ボランティアサークル「ビーンズ会」

ビーンズ会の活動内容などを紹介。
ボランティア情報や事務局長(私)の日常など・・・。

魚の目の激痛

2022-11-11 07:45:26 | 昔のこと
おはようございます。
今朝は青空の広がるとてもいいお天気です。
良い日になるといいなあ。

下の子は登校班で学校に行きました。
中の子は自転車で学校に行きました。
上の子は7時電で出勤しました。
妻はリラックスタイムが終わり、ゴミ集めする妻です。
私が20代のまだ歩いていたころのことです。
アキレス腱が縮んできてつま先でやっと歩いていたのですが、負荷が掛かり過ぎたのでしょう、小指球のあたりに魚の目が出来ていました。
それも左右ともに。
歩くのが痛くて痛くてね。
特に、朝起きて最初の一歩二歩がとっても痛かったなあ。
車いす生活になっていつの間にか魚の目は消えていましたが。
それでも歩けることが今となっては恋しい。
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角ハムが贅沢だった

2017-04-26 19:46:53 | 昔のこと
お晩です。
終日雨の本日です。

夕食にUCCのハムカツとかぼちゃコロッケが出ました。
私が子供の頃の昔のことですが、魚肉&豚肉の四角いハムがあったと記憶しています。
ソーセージが1本30円くらいなのに対し、このハムは1本100円以上したようです。
たまに冷蔵庫に入っていることがあり、それを黙って食べようものならひどく叱られたような記憶があります。
魚肉ソーセージの食感と、ぶつ切りみたいに入ってる豚肉のちょっと固い食感が何となく好きでした。
まだあるのかなあと思ってマルちゃんのサイト覗いたのですが、多分角ハムがそれなのかなあ?
ソーセージが普通で、角ハムが贅沢だった50年近く前の子供の頃の思い出です。
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空がすき

2016-07-08 19:20:34 | 昔のこと
私がまだ東京で働いていたころなので、今から35年以上前のことです。
特に気に入った女流漫画家と言えば、竹宮恵子と高橋亮子。
竹宮恵子は風と木の詩で人気を博したが、私は初期の作品の一つである「空がすき」を好んで繰り返し読んだ。
風と木の詩は、嫌いではないがテーマが重かったのを覚えている。
もう一人、高橋亮子を好んで読んだ。特に「しっかり長男」は好きだったなあ。
どれもコミックを全巻そろえた記憶がある。
帰郷する際、ゴミに出してしまったのが悔やまれる。
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30年ぶりくらい

2014-09-04 18:20:35 | 昔のこと
お晩です。
日の暮れるのが大分速くなりましたね

今日は午前中お風呂でした。
病院のお風呂は12年半ぶり、上の子が生まれる時以来です。
そしてCTスキャンは30年ぶりくらい。
東京にいた頃、病名確定のために東大付属病院の神経内科に入院。
CTスキャンを撮るため、千葉県四街道市の下志津病院まで、同い年の担当医に連れられいったことを思い出します。
行きは電車でしたが、歩行がかなり不便になっいた私を、体格が私とそれほど変わらない先生はかなり難儀しながら、共倒れしながらだったのでさすがに帰りはタクシーで。・・・病院の経費で落としてくれて様です。
先生、今どこに居るのかなあ。
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夏休みは河原で芋煮

2014-07-30 21:10:18 | 昔のこと
お晩です。
家の中はまだ、暑いです。熱篭ってます。

夕食に深しジャガイモが上りました。

ジャガイモと言えば、夏休みになると川で泳いだり遊んだりが定番だった、私の子供のころの話です。
私の住んでいた集落には、小学生から中学生まで男の子10人程度。
中学生が先に立って、いついつ川で芋煮するから、二度芋(ジャガイモ)を持って来いと言われる。
親には内緒でジャガイモを3,4個と紙に包んだ塩をこっそり持ち出す(もちろん親はわかっているがいちいちとがめない)。
河原に着くと早速川流れ(流木)を集める。これは決まって小学生。
中学生は鍋とマッチを持ってきていて、竈づくり。
焚き付けには乾いた杉の葉っぱ。
竈を作り、火をおこせれば一人前なのである。いわゆる大人。
水は川の水を汲めば十分。
煮あがる間、泳いだり小魚を追いかけたり。
ヤスを持ってきてイワナやニジマスをとる中学生もいた。
取れれば焼いて食べる。分け合って。
大自然に囲まれ、小学生も中学生も一緒になって汗をかき、アツアツのジャガイモに塩を付け食べるのが格別のおやつだった時代がまたあればいいのだが・・・。
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エレベーター閉じ込められ事故

2012-05-31 20:44:17 | 昔のこと
お晩です。

今日のアンビリバボー!を見ていたら、エレベーターに閉じ込められ、奇跡的に助けられた話を再現化していた。

そう言えば私も、旧道川病院に入院していた頃にエレベーターに閉じ込められた経験がある。
日曜の朝、朝食が終わり、病院玄関まで散歩に出ていつもは回らない隣の病棟のエレベーターから2階に上がるため乗り込んだ。
ボタンを押してゆっくりとエレベーターが上昇を始める・・・、がゆっくり過ぎる。
なにやら油のこげ臭いようなにおいがする。
と、思ったらガタンと衝撃と共にエレベーターが止まってしまった。
「え!止まっちゃった?」。
どうやらエレベーターのモーターが焼けちゃったみたい。
ん~どうしようと一応腕を組み、少し間をおいて外部へのインターホンを押した。
幸いにもエレベーター内の照明は点いていたので冷静でいられたようだ。
当直していたのは、指導員。
早速鍵を持ってエレベーターにやってきたのだが、両方の扉が開いたのは15分後。
1階と2階のちょうど真ん中に止まっていた。
指導員が先に私を抱えて上げ2階に、その後車椅子を。
怪我をすることも無く、無事脱出できたのは幸いでした。

その後まもなく、2基あるエレベーターは赤外線センサーの下に止まっていると感知して、エレベーターが開き、1階で乗ったときは2階へ2階から乗ったときは1階へ運んでくれる、とても賢いエレベータに新設されました。
このシステム、私と当時の事務長補佐(現あきた病院事務部長)との将棋をしている中で生まれたアイデアです。
事務部長の名誉のために・・・、将棋は夕方5時以降毎日のように行われました。
戦績は、事務部長の勝率6割3分というところでしょうか。

あきた病院はこれから、新しい外来と病棟、事務が入った5階建てのビルの建設に入るようです。
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真空ポンプとゴキブリ

2012-02-23 12:40:17 | 昔のこと
こんにちは。
外は雨・・・です。

今から30数年前、私がまだ東京で働いていたころの事です。
私が勤めていた会社は、電子部品などを製造する会社でした。
コイルやコアなどを固めて固定するために、モールドと言う樹脂を流し込むのですが、モールドに気泡があってはいけないので、熱したモールドを真空ポンプで空気を取り除く機械がありました。
あるとき、ビーカーに入れた水を真空ポンプに入れたらどうなる?と言う実験をしました。
答は氷。
気圧が低くなると常温でも水は沸騰して、沸騰することで気化熱が奪われて、水が冷えて氷になる、単純な実験でした。
「じゃあゴキブリを入れたらどうなる?」と誰かが言い出し、ゴキブリを捕まえて機械の中に入れてみました。
少しするとゴキブリはピクリとも動かなくなりました。
5分くらい真空状態に入れて、機械の蓋を取ったらソクサクと逃げていきました。
人間だったらとっくに死んでいると思われます。
恐るべしゴキブリ・・・でした。

ちなみに、シンナーを撒いた床の上を歩かせたら、即行で逝っちゃいました。
残酷でしたね。反省。
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漬物の仕込み

2010-10-24 19:27:31 | 昔のこと
干し柿で思い出したのですが・・・。
冬支度の一つに漬物の仕込があります。
一冬分の漬物を漬けるのですから、野菜も塩も大量です。
白菜も大根も漬ける樽は大きく10斗樽だったように記憶しています。
白菜には、甘味を増すため干し柿でむいた柿の皮と、熟した柿も入れたような・・・。
白菜は塩加減と甘みが命ですから。
大根には、精米した時に出る糠を。
兎に角家族10人近くが、半年食べるだけの漬物ですから、脱穀が終わってからは、野菜の刈り入れなど、急ピッチで作業が進められます。
農家は本当に休む暇がない。
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干し柿

2010-10-24 12:44:25 | 昔のこと
向かいの家の玄関先に、柿を縄で編んで干してあります。
まるで玉暖簾のように。

そう言えば子供の頃、干し柿を手伝ったものです。
秋も終わりごろに柿をもいできて、顔剃りの剃刀で柿の皮をおばあちゃんやお袋と一緒にむきました。
柿をもぐのもコツがあって、枝を少し残してもぐんですね。
この枝に細縄を絡めるためです。
皮むきに何故剃刀を使うのかと言うと、より薄く皮をむくためです。
包丁だと、薄くむくのは難しいですから。
編みあがった柿は、軒下に吊るされて、干し柿になるのをただただ待つのみです。
出来上がった干し柿は、冬の間の子供たちのおやつになりました。
懐かしいよき時代です。
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御神木の大銀杏

2010-10-20 20:11:00 | 昔のこと
脱穀が終わりしばらくすると、あっちこっちの田んぼでは、籾殻を焼く煙で山間の村は霞がかかったようになる。
畑の芋の子(サトイモ)の収穫も終わり、農家の人たちは冬支度に入る。
紅葉も終わりかけたころ、学校から帰ってきた近所の子達が競って拾いに行くのは、神社にドンと鎮守している大銀杏(直径2mはある大木)から落ちた銀杏の実。
まだ、皮が付いているので、持って帰って1週間ほど畑の土の中で腐らせる。
皮が腐ったら、今度はタナゲ(池)で水洗いし乾燥させるのだが、皮には大量の油分が含まれているので、イケの表面が油膜を張ったようになるものだった。
プラス、かなりキツイウンチ臭。鼻をつまみたくなるくらいだが、冬場の子供たちの大事なおやつである。
ひたすら我慢で洗ったものだ。
この大銀杏は、実が落ちたあとは、子供たちの格好の遊び場であった。
みんな、どれだけ高いと頃まで上れるかを競ったりもした。
天辺近くまで上ると、私達の集落が一望できて気持ちが良かったのを覚えている。
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