ボノラート・スタッフブログ (豆知識・身体の科学・体験談・Q&A・飲み方など情報満載!)BONOLAT

健康に、若く、美しく
ドイツの科学から生まれた
ボノラート・ビューティキャップ・グラノザイム」
で体内からケアー

第二話【 創業社長のボノラート体験談 】

2012年12月11日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】

第二話【 創業社長のボノラート体験談 】

ボノラートをドイツで知った頃は肥満体。
初めのうちに、都合三度試みて、50キロ前半の身体にしたから、
ここ十年ばかりは、「減量」とは縁遠くなっていて、
ボノラートは栄養補給の為に飲むだけだ。

直接関係が有るのか、栄養学や生理学の本を読んでも分からないが、
透析前の計測で体温が高くなって長い。
だいたい平熱が36度8分あり、時として37度を示すことさえあるが、
異常は感じない。
主治医は高体温は、酵素活動、免疫細胞活動、ホルモン活動の、
すべてに好条件だと言う。これらがすべて、アミノ酸から出来ている。
ボノラートのタンパク価は100だから、最良質のタンパク質で、
だから必須アミノ酸がすべて充足している。
その辺りが好条件を生んでいるのだろうか。

ボノラートの体験談を、たくさん頂くが、特にシニア以上の方々に
体温が上がっていないかを、訊ねてみたい。
人間は普通自宅で体温計を用いることは少ない。
もしボク以外の方々も平熱が上がるようなら、高い体温下で
活動が活発になる酵素・免疫細胞・ホルモンの機動力が増して、
シニアの身体にやさしいボノラートと言う事が出来る。




【 創業社長のボノラート体験談 】連載中!


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【酵素の科学】『6:ボクの身体は若い』

2012年04月13日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】




幼くして法定伝染病を二度患ったボクは、小学生の間、要注意
病弱児として過ごした。昭和20年8月に旧満州国の首都新京に
居たボクは突如津波の如く襲いかかってきたソ連軍から逃げる
ために、4歳児の弟を連れて南へ逃げた。母はその直前8月1日に
赤十字病院で急死したし、父は軍隊に召集されていたから、ボク等
兄弟は親の無い孤児として奉天で終戦を迎えた。

中国の内戦が始まり、内地への引揚げがその分遅れた。
父の故郷、淡路島南部は見知らぬ地であった。ボクの生活環境は
大きく変った。どこかに田舎の子になりきれぬボクが存在していた。
淡路島はボクにとって故郷とは思えない。

長じてドイツ勤務を命じられ、ハンブルグでの生活が始まったが、
戦前の満州の新京や奉天を思い出させる懐かしい町の風景が
そこにあった。
ハンブルグや、その後住んだウイーンがボクの故郷である。

幼児時代の二度の法定伝染病で、ボクの腎臓は痛んでいた。
95年の阪神・淡路大震災の直撃で、ボクの腎臓は一気に悪化した。
97年以来ボクは人工透析を受ける腎不全患者になっている。

子ども時代の病弱児がウソのように、ボクは活力に溢れ、透析患者
には見られない。
遠く南アフリカまで出張したのを皮切りに、ボクはおよそ400回ほど
飛行機に乗っている。大気中を飛んでいる間は、地球の自転・公転と
直接の関係を持っていない。その分だけ、地球上の人間の掟に縛られず、
だから、もうすぐ78歳になるのに自分に高齢者の意識は無い。

ボクの最近の血液検査のデータを示しておく。

血液総蛋白       6.7
GOT              8
GPT           8
γ‐GTP        15
総コレステロール 187
中性脂肪       55
尿酸           4.5
血糖値         78

(検査日:2012年1月11日)

肝機能も血中脂肪も、一般の健常者をも凌ぐ数値である。 


はじめに戻る『1:身体中の細胞が疲れきっている』

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【酵素の科学】『5:鮨屋で食べた魚のタンパク質がボクを救った』

2012年04月13日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】




明治維新まで獣肉をあまり食卓に乗せなかった日本人の身体を
作ってきたのは、主として魚介類と大豆製品の中に含まれる
タンパク質であった。
日露戦争を戦った、日本の陸軍兵士の身長は平均で160センチに
充たなかった。戦中戦後の食料難の時代に成長期を迎えたボク等の
世代は、同様に身長が低い者が多い。対して栄養豊富な時期に成長
した若者たちの身長は、世界の人類学でも異常と見られている。

09年の術後、およそ3ヶ月にわたり、味覚も食欲も失ったボクの身体は、
新陳代謝を補う細胞の生成も難しく、およそ8キロばかりの体重を失った。
明らかに栄養失調であった。

偶然のように入った鮨屋。そこで試みにクチにしたヒラメの鮨。それがボクの
味覚と食欲を覚醒させて、
たっぷりと食べたから、肝臓が喜んで大いに仕事をしたのであろう。魚類の
タンパク質がアミノ酸に分解され、それを材料に身体が求めていた各部に、
新たな細胞の供給があったとボクは信じている。

その日を境にボクは食欲の回復で、大いに食べそれが身についたと思う。
言語障害が回復し、漸く主治医との会話が出来るようになった。
起立障害と歩行障害からの立ち直りには時間が掛かった。室内でも室外
でも転倒を繰りかえし、頭を強く打って硬膜下血腫の手術まで受けた。

気力の回復に至ったのは11年5月ごろだ。脊柱管狭窄の手術から丸二年が
経っていた。頭脳が生きていると確信を持ってからも一年間の予備時間が
要った。その間を読書とブログを書くことで過ごした。

気力も戻ったから、硬式テニスも転倒に気を付けながら初めている。
まだ階段の昇降には苦労している。

ここまで来るのに、どれ程の代謝酵素を要し、肝臓がどれだけの酵素を
作ってくれたのか。ともかくボクは活気に溢れた人間として復活した。
その間に、何千種類の酵素が働いてくれたのか、身体中の壊れた箇所を
ほぼ全部直してくれたのだから。

ドイツの友人が送ってくれたアレ。小麦胚芽を発酵させ、冬の保存野菜として
珍重するザワークラウト(発酵キャベツ)やトロピカルフルーツの中にある
タンパク分解酵素を加えた[グラノザイム]の威力をボクは自分の身体で確認した。
ドイツで人気があって不思議ではない。


続きを読む『6:ボクの身体は若い』

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【酵素の科学】『4:最も遅れて来た栄養素が酵素』

2012年04月13日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】




人体は多くの栄養素を必要とする。
先ずは三大栄養素で、タンパク質・糖質・脂質だけがカロリー源となる。
食物中のカロリー源の体内燃焼で、人体は熱と動力を生み出している。

次に発見された栄養素がビタミン類とミネラル類である。これ等の働きに
ついては、まだ完全な研究がなされてはいない。例えばコラーゲンは肝臓で
アミノ酸を材料に合成されるが、触媒としてビタミンCが働く事は比較的に
最近の研究で分かった。マグネシウムが必須のミネラルだと日本政府が
発表したのも、90年以降になってからのことだった。

六番目に来た栄養素が食物繊維である。腸内のお掃除モップみたいな物で、
栄養価値はあまりない。ビタミン類やミネラル類と同様にカロリー源にはならない。

そして最後に来た、七番目の栄養素が酵素なのである。
消化酵素と代謝酵素の二群がある。消化酵素は比較的に単純である。
特に糖質と脂質は、専ら体内で燃焼しエネルギーを生み出すだけだから
数も多くはない。タンパク質だけは、人体の構造物すなわち細胞の主体と
なるから、糖質・脂質が炭素・酸素・水素だけで出来ているのに反しタンパク
質には窒素も加わる。三元素の生成物と、窒素を加えた四元素の物とでは、
分子構造がまるで違う。それだけに消化・分解の工程が複雑となり、酵素の
種類も何千種の単位となる。

酵素は一般にアミノ酸を材料に、肝臓で組立てられると栄養学の本には
書いてあるが、まだ本当のところは分かっていない。人体には例えば活性
酸素のラジカル攻撃に対抗するSODのように、生まれながらに持ち合わせて
いるものもあることが分かっている。すべてが組立てられるとは言いきれない。

しかも所要の種類は何千の単位である。組立ての材料はアミノ酸だが、これは
タンパク質として食べた食物を分解して得られる。コラーゲンを飲んでも、その
ままコラーゲンになるわけではないが、コラーゲンが分解されてアミノ酸となり、
そのアミノ酸を利用して肝臓がコラーゲンを再び作ることは有り得る。

ボクは09年に受けた手術に伴う麻酔の大量投与で、身体中の機能が麻痺して、
多機能障害に苦しんだ。そこからの回復に、肝臓がフル回転し、多種多様の酵素を
製造したことは疑う余地がない。


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【酵素の科学】『3:あれから三年が経った』

2012年03月15日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】




本当に透析を十五年もやっている人の身体には見えないと、
いまのボクを知る人は誰もが言う。まして77歳の肌じゃないとも。

いったい、あの全身の細胞が仮死状態になったかの、あの生気の
欠けた身体はなぜ蘇ることが出来たのだろう。

ドイツ製の酵素が、ボクの身体の機能復活に役立ったことは確実に
言える。
食物の中の、三大栄養素には、それぞれ燃焼に導くビタミンが必要
である。
糖質にはB1が、脂質にはB2が、そしてタンパク質にはB6が無いと、
燃焼ができない。また脂肪の分解にもリノレン酸が不可欠だ。

ボノラートの中に、それらの栄養素が全部あり、グラノザイムを併せて
摂ることで、活発な燃焼が進み、食べた物が効率よく細胞の新陳代謝
を高めたおかげとしか思えない。

幸い肝臓の機能に支障はなかった。だから新陳代謝に必要な酵素の
組立は順調に行われたのだろう。

ボクは期せずしてボノラートとグラノザイムに、新たな生命力を与えられた。

麻酔によって、身体中の細胞が仮死状態になった。酵素が働いていない。
だがそれがどんな酵素かが分からない。と主治医に言われたボク。
 そして青山繁晴さんも、手術後で身体中の細胞が疲れきっていると
言われた由。
 
人間は多種の酵素を持っているか、または肝臓で作り出せるが、年齢を
重ねていくと、持っていた酵素もなくなり、酵素を作る能力も衰える。肝臓
を酷使している場合には、特にそうだと言える。

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【酵素の科学】『2:身体中の細胞に酵素が欠けている。その酵素が何であるかが分からない』

2012年03月15日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】





多機能障害に苦しむボクの身体を診察した主治医が言った言葉だった。

そうか酵素欠乏か。ならばドイツの友人たちが勧めてくれていた、アレが
役に立つのではないか。
グラノザイムという商品名で、小麦胚芽をメインにパパイヤなどのトロピ
カルフルーツから抽出した酵素を加えた、特に高齢者には必須のものと
聞かされていた、三大栄養素のすべての消化・吸収・代謝に有効な酵素
商品のことだと。

高齢者に必須とは、すでに77歳に達しながら、精神的に幼いボクには
気になる言葉であったが、現に多機能障害に苦しむ身にはえり好みを
する余裕はない。

結果論としてグラノザイムはボクの身体に劇的に効いた。
先ず食欲だが、食べたいものも無いままに入った「すし店」で、ボク用
には何も注文もせず、家族が食べるのを唯見ていたのを、一個ぐらい
はと勧められて口にした、その一個がボクの食べたいものが何であった
かを思いださせてくれた。

改めて品書きから何品かを注文し、次から次へと傍にいた家族が驚く
ほどの食欲をボクは見せた。身体を構成する細胞の材料となる、良質
のタンパク質を摂った身体が、それを消化分解し、吸収し、更に肝臓に
運ばれて代謝活動で身体の一部になって行く。そんな実感を持ったのだ。

身体中の細胞に酵素が欠けている。だから細胞が動こうとしない。
そんな細胞たちに酵素のチカラが働いて、再び活動を始めたのだ。

ボクにも、何と言う酵素が、どういう活動を行ったのか分からない。
酵素の働きはそれほどに神秘的なものなのだ。
栄養学や生理学のどの本にも記述がない。

だがボクが転倒の恐れから脱出し、何年ぶりかにコートに立って硬式
テニスに興じているのは事実だ。



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【身体の科学】『1:身体中の細胞が疲れきっている』

2012年03月15日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】




横浜市関西ローカルの番組ながら、関西テレビの「アンカー」に水曜日の
レギュラーを勤めて居られる青山繁春氏の政治・国際問題の評論を
欠かすことなく拝見している。

青山氏は11年の初めに大腸癌を切除。その直後にも大阪まで出て
きて熱弁を揮われていた。気力の人であると尊敬している。

青山氏のブログを拝見すると、手術に際しての全身麻酔で、身体中
の細胞という細胞がすべて疲れきっている状態だと書いて居られる。

ボクには青山氏の描写が良く分かる。
ボクも09年5月に積年の腰痛の原因であった脊柱管狭窄症を治癒
すべく、インターネットで探しあてた名医による手術を受けた経験が
ある。

麻酔の先生がMRIやCTの映像をご覧になって、その病状の複雑さ
に驚かれ6時間分の麻酔薬を注入された。

名医の腕は僅かの一時間で複雑な箇所の手術を完了されたのだが、
麻酔が効きに効き、延々18時間もボクは昏睡状態に陥った。

青山氏の描写をお借りすれば、ボクの身体中の全細胞は疲労を通り
越して仮死状況になった。相当部分の細胞は死滅したかも知れない。

全身のありとあらゆる障害が次々と発生した。
言語障害・食欲障害・味覚障害・起立障害・思考障害・行動障害など、
全ての脳障害が起きたのだった。
二年半が経過した11年秋の段階でも、まだ歩行や起立に障害が残って
いたし、それ以後も階段の昇降が怖い。

古事記や日本書記を読み直すことで、天つ神や国つ神の御名を再暗記
することで、幸い記憶障害は早く直ったが、他の障害は長びいた。

手術後もっとも気を付けないといけないのが転倒なのだと、病棟の婦長
から何度も念を押されたのに、ボクは初日に二度転倒し、翌日も三度転倒
といった具合に何度も転倒を繰り返した挙句、頭部を強打して硬膜下血腫
まで出来て、その手術も行う破目となった。

食欲障害には驚いた。何を見ても食べたくないのだ。
何より脳障害から来る認知症が怖い。
脳と神経の細胞を守りぬくのだとの意識で、毎朝コーヒーにスプーン一杯の
砂糖を忘れなかった。砂糖は直ちに吸収されてブドウ糖になり、脳と神経の
栄養源になる。


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【身体の科学】9:腎臓の機能を失った私ですが(ビューティキャップ)

2012年02月11日 | 【社長体験談☆多機能障害からの復活!】

 

 

私は昭和9年生まれの77歳ですが、誰からも実年齢より
10歳は若く見られており、現に今も硬式テニスを続けて
います。テニスで最も難易とされるバックボレー、それも
ネットから離れて守備範囲を広げ、相手のボールに
備えるのを特意技としています。
つまり反射神経には、すぐれていると自負しているのです。

腎臓は幼児の時代から弱いと指摘され、小学・中学と病弱児
として知られていました。95年に神戸を襲った直下型の激甚地震で
電車路線も失われ、道なき道を探りながらのマイカー通勤の
ストレスは言語を絶し、それが原因で人工透析を週に三回受ける
身体になり15年が経ちました。

透析が始まり、元々病弱児だった私が、心身の鍛錬にと始めたのが
硬式テニスです。クラブの仲間から「やり過ぎ」を注意されながら、
自分でも確かにやり過ぎだと意識した時は遅かった。
ある日突然、腰から脚にかけて強烈な痛みが走り、立つことも
一人では出来なくなってしまいました。

腰部脊柱管狭窄症と診断され、しかも相当な重症とのことで、
多くの病院から手術は無理といわれました。
個人経営の整形外科で週に一回の、神経ブロック注射で誤魔化し
ながら、インターネットで「黄金の腕を持つ外科医」を探す毎日でした。

09年5月に知りえた先生が、名医でたった一時間半の手術で
完治という幸せを頂きました。
麻酔の先生の判断で多量に過ぎた麻酔薬で、翌朝の4時半まで
昏睡状態が続き、夢の中で例の川の岸辺に立っていました。

多量に過ぎた麻酔薬による、多機能障害に悩まされる、想定外の
体験もしました。
詳しくは、私のブログの中にある「多機能障害からの生還」を、
是非お読みください。

身体障害者一級に認定された身体ながら、毎朝八時半には出勤、
ブログを打ち、小説を書き、休日にはテニスを愉しんでいます。

08年には世界最多作家としてギネスブック認定も受けました。

 

 

ブログ パパゲーノの華麗な生活『多機能障害からの生還』

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~ビューティーキャップについて~

 

 もっと詳しいページはこちら≫

 体験談はこちら≫


 

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みなさまへ

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