたって古木の幹にビッシリと張り付き、黄と黒の背を蠢(うごめ)かしていた。樹液を吸っているのか。数十数百のハチ全体で1匹の動物のように見え、例えようのない異様さだった。めったに目にしない野生動物に、めったに目にしない動きをされると、人は思わず身を縮こませてしまう。
 前回「90【小さな戦争】」には「ハチに刺されることなど何とも思わない」と書いたが、オオスズメバチとなると話は別である。興奮すると人を襲うこともあり、1匹の毒針で人1人が死に至ることもある。目の前のスズメバチが今この時に興奮しているか否かなど、通りすがりのウオーカーに分かろうはずもない。筆者は息をひそめ、おっかなびっくりの体(てい)で去った。

 翌日、窓の外にオオスズメバチの群舞を見る
 翌朝のこと。起きてすぐ自宅窓の外の異変に気づいた。ブーンという羽音が、隣り合う児童公園から聞こえた(ような気がした)。残暑がひどくても寝る前に窓は閉めるから、公園の昆虫の羽音など家の中にまで聞こえて来るはずもない。ありえないことが、疑う余地のない事実のように感じられた。
 さっそく公園側の窓を開けた。いや、開けようとして、あわてて閉めた。樹高3メートルほどの公園のヒバの木のてっぺんで、数十匹のオオスズメバチが群舞していたからだ。前日の異様な光景が目に焼き付いていたから、すぐにオオスズメバチだと分かったが、そうでなかったら「ハチかな?」ぐらいで済ましていたかもしれない。

 オオスズメバチとなると、筆者の手で巣を除くわけにはいかない。市役所が動き出す時刻を見計らって公園課へ電話を入れ、駆除を依頼した。
「分かりました。すぐ行きますから、巣に近寄らないでいてください」
 テキパキとした口調で指示された。直後にやって来た職員2人がヒバの木の周囲に「立ち入り禁止」の黄色いビニールテープをめぐらせた。
「ご飯茶碗くらいの巣がありましたね。夕方にもう一度来て、巣はその時に撤去します」
 この日1日でオオスズメバチの巣の撤去予定が5か所もあると言う。それで「夕方に撤去」になるのだと、担当者は申し訳なさそう顔で説明し、引き上げた。 

 いくつかの謎
 かくして、その日1日、ガラス戸越しにオオスズメバチの群舞を見つつ、過ごすことになった。間近にオオスズメバチを見るのは前日に続くが、興味津々。疑問も生じた。
 第1に、なぜオオスズメバチたちは、突然現れたのか。玄関庇下や1階ベランダのアシナガバチの場合は、まず1匹が2度3度、巣の近辺に現れた。この点オオスズメバチたちは何の前触れもなく、しかも大軍団で出現した。ハチの巣作りでは通常、女王バチがある程度まで作った後、働きバチたちも巣作りに参加する。しかし、事前に女王バチが出入りしていた様子もなかった。
 第2に、この群舞・乱舞に、どんな意味があるのか。例えば巣の場所を仲間に教えている、のだとか。野鳥などの敵が近づいているぞ、というサインだとか。日がな1日休みなく舞っている理由としては、だが、どちらも納得しにくい。
 第3に、体長3センチほどの”小バチ”も一緒に乱舞しているのは、なぜだろう。もともとオオスズメバチは、親子の働きバチが協力して巣作りをするものなのだろうか。

 「オオスズメバチとキイロスズメバチの戦争でした!」
 その日の夕方、取り除いた5つ目の巣を前に、市役所の担当者が「ハチ同士の戦争でした」と説明してくれた。目の前に、幼虫が散々に食べられたキイロスズメバチの巣が転がっている。児童公園とあって近所の子供やお母さんたちも物珍しそうに集まってきた。
「キイロスズメバチの巣をオオスズメバチが襲い、巣の幼虫を食べようとした。よくあることなんです、ええ。キイロスズメバチは、そうはさせまいと必死で防戦したが、体も大きく戦闘能力も上回るオオスズメバチが相手では、キイロスズメバチは一方的にやられるばかりです」
 なるほど、それで3つの謎が解けた。オオスズメバチの巣ではなく、巣はキイロスズメバチのものだけ。2種類のハチの戦場であり、群舞でなく戦闘だった。”小バチ”に見えたのはキイロスズメバチの方だった。
 足元を見ればキイロスズメバチの死骸が、あちこちに散乱していた。オオスズメバチの目的は、巣の中にいるキイロスズメバチの幼虫をミンチ状にかみ砕いて持ち帰り、自分たちの幼虫に食べさせることという。ハチと人間の戦争(89「小さな戦争」)と、ハチ同士の戦争。生き延びるためとはいえ残酷極まりない。再びウクライナの地に思いを馳せた。せめて人間ならハチ以上の知恵とやさしさを、とは思ったのだが--。

90 【小さな戦争】

2022年08月29日 | 言葉
 ハチの巣と格闘
 旧盆前から旧盆にかけて、我が家の北側玄関先と南側ベランダで、相次いでハチの巣が見つかった。最初に気づいたのは1階ベランダに置いたベンチのあたり。背に黄色の縞模様のある体長2センチほどのハチが、頻繁にやって来てはベンチの背後に消えた。アシナガバチの仲間だろう。
「ははァー、裏にハチの巣があるな!」
 すぐ気づいた。毎年のようにベランダに巣を作るからだ。たいていは庇(ひさし)の下の奥あたり。もともと巣を壊されるなど攻撃されない限りヒトを襲わないが、当方も週に何度か保育園帰りの孫たちを預かるので放置してはおけない。孫が刺されては困る。これまでもハチの巣は見つけ次第取り除いて来た。特に今夏のように低い位置だと、子供の手でも届きやすい。わずかな危険でも除いておくのがジイジの役目というものだ。

 というわけで、ハチたちがどこかへ飛び去った隙(すき)をねらって、その日のうちに園芸用スコップで巣を落とした。大きさは中ぐらいのミカンという感じ。やがて帰ってきたハチたちは、巣が消えたことに戸惑ったふうで、しばらく周囲を飛び回っていたが、それでも夕方までには飛び去った。翌日ふたたび姿を見せたものの、翌々日にはすっかり来なくなった。

 玄関先にもハチの巣が・・
 巣を落とされた翌日に何度か様子を見に来て、翌々日には諦めて姿を見せなくなる--。実はこのパターン、毎年繰り返されるので当方も承知。ところが今夏は少し違った。
「ジイジ、あのね、玄関にもハチが飛んでいたよ!」
 ベランダからハチが消えた日の夕方、今度は玄関の廂の下に巣があるのを、小学2年になる孫娘のちーちゃんが見つけた。
「上の方にもあるネ!」
 ちーちゃんと一緒にやって来た母親、つまり私の娘が、玄関庇のさらに上、すなわち2階屋根の庇下に別の大きな巣を見つけた。玄関の庇に下がった巣はお猪口(ちょこ)大だが、2階の屋根下の巣はドンブリほどもあった。
「ジイジが明日までに取ってしまうから、ご心配なく!」
「いや、あの場所の巣は危ないよ。市役所に相談したら? 取ってもらえないかな?」
 ジイジの足腰回りが頼り無さそうに見えたのか、娘が言う。それを見てジイジが胸を張ると、娘の顔がよけい不安そうになる。<こんな時は意地になるから年寄りはヤッカイだ>。そう言いたそうな娘の胸のうちが、なんとなく伝わった。

 落とされても再び作る
 娘と孫たちをクルマで自宅へ送り届けた後、まだ空が明るかったので、さっそく巣の除去に取り掛かった。Tシャツ1枚の無防備な身だから、絶対に刺されたくない。そこで作戦を練った。まずルート。2階南側の書斎窓から出て一階台所、風呂、トイレと続く水回り部分の1階屋根を歩き、北の玄関側へ回る。玄関の庇上に立ち、庭木用の高枝鋏(ばさみ)を伸ばして、巣を根元から切り落とす。さて、ここからが大事で、いかにハチに刺されず素早く2階書斎へ逃げ込むか、である。実は2階書斎の外にも手すり付きのベランダがあって、書斎へ逃げ込むには、この手すりを乗り越えなければならない。そこで、あらかじめ手すりの内側に椅子を、外側に脚立を置いておくことにした。

 準備万端。巣の直下に立ち、そっと高枝鋏を伸ばす。1度目は刃が逸(そ)れたが、2度目でスパッと切れた。ドンブリほどもある重そうな巣が、ドンと音を立てて足元に落ちた。振り返らず、一目散に書斎ベランダへ。
 ところが脚立を上り、柵を跨(また)いだ足を椅子の上に置こうとしてバランスを崩しかけた。やれやれ・・。高枝鋏を右手で握ったまま、左手一本で体を支えようとしたからだ。ベランダ内に高枝鋏を置いてから、柵を両手で掴めば良いものを。ひと手間省こうとして、あやうく二階ベランダから落ちるところだった。

 翌日の朝、朝刊を取りに玄関に出て、ついでに玄関上の二階庇を見上げた。れれれッ、なんということか! 落とした巣から10センチほど離れて、もう新しい巣が出来ていた。ご飯茶碗くらいの大きさ。夜のうちに、いや朝になってから作ったにしても、立派なサイズである。さっそく昨夕の手順で除去にかかった。
 今度は一発で切り落とした。昨夕のミスを反省しているので、脚立から柵を跨ぐ前に、落ち着いて高枝鋏をベランダ内へ移した。よしよし、今度はカンペキだ! 書斎に逃げ込み、そうと確信した瞬間、右の腕をチクンという刺激が走った。

 小さな戦争での小さな発見 
 実のところ、ハチでも蚊に刺されたぐらいにしか思わないのが我々団塊世代だ。幼いころに公園はなく、遊び場といえるものは草っ原ばかり。半ズボンにランニングシャツ1枚で遊び回った世代だから、ハチに刺された経験のない子供の方が少ないかもしれない。子供たちは「ハチに刺された時は小便を塗ると良い」という”療法”を信じ、それでなんとなく治っていた。まッ、そういうわけで小便を(?)・・いや、ちゃんとハチの針が抜けているかを確かめた後、虫刺され用の市販薬を塗り、処置した。刺したハチは、もう動かなかった。

 それにしても、ひと夏でハチの巣を4つも除去したのは初めてである。モノの本によればハチたちは自分の体を水で濡らし、帰ってから水を巣に塗りつけることで、巣の温度を下げているのだという。気化熱を応用した自然のクーラーにより、巣の中のサナギたちを守っているわけだ。
 今夏の暑さは尋常ではなかったから、我が家では庭と玄関先の水道の蛇口を緩めにして、庭木への朝夕の水遣(や)りに気を配っていた。それで新鮮な水が得られる我が家にハチが集まってきたのかもしれない。理由のすべてではないが、理由の1つであることは確かだろう。ともかくも、水場がハチの巣作りにとって重要なポイントだと知ったのは、小さな発見だった。ならば最初から水場を作らなければ良い。以後水道の栓を閉じると、ハチたちは巣を作らず、いずこかへ飛び去ったままになった。

 ハチたちは巣のサナギを熱暑から守らんとして人を刺し、ジイジは孫をハチの針から守らんとして巣を奪った。人の側の圧倒的な優位と、死を賭(と)したハチの”ひと刺し”。どちらにも言い分はある。遠くウクライナの地で続く戦争を思った。 

断想片々(42) 【セミの鳴かない8月】

2022年08月01日 | 言葉
 米大リーグ大谷翔平選手の試合中継をBS1で観ようと、朝の4時半に起きた。ひと月前なら明るむはずの空が、この時刻では、まだまだ暗い。テレビのスイッチを入れると、天気予報の番組中で、きれいなお姉さんが涼しげな声で「東京の気温は唯今30.8度です」と、やっていた。最低気温25度以上で「熱帯夜」だから、熱帯夜のまま夜が明けそうだ。
 筆者は寝る前にエアコンのスイッチを切る。寝冷えで風邪をひいたことが何度かあるからだ。しかし、こんな夜ではたまらない。おまけに何という湿度の高さか。
 
 梅雨は明けたのか
 今年の東京は本当に梅雨が明けたのだろうか。いまだ梅雨の末期を思わせる蒸し暑さで、豪雨と雷雨が列島各地を暴れ回っている。例年なら「梅雨明け10日」の言葉どおり、天候の安定する梅雨明け直後の10日ほどは、登山客など夏場のレジャーの集中期、最盛期なのである。今夏はコロナ禍もあって観光地は今一つ、いや散々のようだ。

 蝉(セミ)が鳴かない
 身の回りに目を転ずれば、今夏はセミの鳴き声をまだ聞かない。筆者の自宅(都内)は樹木の多い神社と児童公園に接しているので、毎年7月半ばともなると耳を塞(ふさ)ぎたくなるほどの騒々しさだが、どうしたわけか今夏は拍子抜けしてしまうほど静かだ。暑さに弱いとも言われるミンミンゼミはともかくとして、アブラゼミは鳴いても良いはずだが・・。鳴けば鳴いたで暑苦しいが、こんなふうに静まり返られると妙に寂しい。

89 【「政治テロ」と世論誘導】

2022年07月16日 | 言葉
 予想通りの与党大勝に終わった第26回参議院選挙。ウクライナ侵略戦争を目(ま)の当たりにしてきた有権者が、軍備強化と憲法改正の必要へと傾くタイミングで、さらに投票日直前に安倍元首相が銃撃を受けて死亡した。

 政権与党にとれば追い風が二度吹いた形だろう。特に二度目の風には与党寄りメディアの援軍も加わり、事件の政治性を強調しつつ「卑劣な言論封殺 許されぬ」や「民主主義への挑戦」と声高に叫んだ。安倍氏を民主主義の守護者とする一大キャンペーンには、票を政権与党側へ誘導させる効果があった。安倍氏への”同情票”が、氏の持論だった軍備強化と憲法改正の推進勢力へと流れ、一定の加勢要因となった。

 「政治テロ」だったのか?
 「テロリズム」について『デジタル大辞泉』(小学館)は「政治目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ」と解説している。表題で「政治テロ」とした理由は、最近は「サイバーテロ」といった新語も生まれているので、誤解のないように区別するためである。もともと「テロ」は「政治テロ」に限られる。
 
 立ち止まって考えてみたい。あれは本当に「政治テロ」だったのか。「言論封殺」や「民主主義への挑戦」が目的であれば、政治性を帯(お)びた「テロ」ないしは「政治テロ」になるだろうが、41歳の容疑者は逮捕直後から「安倍氏の政治信条に対する恨みではない」「母親を破産させた宗教団体と(安倍氏と)のつながりが動機」と供述していた。「個人的な恨み」であれば「言論封殺」や「民主主義」とは次元が異なる。あくまで「怨恨(えんこん)」である。これを「政治テロ」の問題へと捻(ね)じ曲げてしまうなら、まさに<ミソも✖✖も一緒>だろう。

 政治家が関わるから「政治テロ」になるわけではない。選挙演説という政治活動中に殺されたという理由だけでは「政治テロ」と言えない。「政治目的を達成するために」という点が重要だ。繰り返すが、今回事件ではこの側面が限りなく希薄なのである。与党寄りメディアが参院選を横目でにらみつつ、あえて「怨恨」を「政治テロ」にすり替えたのであれば、これはもう立派な(?)「世論誘導」になる。

 むしろダークなイメージが強かった安倍政治
 善人悪人の枠を超えて死者を悼(いた)み、死者に鞭(むち)打つことをタブーとするのは、日本社会の伝統的な習(なら)いである。悪いことではないが、やがて歴史的評価が定まるであろう一国首相への追悼記事であるなら、安倍政権の功罪を冷静かつ沈着、公平に書き記して欲しかった気がする。

 悪しき点には、森友学園と加計学園のいわゆる「モリカケ問題」、さらに桜を見る会等々が列挙される。安倍氏は外交や国防といった面で国外からの評価が高いが、国内での評価となると金銭がらみのダークなイメージが強い。欧米民主国家の政治家ならモリ、カケ、サクラの、いずれか1件でもあれば辞任に追い込まれかねない大問題になる。 
 これまでも指摘されてきたことだが、安倍家と旧統一教会との濃い関係は、祖父・岸信介氏時代からのものだ。犯行は旧統一教会と安倍・岸家との関係に恨みを抱いてのことであって、「民主主義への挑戦」や「言論封殺」とは関係がない。

 「政治テロ」以上に慄然(りつぜん)とさせるもの
 事件から数日が経ったいま、容疑者がたどった人生が次々に明らかになってきた。7日発売の「週刊文春」や「週刊新潮」、それに女性週刊誌などが、身内の自殺と破産により解体してしまった容疑者家族の悲惨を紹介している。筆者も「自分が容疑者の立場だったら、どうしたか? 自分も・・」と一瞬考えたが、もちろん、どんな理由にしろ人を殺すことに道理はない。容疑者が苦しんだように、殺されて苦しむ家族は殺される側にも出る。そこに想像力が及ばないことは、やはり愚かしいのである。
 
 一方、慄然とさせられる事実も浮かび上がった。「世論誘導」が、かくも大っぴらに行われるようになったという事実だ。もとよりメディアの原則は公平さにあり、世論を意図的に誘導することは禁じ手である。太平洋戦争への反省から、戦後になって「報導」の表記は「報道」へと変わった。ところが、それが大手を振って復活した、というのだろうか。そうした歴史の経緯を、もう一度考えてみる必要がある。

 「政治目的を達成するために」という点では、「世論誘導」は「政治テロ」の蛮行と変わらない。テロのような誰もが否定する明らかな暴力手段ではなく、誰にも知られずに民意の内側に潜(もぐ)り込む「世論誘導」は、ある意味では「政治テロ」よりも危険かもしれない。
 ここ数日のメディアは、安倍氏国葬の是非で盛り上がっているかに見える。安倍氏を民主主義の守護者として祭り上げ、今年の秋にかけ国葬で民意を盛り上げておき、憲法改正と軍備費増強へと向かいたいのだろう。誘導せんとする道筋は、ミエミエでもある。

断想片々(41) 【骨細(ほねぼそ)の・・】

2022年06月09日 | 言葉
 政府は7日、「新しい資本主義の実行計画」と「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」を閣議決定した。例によって抽象的なコトバのオンパレードで、財源不明の軍備強化方針を除けば、具体的に何をしたいのかが見えて来ない。ことに政権発足時から注目していた「分配」のトーンは、急に小さくなった。「骨太」とは、容易には変わらぬことの例えのコトバではなかったのか。

 「投資」頼み?
 「成長と分配の好循環」の項目には「資産所得倍増プラン」の文字が踊る。「資産」に「所得」が、くっついていた。所得を増やして資産を倍増させる、というより、資産運用で所得を倍増させる、という意味合いが強いようだ。要はNISA(少額投資非課税制度)や個人型確定拠出年金(イデコ)など、個人投資の活発化策。しかしこれでは、お金のある人はさらに豊かになっても、投資資金のない人は打つ手なしだろう。かくて貧富差は拡大する一方。貧富差の緩和・解消を目指す「分配」の趣旨から、遠ざかる結果にしかなるまい。

 高齢者の財布のヒモは、ますます固く
 ターゲットと想定される中高齢者の場合、消費が伸びない理由は、自衛のため、生活防衛のため、である。年金支給額が年ごとに減り、それでいて物価は高くなる。政府は頼りにならないから、たとえ金利はゼロ同然でも余ったお金は、いや無理にでも余らせて預貯金に回し、不時の事態や老後に備える--。財布のヒモが固くなる背景だ。リスクの高い投資に回すお金など、あるはずもない。

 記者会見で岸田首相は「眠っている預貯金を叩(たた)き起こす」と息まいていた。なんと乱暴な! 「タタキ」は警察の隠語では「強盗」の意味になる。

断想片々(40) 【殺すな!】

2022年05月16日 | 言葉
 大儀と口実
 「敵はウクライナのネオナチ」と叫んで他国の領土を侵(おか)し、街を破壊し、他国民の生命と財産を奪う。「ネオナチとの戦闘」の大義名分は口実(こうじつ)と同義。真の目的は、自国防衛のために隣国をNATOとの緩衝(かんしょう)地帯にとどめることにある。
 大義名分とは、手前勝手な動機を隠すためのコトバだ。ふり返れば「大東亜共栄圏構想」もベトナム戦争の「ドミノ理論」も、イラク侵攻時の「生物化学兵器所持」も、みな然(しか)りである。ロシア側にもソ連時代にハンガリー動乱(1956年)やプラハの春(1968年)の例がある。

 「殺すな!」
 テレビニュースで日本の高名な女性シャンソン歌手が「(ウクライナ戦争でもロシアばかりが悪いと決め付けず)もう少し見極めたい」とコメントしていた。米国もベトナム戦争では民家を焼き払い、病院を爆撃した。そうした事実を踏まえ、冷静な判断を、というわけだ。ベトナム戦争を知る高齢世代には、このような意見の人は多いのかもしれない。だが待てよ。「見極め」ることは、ときに大義名分を探すことに通じる。それに「見極め」ている間にもウクライナの民は殺され続ける。

 ベトナム戦争では「殺すな!」の合言葉が流行ったが、ウクライナ戦争にふさわしいのも「殺すな!」だろう。ごく普通の人の、ごく率直でストレートな、ごく当たり前の感情から出るコトバこそが、こんな時にはいちばん説得力を持つ。「見極め」ることは後日の歴史家たちに任せよう。

 大義に正対するコトバ 
 大義名分に正対するコトバは「殺すな!」。この惨状に怒らないなら、ヒトに怒りの感情など、そもそも不要だ。毎日のニュースが伝えるウクライナの惨状に、腹が立って、ハラが立って、仕方がない。

88 【ウクライナ国旗と映画『ひまわり』 &ウクライナ国歌】

2022年03月24日 | 言葉
 ヒマワリはロシアの国花
 ウクライナ侵略戦争や北京冬季五輪で、目にする機会が増えたウクライナ国旗。麦畑と麦秋(ばくしゅう=麦の収穫期である初夏のこと)の青空とを、上下二分して図案化した、との説が有力だが、最近は下半分の黄色を「ヒマワリ畑」とする説もあるようだ。今回の戦争に際して映画『ひまわり』(1970年公開)の上映会が日本各地で催されているが、「ヒマワリ畑」説の出所は、この映画からの連想と思われる。ネット上には、ウクライナ国花をヒマワリと誤解した書き込みも目立つ。
 しかし正しくは、ヒマワリはロシアの国花である。ロシアは、ソ連時代からの国花であるヒマワリを、引き続き国花としている。誤解の理由は、昔はウクライナもソ連の構成国だったため、かもしれない。主にサンフラワー油(ヒマワリ油)採集を目的に栽培され、生産量の世界一位、二位をウクライナとロシアが競う。そんなわけでウクライナの国花は山桜の一種であるスミミザクラと、ヨーロッパで庭木として人気の高いセイヨウカンボク。ロシアの国花はヒマワリと、ハーブとしても知られるキク科のカミツレ(別名カモミール)である。

 ヒマワリ畑の圧倒的な美しさ
 4か国(伊、旧ソ連、仏、米)合作映画『ひまわり』は、観た人も多い名画だ。第二次大戦に運命を狂わされた若いイタリア人夫婦の悲劇と哀切を、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが好演した。イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンの、化粧を落とし、髪ふり乱しての熱演と、胸に迫るヘンリー・マンシーニのテーマ音楽、それに広大なヒマワリ畑の圧倒的な美しさ。映像の美しい映画は数多いが、筆者の好みで言えば、米伊合作映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年公開)の、ダーチャ(別荘)の窓越しに見た夜明けの雪原風景と並んで、このヒマワリ畑の映像が10指のうちに入る。
 映画のロケ地について筆者は長くイタリアとロシアと思い込んでいたが、実はイタリアとウクライナ・キエフ近郊だと知ったのは、だいぶ経ってからのこと。ヒマワリ畑は、かつて露軍とイタリア軍が激しい戦いを繰り広げた地で、地下には今も無数の両国兵士が眠っている、との設定。ちなみにロシア革命を時代背景に撮影された『ドクトル・ジバゴ』も、実際のロケ地はロシアでなくカナダである。

 今回の侵略戦争に二重写し
 ストーリーは、むしろ平凡かもしれない。戦争が若いカップルの運命を狂わせる、ということなら、同じような話は世界中に珍しくなかったはずだ。現代もウクライナ侵略戦争の陰で、同じような悲劇が繰り返されているのだろう。むしろ、であればこそ身近な話と重なり合って人々の胸を打つ。筆者など70歳を過ぎた現在でもCD録画を観ると、大学生の頃に初めて観た時の感動が、全く変わることなくよみがえる。今回の侵略戦争に、ぴったりの反戦映画のように思える。

 国歌『ウクライナは滅びず』と「ウクライナの兄弟たち」
 ウィキペデア「ウクライナの国歌」によると、1917年のウクライナ独立とともに国歌となるが、ソ連併合により国歌ではなくなった。ソ連崩壊翌年に1992年に国歌として復活、2003年3月、歌詞を一部修正のうえ正式制定された。以下は現行歌詞から。

 <♪♪ ウクライナの栄光も自由も滅びず、若き兄弟たちよ、我らに運命は微笑むだろう。
 我らが敵は日の前の露(つゆ)のごとく亡びるだろう。兄弟たちよ我らは我らの地を治めよう
 我らは自由のために魂と身体を捧げ、兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう>

 「兄弟たちよ」が3度出て来ることに注目。次に、2003年3月以前の歌詞。

 <♪♪ ウクライナは滅びず、その栄光も,その自由さえも! ウクライナの兄弟よ、運命は我等に微笑みかけることであろう!
 我等の敵は日差しの下に浮かぶ露のように消え失せるだろう。兄弟よ我等自身の国を統治しようではないか。我等は自由のためなら身も魂も捧げ 兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。
 兄弟よ、サン川からドン川に至るまで血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない。黒海はいまだ微笑み,父なるドニエプルは喜ぶだろう。このウクライナの幸福の再来に。
 我等の粘り強さと誠実な努力が報われて、自由の歌はウクライナ全土に響く。その歌はカルパチア山脈にこだまし,草原へも響き、ウクライナの栄光は他国にも知れ渡ることだろう>

 さて、いかがですか。一読して、現行国歌は元の歌詞を簡素化したものであることが分かる。「兄弟」の登場は1か所増えて4度。原詞の「兄弟(たち) 」は英語で「brethren」(ウクライナ語で「 б р а т т я」)。「brother」の複数形だが、血縁上の兄弟を意味せず、宗教の同一教会員や仕事の同業者、一般的な同胞・仲間を指す(三省堂『コンサイス英和辞典』)。

 隣国同士のウクライナとロシアとは、しばしば「兄弟国家」に例えられるが、実際は支配と被支配、抑圧する側とされる側との関係だった。必ずしも「兄」はロシアを意味しない。既述したように国歌『ウクライナは滅びず』はソ連編入と共にいったん消え、ソ連崩壊の翌年、国歌として復活した。ソ連邦健在の時代には、歌詞にある如くウクライナの自治自立を声高に叫ぶことは、ソ連にとって好ましからざることだったのだろう。

 <兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか><血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない>。まるで現在の苦難を予見したうえで、国民を奮い立たせようとする歌詞だとは言えまいか。

断想片々(39) 【プーチンの墓穴が見えた】

2022年03月13日 | 言葉
 ウクライナ侵略戦争で軍事的優位に立つロシアは、国際社会からは孤立の一途。ウクライナを制圧し終えたとしても、その先のロシア国家運営は困難を極めそうだ。プーチンの行く手に待ち受けるのは、どう考えても<破滅>の二文字のみである。

 なぜ、バレるウソばかり
 ロシア側が挙げる侵攻の理由に「東部親ロ派住民に対する、ウクライナ側からのジェノサイド(集団虐殺)」というのがあった。原子力発電所攻撃では「ウクライナの原子爆弾製造を止めさせる」を理由にした。ジェノサイドはその前から、つまり侵攻開始時から口にしていた理由付けだった。
 侵攻以前、東部の親ロ派住民は武装組織を作り、独立を唱えてウクライナ軍と衝突していた。武装組織兵の死傷を指して「ジェノサイド」と主張するなら、ロシア側の言語感覚はどうかしている。この件でオランダ・ハーグの国際司法裁判所が今月7日開いた公聴会は、ロシア側の出席拒否で成立せず、1日のみで閉廷した(9日付け読売新聞朝刊)。ロシア側の主張は世界の嘲笑を招くだけということを、ロシア側も知るゆえの欠席だったのだろう。 
 さらに最近になって「ウクライナ側がアメリカの指導で生物化学兵器を作っている」(11日)と言い始めた。よくもまあ次から次へと、すぐにバレるウソばかり考えるものだ。

 プーチンが恐れるのはロシア国内の反対派
 それにしても、なぜプーチンは、バレるウソばかりつくのか。理由は最初から国際社会を相手にしていないからだろう。主に国内向け。国際社会にはウソをウソと見破る”常識”があるが、報道統制下のロシア国内であれば、市民の耳に届く情報は限られ、ウソがウソのままで通じる。
 見えて来るプーチンの当面の狙いは、ロシア国内の反対派を黙らせることだ。国外でウソとバレても、ロシア国民が真実と受けとめるなら、とりあえず可とする。第二次チェチェン紛争(1999-2009年。プーチンは2000年に大統領就任)、2008年のジョージア(旧グルジア)侵攻と、他国を侵略することで支持率を上げてきたプーチンにすれば、国民の支持の方が大事だ。
 まず、国内反対派の動きを封じ切る。短期的には、それで凌(しの)げる。その後の国際社会での”失地回復”は、核兵器を持つ軍事大国ゆえに、黙っていても”敵”の方から歩み寄り、落ち着くところに落ち着く、と計算しているのだろう。

 ロシア国内の反対派デモに注目
 だが、プーチンのロシア国内重視は、そのままプーチンの弱点でもある。ロシア国内でも、やがて真実は知られるようになる。きっかけは目前まで迫っている市民生活の窮乏だ。経済制裁によりモノは輸入出来ず、とりわけ食料が不足する。加えて外国企業のロシア国内からの撤退により失業者も増える。中・長期的に見れば、国民の不満は必ずや爆発する。
 経済制裁はボデーブロウのように徐々に効いてくる。今後の注目点は、ロシア国内の反対派の動きだ。とりあえずロシア国内デモのニュースに注目しておこう。

断想片々(38) 【SNS時代のプロパガンダ戦】

2022年03月07日 | 言葉
 ひたすらウソっぽい
 ロシア軍によるウクライナ侵攻は、南東部ザポリージャ原子力発電所への攻撃と制圧(4日)で、さらに深刻化した。ところで戦況を伝えるテレビニュースには、従来の戦争報道とは異なる印象を受ける。一般市民の撮影したスマホ映像が頻繁に流れる点だ。おかげでプーチン側の発するコトバが、ひたすらウソっぽく聞こえる。

 証拠動画の拡散
 ザポリージャ原電への攻撃ではロシア国防省が自軍からの砲撃を否定し、「銃撃戦になったが、こちらから砲撃はしていない」と発表した。砲撃とは大口径砲、つまり戦車砲やロケット砲などによる攻撃のこと。4日の国連安全保障理事会緊急会合でロシアのワシリー・ネベンジャ国連大使は、証拠を示すことなく「ウクライナ側の破壊工作集団か放火したものだ」と反論した。ロシア側が放ったのは小銃の銃弾のみと言いたいのだろう。
 しかし日本のテレビニュースでは、原電施設へ向かって砲弾の飛ぶライブカメラ映像が、繰り返し流れた。原電施設内に着弾したロシア側砲弾の映像も「放火」がデマであることを裏付けた。

 スマホは銃に勝る武器
 侵攻の初期段階でロシア国防省は「攻撃は軍事施設に限られる」としながら、実際は住宅地へ凶悪なクラスター爆弾を落としていた。市民がスマホで撮った動画がSNSで世界中に拡散され、有無を言わせぬ証拠となった。誰もが持つことの出来る掌中の小さなスマホは、今回の戦争では一丁の銃にも勝(まさ)る”武器”になっている。

断想片々(37) 【続・悩ましい記事】

2022年02月09日 | 言葉
 小泉純一郎氏ら5人の元首相が福島原発事故で「多くの子供たちが甲状腺がんになった」とする書簡をECへ送ったことに対し、自民党の政調審議会は8日、「差別や偏見を助長する」との非難を決議した(2月9日付け読売新聞朝刊13S版4面)。5日付け記事の続報。

 非難決議の根拠として「福島県の専門家部会や国連科学委員会は『事故当時18歳以下だった住民の甲状腺がんは、放射線の影響とは考えられない』としている」との見解があるようだ。2011年3月11日の福島原発事故から、ほぼ11年。「福島県の専門家部会」がどの時点で、つまり何年に発表した見解なのかは、この記事からでは不明。見解を裏付ける材料はデータ数、分析技術とも最新のものほど信頼度が増すはずだから、肝心の点が明記されていないのでは、主張としての説得力に欠ける。

 やはり数字の裏付けを
 前稿でも触れたが、記事には、甲状腺がん患者数の明記が必要だ。数が他県より多いからと言って原発事故の影響だと即断出来まいが、数字は雄弁に真実を物語る。ぼんやりとであっても事故が影響しているか否かぐらいは伝わる。それで充分。たとえ輪郭に過ぎずとも、怪しげなフェイクニュースより単純な数字の比較の方が、何倍かぶんの信ぴょう性がある。