海辺の町から

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忙しい日を前にして

2022-03-30 11:20:45 | 日記

  暖かく穏やかな日です


  椎茸と椎茸の間にこだぬきがハクビシンに致命傷の傷を
  椎茸が食べられません


定期船の当番日
いつもの定期船が大型連休に備えてドックに入っています。
海辺の町を含む島しょ部を通う定期船は2隻あり
1隻がドックのため残りの1隻ですべての島をカバーしているため
時間が少し遅くなっています。
4月1日からの海藻解禁に合わせ何となく気ぜわしく
2泊3日のキャンプから帰った息子家族が4人泊りがけでやって来るという。
サァー大変です おばあちゃんの料理が食べたいという孫たち
手抜きが出来なくなりました。
一段と食がまし美味しいものも知っています。
ママは減農薬に拘りがあり雑穀米に五分米を食べているとか
夫はマズイと食べてくれません 間に入って思案中です。

寝具類を整え後は大まかな献立表の作成です(とりあえず1週間)
こうしておけば慌てる事もなく 不足分は補充しておけるので
菜園の野菜も活用しながら・・。
冬伸びきったゴム紐のような生活をしていた反動が目の前にやってきます。
私とて未だ現役?で頑張りたいと密度の濃い孫たちとの関わり合いを楽しみにしているのです。


思い出す風景

2022-03-27 20:03:16 | 日記


  カラーが咲きました


  

胸の鼓動が高鳴る。
小さな旅選 北アルプス紅葉の谷へ を観た。
見覚えのある風景がそこにあり懐かしさが甦ってきました。
涸沢カールから見上げる岩稜は
長い間の火山活動によって隆起と侵食を繰り返し険しい峰々が形成されてきた。
涸沢カールは氷河によって形成され
テント場はシーズンともなれば小さな集落ができるほど賑わいを見せていた。
昔と違って軽量化されたテントは移動に便利になり
その分長期の縦走が可能になったのです。
今日のTVでは若い頃山に親しんでいた男性が膝を悪くして
登山を諦めていたけれど 子供たちに背中を押され再度孫とともに
体力に応じた山登りを始めたというのでした。
子から孫に山登りの魅力が受け継がれて 変わらずそこに在る風景を求めて行くのでしょう。
山小屋の番人が夢だったけれど今は海を見つめて暮らし
人生とは思い通りに行かないものです。

優しい気持ちに

2022-03-25 09:52:13 | 日記

  6時49分日が昇っていました


  スナップエンドウが実を付けていました


  プラムの樹が伸び放題です


久し振りに施設に入所している義母サヨコさんを見舞ったのです。
コロナ感染者が出るたびに面会が叶わず長い間面会中止が続いていました。
施設からのお知らせで面会室が設置されたとのお手紙を頂き
面会予約をして昨日会ってきたのです。
陰圧装置の面会室でクリーンパーテーション越しの10分間の面会は
あっという間でした 覚えているかしらと少々不安を抱きながらの面会
「お姉ちゃん来てくれたの?」以前は名前を呼んでくれていましたが
お姉ちゃんに 夫はお兄ちゃんになっていました。
開口一番「連れに来てくれたの?」この言葉が一番辛いのです。
サヨコさんは寝たきりの状態 白旗を挙げた私 一緒に帰ろうねとはどうしても言えませんでした。
不器用な私は共倒れが目に見えています 生まれ育った故郷が恋しいのでしょう。
心を鬼にして「また来ます元気でね」と毎回重たい気持ちを引きずって施設を後にするのでした。

連日の北朝鮮のミサイル発射 
飢えに苦しむ国民をよそにミサイルを発射し続ける北の独裁者
愚かな独裁者は武器を振りかざし何処の向かおうとしているのか
拉致被害者の行く末を案じるのです。

澤地久枝さんは 戦争という手段によって人間が得るものは何もないと
たとえ勝って領土を得たとしてもその時に死んでいった大勢の命を考えたら虚しいと
遺族がどんなに苦労をするのかを先の大戦で経験した私たちは
おびただしい例で知っているはずとも
気を付けないといけないのはプーチン大統領を悪だと思う気持ちが
ロシアが悪いにすり変わってしまうことと
戦争の悲惨さを身をもって体験した彼女だからこそ戦争反対の意思を
後世に伝えることが義務だと考えているのです。
彼女の発する言葉の一言に意味があり重みがあり
戦争に向かう世の中を決して作ってはならないという事を肝に銘じています。

健康の有難さを

2022-03-22 11:47:50 | 日記

  雨の降る寒い朝です


  Fさんが芽出しをしてくれていました


退院して5日目Fさんの姿を見かけない 毎朝犬の散歩を日課にしていたのに。
手術前は食事を時々運んでいたけれど胃全摘手術後固形物を受け付けなくなったため
ご自身で試行錯誤しながら食事と向き合って居られた。
様子見をしていたけれど姿を見なくなり心配になって5日ぶりに訪ねたら
水分すらも喉を通らないらしく 退院して何も食べていなかったので
憔悴しきっていたのです。
急遽隣の集落にある診療所の先生に電話を入れ状況説明
単身赴任の先生も連休で予定があったのを無理をお願いして
即栄養剤の点滴をしていただいた。1時間半ほど夫と二人待っていた。
元気になってくれることを願いながら春分の日の昨日も
先生が帰宅後拙宅に電話を下さり再度診療所で点滴を。
Fさんは退院後様々な栄養補助食品をネットで取り寄せ試されていたけれど
身体が受け付けなく困っておられた。
たんぱく質が摂りたいとの話だったので取り敢えず具なしの茶わん蒸しを
今朝持参食べられただろうか 魚の身をほぐしてミキサーにかけ汁状にしてはとか
食べられるものから口にして 兎に角体力を少しでも改善してほしいものと願っているのです。
車の運転はできても未だ足元が覚束無いので夫と午後から点滴に行こうと思っています。

負けないでください

2022-03-19 08:26:00 | 日記

  桜の開花宣言がなされた当地も寒い朝となりました


  一昨日のゼラニウム


昔震度5弱の体験に恐れをなしていたが 
今東北の地では震度6強という想像もつかない蠢きの中に身を置いている人たちがいる。
何が大地を怒らせたのか
地球を取り巻く環境は人間の知りえない所まで弱っているのかも知れない
大きな負荷をかけ利便性の追求の先に待っていたものは大地の怒りだった。
大きなうねりとなって大地を切り裂き人々の営みを破壊した。

遠くの地では人間の手によって人々の営みを破壊している。
逃げ惑う人々を容赦なく的にして
歴史ある街は瓦礫と化し 助けるすべを持たないもどかしさがある。
収まる気配のないこの光景をいつまで見続けたらよいのだろうか
故郷を追われた記憶は決して消えることなく憎しみしか生まないこの争い。