斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(5) 【「桜名簿」アナログ処理の滑稽】

2019年12月04日 | 言葉
 今春「桜を見る会」出席者名簿を、5月9日には内閣府がシュレッダー廃棄していた問題。保存期間に決まりがあるようだが、何も1月余で廃棄することもなかろうにと、ひどく可笑(おか)しかった。いたずらが発覚し、あわてて痕跡を隠す幼児のようだ。

 安倍首相の国会答弁も、聞いていて力が抜ける、というかニヤニヤしてしまう。「出席者名は個人情報だから、明らかにできない」と。個々人のプライバシーではなく、あくまで名前のみの話。桜咲く陽光の下、首相や各界著名人が多数参集し、メディアのカメラマンが飛び回る。これ以上ないほど晴れやか、かつ正々堂々たる行事だ。招待状に「出席」の丸印を付け返送した者が、名を公表されて困る理由など、あろうはずもない。困るような後ろ暗い人は、そもそも、このような席に出るべきではない。言いたくはないが「桜を見る会」には、参加したくとも参加できない国民の税金が使われているのだ。

 いちばん疑問に思うこと--。アナログ資料もデジタルデータも無いとしたら、翌春の招待者名簿は、どうやって作るのだろう。同じ人を翌年も、いや毎年招待してしまう手違いが起きないか。筆者は年賀状を書くにも、パソコン入力の名簿を毎年書き換えている。多くの人も同じだろう。「桜を見る会」出席者のデジタルデータまで消去して、毎年名簿をイチから作り直しているとしたら、これほど非効率な事務作業はなく、したがって、こんな税金の無駄遣いもない。この点を突かない野党も、どうかしている。

 一連のメディア報道には、内閣府のシュレッダー作業の映像が繰り返し登場する。現代はしかし、このようなアナログ処理の時代ではない。メモリースティック1本のレベルの話だ。思うに現代のエラい政治家サンたちは、自身は名簿作成のような地味な作業とは無縁なのだろう。だから今回の如き滑稽な言い訳けが通ると思ってしまう。考えてみれば、いや考えずとも滑稽な世の中であることは間違いない。