ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「ブリッジ・オブ・スパイ」を観る

2023年09月20日 | 映画

映画「ブリッジ・オブ・スパイ」を観た。2015年、米、スティーブン・スピルバーグ監督、コーエン兄弟脚本、原題Bridge of Spies。なぜこの映画を観たかというと、最近、中川右介著「冷戦とクラシック」という本を再読したら、最後のあとがきに、氏がこの映画のことに言及していたからだ。氏の本は冷戦時に音楽家たちがどういう人生をたどったのかを書いたものであり、この映画も冷戦を描いている。

冷戦時、ベルリンの壁ができる少し前、アメリカで活動していたソ連のスパイのアベル(マークライランス)がFBIに逮捕された、米政府は形だけの裁判によりアベルを死刑にするべく法廷の準備をする、弁護士のドノバン(トム・ハンクス)にアベルの弁護の依頼がくる。ドノバンは嫌がったが引き受けざるを得なくなった。調べていくとアベルはソ連を売るようなことはせず、また、FBIによるアベルの逮捕についても捜査令状もスパイとしての逮捕状もないことが明らかになるが、検事に裁判は形だけだで有罪にすることが大事と言われた。やがて、ドノバンは司法長官に直談判に及びアベルを死刑にしたらソ連が米人スパイを拘束したときに交換条件で差し出す切り札がなくなり米人を危険に晒すと訴えると事態は・・・

その後、米偵察機がソ連上空で追撃され、米兵がソ連に拘束され、東ドイツでは米学生が拘束された。そして人質交換を司法長官に訴えたドノバンに米政府非公式代表でベルリンでソ連と東ドイツと非公式交渉を始める。

このストーリーは実話だとテロップにでていた。有り得る話だろう。ドノバンはその後ケネディ大統領から新たな任務を与えられ、1962年にピッグス湾での捕虜1113名の解放を目指してキューバのカストロと交渉して9703名の男女子供が解放された。ホンマかいなと思うような偉業だ。

いくつかのコメントを書きたい

  • ストーリーは面白く、2時間以上の映画だったが、時間の長さは全く感じなかった。スピルバーグ監督やコーエン兄弟の脚本が良いのだろう。しかし、ただ面白かっただけの映画であるとも言える、何か観た人に考えさせるような内容がないのは、アメリカではそのような韻を含んだ映画は流行らないので、この映画のようなわかりやすい映画が作られるのだと思う、といったら米人に失礼か。
  • ただ、日本人には、自国民がスパイ容疑で他国に拘束されたら、相手国のスパイを拘束して、交換することによって救出する、これが現実だ、という教訓を示している。今現在でも多くの日本人がスパイ容疑で隣国に拘束されている。「改正反スパイ法」でますます日本人は狙い撃ちされるであろうが、隣国のスパイは我が国でやりたい放題やっている。日本も法改正して隣国のスパイを拘束し、自国民救出の材料とするしかないのが世界の現実だと悟るべきだろう。
  • 最近アメリカはイランに拘束されていた米人5人とアメリカが拘束していたイラン人5人を交換し、さらにイランの資産60億ドル(8,800億円)の凍結を解除したとのニュース があった。このバイデン政権のディールについて共和党は60億ドル払って人質を取り戻す実績を作ったとして疑問視しているようだ。
  • この映画は「事実に基づく」と説明されている。「基づく」なのでどこまで事実かはわからない。例えば、ソ連のスパイを逮捕するのに明確な理由や証拠がないし、結論ありきで裁判は形式的だと裁判官が言う、こんなことまで事実に基づいているのだろうか。
  • 私はほとんど事実ではないかと思った。アメリカというのは昔から敵を決めたら証拠をでっち上げてもやりたいことをやる国だ。その点、わが国の隣国やロシアと大差ない。大国は常に自分勝手だと日本人は悟るべきだ。アメリカの無法な振る舞いは以前観た映画「モーリタニアン、黒ぬりの記録」(こちらを参照)でも描かれている。日本は、アメリカを信用しきっていると、きっと裏切られるだろう。
  • アメリカの偵察飛行機に乗り込む極秘任務の兵士に上司が、ソ連に捕まりそうになったらこの飛行機を爆破せよ、捕虜になりそうになったら1ドルコインの中にある毒がついた針で死ね、狙撃されるな、捕虜になるな、任務は家族にも誰にも言うな、という。これが兵士を大事に、捕虜を処遇を適切にする国のやることか。
  • この極秘任務の兵士が拘束され、さらに東独に留学していた(左翼かぶれの)米人学生も拘束された。CIAは兵士の救出をミッションとし、左翼学生は見捨てろと最後までドノバンに言った。アメリカのヒューマニズムもこんなもんだろう。

非常に面白い映画だった。


東京駅にて(追記あり)

2023年09月19日 | 街歩き

(当初投稿、2023年7月)

都心に用事があって、東京駅で下車した。以前から東京駅には大正10年、当時の首相、原敬(はら たかし)が暗殺された現場にその印があると聞いていたが見たことはなかった。良い機会なので是非見てみたいと思い、探してみた。

場所は丸の内側の南口改札を出た駅舎の中、右側の壁に「原首相遭難現場」のプレートがあり、そこに遭難の事実関係が記載され、その下の床に小さい丸い輪に6角形の印が入っているマークが埋め込まれていた。あまりに小さいので驚いた。

このプレートの説明を読むと、ただ事実関係が書いてあるだけで、暗殺された首相を悼む言葉は無く、逆に犯人の言い分が書いてある。ことの重大性に鑑み、事実関係を忘れないためにつくったものなのか。これをつくったのは当時の国鉄であろう。同じ東京駅の構内には浜口雄幸首相の遭難現場もあり、原敬と同様なプレートと小さい印があるそうだが、こちらは時間が無かったので見られなかった。

さて、7月8日は安倍元首相の一周忌であった。奈良市は事件現場に慰霊碑を建立しようと検討したが「事件を思い出したくない」「税金を使いたくない」などの声が出たため断念した。「事件を思い出したくない」という理由が通るなら、広島や長崎の平和記念館、東日本大震災の慰霊碑なども残せなくなるのでは。

同じ日のある新聞の社説は、卑劣な行為を非難してるが、大部分が安倍氏や岸田首相の政治手法への批判で、「分断に満ちた荒々しい政治」とした。この死者をも批判する新聞が「分断」を生み出しているのではないか。非業の死を遂げた故人の命日には、故人を悼み、功績を称え、批判は最小限にする良識あるメディアであってほしい。

 

(2023/9/19 追記)

東京駅で下車する機会があったので、前から見たいと思っていた浜口雄幸首相の暗殺現場を確認してきた。

場所は駅構内の新幹線中央改札口のすぐ前にある。暗殺現場は地上のホームの上だが、直下の新幹線中央改札口近くの柱に事件の概要を記したプレートと、床にマークが設置されている。

この場所は今まで何回も通ったところであるが、このプレートやマークに全く気づかなかったのは恥ずかしい。

原敬の時も感じたのだが、事件の概要を記載したプレートには暗殺犯の犯行動機が書かれている。そんなことを書く必要があるのだろうか。しかも浜口首相の場合には「・・・といわれている」と犯人が本当にそう言ったのかも不明確な書き方である。存命中の偉業は書かず、暗殺犯の言い分は書く、というのは不適切ではないか。


「及川浩治ピアノ・リサイタル」を聴きに行く

2023年09月19日 | クラシック音楽

サントリーホールで開催された「及川浩治ピアノ・リサイタル」に行ってきた。今日の席はS席、2回LB側、6,000円。客は圧倒的に中高年おばさまが多かった。9割は女性に見えた。なぜか、及川人気か、曲目が名曲ばかりだからか。今日は舞台ピアノの右側やや後方の2階席でホール全体がよく見渡せた。95%以上の席が埋まっていたように見えた。14時開演、16時少し前に終演

及川浩治は1984年生まれの39才、国際コンクールなどに入賞した実績がある。ショパン、ベートーベン、ラフマニノフ、リストなどの曲目のCDを出しているのでその辺の作曲家が得意なのだろう。リサイタルのプログラムに及川本人が「今回はベートーベンの月光と熱情を最初と最後に配置し、その間には自分がこれまでずっと愛奏してきた名曲を配置した、作品の内容・知名度ともにMAXの名曲集とした」と説明している。

曲目

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op. 27-2 「月光」
リスト:愛の夢第3番
リスト/ブゾーニ編:ラ・カンパネラ
ショパン:ワルツ第3番 イ短調 Op. 34-2
ショパン:ワルツ第1番 変ホ長調 Op. 18 「華麗なる大円舞曲」
ショパン:即興曲第4番 嬰ハ短調 Op. 66 「幻想即興曲」
ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調 Op. 53 「英雄」
(休憩)
ドビュッシー:月の光
ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女
クライスラー/ラフマニノフ編:愛の悲しみ
スクリャービン:練習曲12番 嬰ニ短調 Op. 8-12 「悲愴」 
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 Op. 57 「熱情」

確かに曲目を見ると知らない曲はスクリャービンの悲愴だけだ。こういう名曲プログラムは大歓迎だ。こういう名曲を聴きたい人は多いと思う。難しい曲を眉間に皺を寄せながら聴くのは好きではない。その結果、聴く曲のレパートリーが狭くなっても良いではないか。仕事ではないのだから好きな曲だけ聴いていればよいと思う。

及川氏はテレビで見たことがなかったし、公演も初めて聴いた。サントリーホールの大ホールを満員にできるのだから人気ピアニストなのだろう。たいしたものだ。今日の演奏は熱意が感じられた。一生懸命演奏している感じが見て取れた。

その上で、今回の公演について運営面を含めてコメントしてみたい

  • 演奏だが、最後のベートーベンの「熱情」は大変難しい曲だというのは素人でもわかる、今日の演奏では第4楽章の最後のフィナーレのところ、もう手の動きが気持ちについていけてなくて空回りしている感じがした。無理もないと思うし、これは批判ではない、誰が弾いても難しい。この演奏を見てアンコールを要求するのは酷だと思ったが、一曲弾いてくれたのは及川氏のサービス精神だろう。私は要求してはいけないと思った。
  • 写真撮影は禁止だったのは残念だ、そして、毎回感じているのだが、紙の張り出しで、客席内撮影禁止となっているが、館内放送では開演中は撮影禁止と言っている(開演前なら撮影してよい)。客への指示は統一してほしい。
  • 撮影禁止は出演者側の意向だろうが、終演後の撮影ができるように粘り強く交渉しているのか。出演者から撮影はやめてください、と言われて、はいそうします、で済ませてないか。公演を観に来たファンがSNS等で公演の模様を投稿してくれれば、出演者にとっても宣伝になって悪いことは何もないと思うし、むしろ、積極的にそうすべきだ。
  • 演奏者が公演に来てくれたファンに何も話しせずに公演を終えるのは如何なものか。終演後、あるいは演奏前に、曲目の選定理由、曲の説明などを自らしてほしい。黙って演奏だけして、それで終わりではせっかくの機会を無駄にしていると思う。また、当日彼のCDや今後のチケットを販売していたが買ってくれたファンには終演後サインや握手をしてくれても良いと思う。
  • アンコールでショパンのよく聴く曲を演奏してくれたが、曲目について終映後、ホール側からは何も情報提供がなかった、帰宅してTwitterやFacebookを見ても情報開示がないのは如何なものか。

さて、今日の公演前の昼食であるが、午前中に池袋に用事があったので東武デパートのレストラン街で取ることにし、比較的空いていた「永坂更科 布屋太兵衛」で天ざるを食べた、2,150円。面白いのはつゆがから口とあま口と2種類ついていたこと。ざるそばの盛りも写真ではよくわからないが、真ん中で2つに別れていて、半分ずつ別のつゆで楽しめるようになっていたようだが食べた後気づいた。

お疲れ様でした。


「魯山人陶説」を読む

2023年09月18日 | 読書

北大路魯山人著、平野雅章編「魯山人陶説」を読んだ。これは、少し前、西新橋の喫茶「草枕」を訪問した際(こちらを参照)、カウンター席に並べてあった文庫本の中から魯山人の本を斜め読みしておもしろかったので、その魯山人が書いた本をしっかり読みたいと思っていたからだ。

陶磁器については、美術館などで見てきたが、知識がないので、良い陶磁器についての自分自身の判断基準がなかった。そこで、魯山人の書いた本書で少し勉強しようと思った。

北大路魯山人(1883~1959、76才没)は、生まれるとすぐ母のの手許を離れ、捨て子同然にして里子に出され、その後養家を転々とした。養家の木版業を手伝い、書の研究をし、やがて美術展覧会に隷書を出品したりし、一時期朝鮮にも渡り、篆刻(てんこく)を習い、古美術など見学して歩く。その後、扁額を彫ったりし、古美術鑑定、美食倶楽部や星丘茶寮を経営し、40代後半から独学で陶器の制作をはじめ、当代並ぶ者なき域に達した人である。

本書には、この魯山人のやきものに関する論考や講演、談話などを収録したもの。これを読んでいると魯山人が陶磁器について、どうして陶磁器に制作を始めたのか、陶磁器の制作で何か大事なのか、古伊万里などの日本や朝鮮、中国の陶磁器の見方・評価、有名な作家に対する評価、などがわかる。その一端を書けば以下の通り。

  • 食道楽から、料理に美を求めるようになると、食器にも無関心ではいられなくなった、食器は料理の着物のようなものだ。何でも良いと言うわけにはいかない、これが陶磁器制作の動機だ
  • 陶磁器の制作を勉強するのに書物を読んで勉強したのではなく、良い作品を蒐集して、それを見て勉強した。芸術は知恵ではなく真心、熱情の問題だ、古の人ほど真心が多い、そしてその名器を見て学ぶ態度を修行の第一としなくてはならない、18世紀以降、徳川幕府の封建的支配が衰え始めると日本的美の伝統も漸く衰え始めた、商業主義的大量生産になったらダメだ
  • 陶芸作家たるべきもの、先ずは美的教養を高めなければならない、土をいじる前に絵画をもって陶器を作るようにならなければいけない
  • 本来、作者という立場は、その仕事に向かっては徹頭徹尾、あくまで自由であらねばならぬ。世俗の見方、世俗の了見、この世俗を断って作心は孤立せねばならない
  • 陶器を美術的、芸術的に見られるようになる近道は、まず第一に製作年代の中心を慶長におくことを忘れてはならない
  • 美術面において、現存者から師を仰ぐことはなかなか難しい、何れかに偏し、かつその道の1つに囚われているからである、これらの一人二人を師と仰ぎ教えを乞うとすれば、後日後悔するだろう
  • 日常生活に雅とか美とかを弁え、それを取り入れて楽しめるものは、たとえ貧乏暮らしでも金持ち性と言えよう、その心の底にはゆとりがある

作陶家などにも具体的な評価が大胆に書かれている。

  • 楽家の楽茶碗においても長次郎、のんこうのが特に出色である、光悦、野々村仁清も良い、乾山は陶画家というべきで陶工とは言えない、自分で土をいじっていないからだ、青木木米も良い、鍋島・柿右衛門には工芸美術的な良さはあるが、精神力には欠ける、古九谷には道楽気があって芸術味がある
  • 伊万里、有田、古九谷とかは製陶の手法こそ相類似しているが、実体が有する美的要素においては、前者と後者は黒白のごとく全然別にしていると断言したい、古九谷は根本的にものが違うと言ってよい、伊万里・有田なるものはいかに動いてもその結果の立派さが職工的にのみ成就し、遺憾なことに、深みのない、味のない、余韻のない、干からびたものにしか過ぎない
  • 古唐津というものの良さは、日本陶器として著しく他に優れた良さと日本趣味に富む野趣を存する
  • 陶器は絵の描かれたものが大部分であるが、何ら絵をほどこさず、しかも、釉薬もかけない陶器に備前焼がある、無釉薬の中でも群を抜いて美しいのが、この備前焼である
  • 織部という陶器は古田織部という茶人の意匠、発明に始まるものではない、織部以前に織部という陶器は生まれていた、利休時代に有名になった織部がそれをやかましく好んだから遂に織部という名をなしたのであろう、しかし、徳川末期に織部を模倣する人がずいぶんくだらない織部を生んだ
  • 中国は明代の絵などを見ても、本当に頭の下がるものはない、宋、元に上がっても同じである。中国はそれが国民性というのか、柄や形式や風采に走って、実に内容の空疎を意としないところがある、中国が今日のごとく、何かにつけても救いがたいところまで堕落したのも、そのためであろう、それに比べ日本では、作者の見識がある、自信がある、窯切れのあるものでもそうした欠陥が作品の内容を左右しないことを我々の祖先は知っている
  • 美術学校の板谷波山は梅華皮(カイラギ、陶器制作時につく傷のこと)の妙味を理解していない、河井寛次郎の作陶は土の仕事がまずい、浜田庄司(浜田参考館訪問時のブログ)、富本憲吉の両君でも土の仕事は随分とご油断と粗忽があると思う。
  • 瀬戸の藤四郎、久谷の才次郎等の時代においては芸術としてその取り扱うに足る作品を生じて余りあるものであるが、以後においては屈指の名匠を除く以外、見るべきものは少ない、現代陶磁器に至っては嘆息すべき状態にあって芸術的生命のあるものの絶無であることを叫ばざるを得ない

などなど、書いていけばきりがない。ネットで調べると北大路魯山人という人は毀誉褒貶の激しい人で、支持者もいたが敵も多かった人らしいことが窺える。本書を読んでも作陶家などに対する名指しの批判も多いので、そうなるのであろう。

本書を読んだ結果、陶磁器に対する見方が少し変るか、と言われれば、まだそんなことはない、この程度の勉強では陶磁器の良否の判定などできないのも当然だ、が、今後とも折に触れて勉強していきたい。

さて、魯山人と同時代を生きた陶芸家に川喜田半泥子(かわきた はんでいし、1878-1963、84才没)がいる。百五銀行の頭取でありながら茶の湯や書画、俳句、写真などに親しみ、こと焼き物に関しては玄人以上の素人であった。「東の魯山人、西の半泥子」と称された。半泥子をちょっと調べると実に人間味のある人物のようであるが、魯山人の本書には一行も彼のことは書いていなかった。今後、半泥子についても勉強してみたい。

 


人形町魚久で「ぎんだら京粕漬」を買う

2023年09月17日 | グルメ

用事があって都心に出かけた帰りに、どこかで昼食でもと思って、人形町に来てみた。以前から行ってみたい天ぷら屋があったので少し昼時をずらして行ってみたが、期待した味とは違ったので、何か他に人形町に用事がなかったか思い出しながらブラブラ歩いていると、「あっ、そうだ、魚久で京粕漬を買ってみたかったのだ」と思い出した。

人形町の玉ひでと同じ側、甘酒横丁の反対側、大通りを横に入った交差点の角に魚久はある。前から知っていたが、初訪問。粕漬が有名とのこと。店内に入って陳列されている粕漬を見るといろんな魚の種類の粕漬がある。また、粕漬にも種類があり、京粕漬、酒粕白味噌漬、味噌漬など。

店のHPには「酒を絞った後の酒粕に魚や野菜を漬ける粕漬けは、古くから日本人に親しまれてきました。
大正三年創業の魚久は、その伝統の味を代々引き継ぎ、熟練の技で守り続けています。また、”旬を生かし、味を守る”を銘に粕漬けと日本料理の食文化を伝えるため国内外の漁場から季節毎に最も美味しい魚を選び、一つ一つ心を込めて作り上げています。」と説明がある。

何を選んで良いのかわからないので、一番高かった、といってもそんなに差はないが、ぎんだら京粕漬を2つ2,160円を買ってみた。冷蔵で1週間、冷凍で1ヶ月保存できるという。保冷剤に包んでくれる。ちょっと高いがたまには良いでしょう。ここでは食事もできるようなので、次回来たときは是非ここで昼食を食べてみたい。

さて、帰宅して、早速、今夜の夕食のおかずとして食べてみた。といっても作ったのは嫁さんだけど。

食べてみるとなかなか良い味、上品な味だ。酒の肴としても良いでしょう。たまにはこのような上品なおかずで夕食を取るのも良いものだ。リッチな気分になれた夕食でした。

 


「岩瀬桜川CC」でゴルフをする

2023年09月16日 | ゴルフ

茨城県桜川市の岩瀬桜川CCでゴルフをした。何回も来たことがあるコースだが、最近来てなかった。費用は2人で11,500円、安くて有難い。

このコースは比較的空いているので猛暑のときなどは好都合である。ハーフ2時間かからずにラウンドでるからである。カートのフェアウェイ乗り入れが可能であり、これができると猛暑でもかなり楽だ。コースは適度にアップダウンがあり、打ち上げ、打ち下ろし、池越え谷越えなどもあり、ラフは深い、ワングリーン。インの1番だけは単調な感じがするが、それ以外のホールはすべて変化に富んでいて、何回ラウンドしても飽きない素晴らしいレイアウトだ。

前回来たとき、ティーグラウンドの芝が剥げて、土がむき出しになっているホールがあったが、今回は芝の張り替えをして直っていたのは評価できる。また、カーナビもついていた(以前はついていなかったような気がする)。ティーグラウンドの芝が長めになっており、ティーグラウンド保護のために仕方ないが、打ちづらいことは確かだ。あと、カート道路がでこぼこになっている箇所が少しあるので、その辺を改善すれば一定の水準のコースにはなると思う。あと、運営面で苦言を呈すると、ティーマークの位置がスコアカードの距離より短い位置に設置してあるホールが多かった。これにはがっかりである。

猛暑のせいでグリーンが茶色に変色したり芝が剥げているホールが少しあったが、仕方ないであろう。ティーグラウンドとフェアウェイはほとんど青い芝生になっていたのは立派だ。グリーンにはボールマークを直していない箇所が多く見られたのは客のマナーがよくないためであり、困ったものだ。

さて、今日はゴルフの帰り道に「しもだて美術館」に寄ってみた。一度来たことがある。今日は「秋山静、青の世界に遊ぶ」を見るためだ。秋山静は茨城県岩瀬町(現桜川市)出身の寄木版画家、女体を描いた神秘的でエロティシズム漂う独特の雰囲気を醸し出す作品に特徴がある。確かにそうだった。また、展示室Ⅰでは、地元出身の板谷波山、大西勲等の工芸作品、森田茂、館野弘等の油彩画が展示してあった。写真撮影ができないのは残念である。入館料210円は安い。

お疲れ様でした。


映画「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」を観る

2023年09月15日 | 映画

映画「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」を再び観た、2回目だ。以前一度観てよかったのでもう一度観たくなった。2019年製作、フランス、監督エリック・トレダノ、オリビエ・ナカシュ、原題Hors normes。原題はグーグル翻訳で「並外れた」とでた。邦題に「実話」とあるので、実際にあったことなのだろう。

自閉症の子供を預かる無許可の施設「正義の声」を運営するブリュノ(バンサン・カッセル)と自閉症児の就職支援をする(と映画の中では言っていたと思うが)仲間のマリク(レダ・カティブ)。この2人は、国が運営する児童施設や病院、ケア施設などから見放された、あるいは受け入れ拒否された重度の自閉症児を引き受け、自立支援をしていた。その「正義の声」が無許可でずさんな児童の取扱いをしていると国の検査が入り、存続の危機になるが・・・

この映画を観ていると自閉症児をケアすることの難しさがよくわかる。通常の病院・施設であれば暴れたり手に負えない自閉症児は鎮静剤を注射して病室に閉じ込めるようなことをして済ませる。これではいつまで経っても自立は無理だ。この「正義の声」ではなるべく自閉症児に寄り添い、外に連れ出し、自然や動物に触れ、比較的軽度な人には電車に1人で乗せたり、会社にたのんで働かせたりしているが、実際には簡単ではない、電車に乗せれば被害妄想から非常停車ボタンを何回も押したり、会社で働けばやさしくしてくれる女性社員の背中に顔を埋めたりして、問題を起こす。自分自身を傷つけるようなことをする子供もいる。

親や施設などからも手に負えないと見放された自閉症児に愛情を持って接するには、高度な使命感がなければできないことだろう。頭が下がる思いである。この困難な仕事をしている人たちの中には、自閉症ではないが、世の中から見放されて、自分の居場所が見つけられないでいた人たちもいることが映画の中でちょっとだけ触れられている。そうなのかもしれない。自分たちが見放された存在だったからこそ、自分たちを人間として受け入れてくれ、自閉症児の支援をする仕事を与えてもらい、それを意気に感じて頑張って手伝う。立派な行為だ。主人公の2人がどうしてこの仕事をすることになったのかの事情が描かれていればさらによかったと思う。

見る価値のある映画だと思う。


「新日本フィル 第651回定期演奏会」を聴きに行く

2023年09月14日 | クラシック音楽

サントリーホールで開催された「新日本フィルハーモニー交響楽団、第651回定期演奏会」を聴きに行った。開演は19時、終演は21時少し前。今日はS席、8,000円、平日夜で若い女性客が多かった。マーラーは何でこんなに女性に人気があるのだろう。あるいは久石人気か。当日券は販売していないのでチケットは完売したようだが、空席が若干あった。急な仕事で来れなくなった人が多かったのかもしれない。

曲目

久石譲:Adagio for 2 Harps and Strings(世界初演新作)
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

出演

指揮:久石譲
新日本フィルハーモニー交響楽団

久石譲氏は名前は知っていたが、詳しいことは知らなかった。公演に先立ち、新日本フィルのHPを見るとプログラムノートが公開されているので、事前予習してみると、氏は現代音楽の作曲家で、宮崎駿監督の映画音楽などを数多く手がけ、2004年からは新日本フィルのワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督に就任している。現在は新日本フィルのMusic Partnerでもある。かなり多才な方のようだ。

今回の公演曲目のAdagio for 2 Harps and Stringsは新日本フィルのからの委嘱によりこの公演のために作曲したもの。マーラーの5番の前に演奏されるのでそれを意識して作曲したとのこと。イメージとしてはマーラーのアダージェットの久石版ができれば、ということだそうだ。おおらかな自然と人への賛歌であり、祈りでもあれば、と考えたそうである。実際、そのイメージ通りの曲だったと思う。

マーラーの5番の第4楽章アダージェットは、ヴィスコンティ監督の1971年の映画「ベニスに死す」(この映画のブログ)で使われたのはご存知の方も多いだろう。なんと言ってもあの映画のベニスの景色とマーラーのアダージェトが実にピッタリと合っているため、この楽章を聴くとあの場面が思い浮かぶ。

マーラーの5番は1901年、マーラーが南オーストリアのマイアーニックに別荘を新築して、そこで作曲をはじめ、翌年の夏に完成し、1904年にマーラー自身の指揮で初演された。ケン・ラッセルの映画「マーラー」(こちらを参照)で湖に突き出た木造の小さな屋敷がこのマイアーニックの別荘なのか、そのシーンも思い浮かぶ。

この5番は何回も聴いているが、演奏時間が75分と長いこと、わかりやすい旋律で構成されているだけでもないことから、なかなか理解できない。1楽章の冒頭部分からしばらくと4楽章だけが比較的わかりやすいが、それ以外は私にとっては難解である。そして75分間も集中できない。ただ、前にも書いたが、わかりにくいと思っている曲もCDやYouTube、公演会などで聞き続けると、あるとき、急にひらめいたように理解できるようになることがあるので、今後も機会があれば聴いていきたい。

公演に関する若干のコメントをしたい

  • 本日の公演では、プログラムノートが事前にHPで閲覧できた、また、カーテンコール時に写真撮影可能と開演前のアナウンスがあった。これは良いことで高く評価できる。ただ、写真撮影については紙に書いて張り出してある撮影禁止の注意書きにはそのことは書いてなかったので改善してほしい。
  • 演奏を聴いていてどうにも気になるのが演奏者が紙の楽譜を見て、演奏途中に何回も演奏を中断してめくっていることだ。紙の楽譜と同じ大きさのタブロイドにしてバックステージで誰かがスワイプして常に演奏している楽譜を見れるようにしてはどうなのか。ITの専門家からすれば簡単なことでしょう。
  • 演奏終了後、指揮者の久石氏が拍手に答えて何回もお辞儀をしているのにオーケストラメンバーはお辞儀をしなかった。むしろお辞儀をする久石氏を冷ややかに見ている印象を持った。指揮者がオーケストラメンバー全員に起立を促し、全員が立ち上がった時などはその都度、指揮者と一緒に一礼をすべきでしょう。

さて、今日は7時からの公演なので、公演前にいつものようにホール前のアークヒルズのThe City Bakeryでパンを買って簡単な夕食にした。今回はほとんど売り切れていて選択肢が少なかったが、ブレッツエルクロワッサン418円を選んだ。ただ味の方は、できてから時間が経っていたせいであろうが、期待通りではなかった。クロワッサンは少し温めて提供するサービスがあると有難い。


「SAZA COFFEE 筑波大学アリアンサ店」に立ち寄る

2023年09月13日 | カフェ・喫茶店

ゴルフの帰りに、暑かったので、喫茶店で冷たいものでも飲んで帰ろうと思い、SAZA COFFEE 筑波大学アリアンサ店に寄ってみた。初訪問だが、以前、大洗でゴルフをやった帰りにサザコーヒーは寄ったことがあった(こちら参照)。サザコーヒーは茨城発祥のコーヒー屋、16店舗と2工場、2農場からなるそうだ。

この店は、筑波大学D棟近くの自然環境抜群な中にあり、筑波大学とサンパウロ大の連携協定でブラジル側病院の 所有農園「アリアンサ農園」のコーヒー使用している。そして店内でコーヒー焙煎している。コンセプトはブラジル風のカフェ。地区限定のブラジルのメニュー群(ポンデケージョ、ソーセージパン、ピンガード、練乳プリン)が売り物だそうだ。

私はアイスコーヒー、嫁さんはアイスカフェオレ、そしてケーキ一つを注文した。コーヒーは600円くらいだったがケーキは700円くらいした。ただ、ケーキの大きさは大きめで、スポンジがカステラのようでうまかった。コーヒーの味は酸味が強く、自分の好みには合わなかったが、ケーキと一緒に飲むとおいしく飲めた。いつもブラックで飲むが、酸味が強い場合にはクリームを入れるべきだった。

大学構内といっても誰でも入れて、普通に往来の車が通っているので、変わったことはなく、来ている客も学生というよりは近所のママたちが多かった。

ご馳走様でした。


映画「ちいさな独裁者」を再び観る

2023年09月12日 | 映画

以前観た映画で面白かった「ちいさな独裁者」(2017、ドイツ・フランス・ポーランド、監督ロベルト・シュベンケ、原題Der Hauptmann)を見直してみた。原題は「将校」とでも訳すのが適当か。

敗色濃厚なドイツでは、兵士の軍規違反が続発していた。命からがら部隊を脱走した21才の一兵卒ヘロルトは、偶然将校が乗った車が事故で放置されていた所に遭遇した。その車の中を調べてみると、軍服や軍隊手帳などの将校(大尉)の持ち物がそのまま放置されていた。機転をきかせたヘロルトはその軍服を身につけ大尉に成りすまし、道中出会った兵士たちを言葉巧みに騙して服従させていく。大尉の軍服の威力の味を知ったヘロルトは傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついには脱走兵収容所にたどり着き、そこで思いもしないことを始めた・・・・

どうもこれは最後のテロップをみると実話らしいから驚きだ。大尉になりすましたヘロルトが何時バレるのかとハラハラしてみていると、みんなその制服と流ちょうな話しぶりにだまされ、信用して、ヘロルトの出す命令に従ってしまう。脱走兵収容所長がおかしいと思って電話で管轄の司法省に確認の電話をするが司法省も「私はゲシュタポの管轄下にある」などという説明に了解してしまう、異議を申し立てても審査する方もヘロルトの説明を信じてしまう、という信じられないことが起こる。

主人公のにせ大尉に対して最後までやっていることがルールに反しているとして抗議し、司法省に確認を求めた収容所長ハンゼンや一部の兵隊たちがいた一方で、にせ大尉の「自分は総統から直接指示を受けて後方の状況を調査している」という言葉を信じ、収容所長よりも上の総統からの指示ということに絶対服従をする収容所警備責任者ヒュッテなどがいた。ヒュッテは普段から所長とはうまくいっていないようだ。自分が警備責任者だったらどうしただろうか、考えさせられる。軍隊組織において、直属の上司の指示を無視してその上司より上だという初対面の将校からの指示だったら納得できないことでも従うか。そういう問題を突きつけている気もする。

ネタバレになるので結末を書くのはやめにしておくが、このようなことが実際に起こったというのが信じられない。多少の誇張などはあるだろうが、面白い映画だった。