海辺の町から

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映像の世紀 プーチンとゼレンスキー

2023-08-29 15:36:07 | 日記

  夏景色の中にも秋風が匂う


九想さんも書いておられた プーチンとゼレンスキーの事を。
「NHK映像の世紀 プーチンとゼレンスキー」

100年の間に3度の戦火を交え今尚その渦中にあるウクライナ。
ロマノフ王朝消滅後権力を掌握したレーニンはロシアからの分離独立を求めるウクライナに独立を認めない。
レーニン死去後スターリンはウクライナに集団農場の参加を強制した 圧政による飢餓が400万に(ホロドモールの悲劇)
1941年6月独ソ戦の戦場になったウクライナ 当時250万人のユダヤ人が住んでいたが150万人のユダヤ人が
迫害を受け殺害された ゼレンスキーはユダヤ人の家系祖父だけが虐殺を生き延びた。
1954年 スターリン死去後フルシチョフ(ウクライナ出身のロシア人)はクリミアをウクライナに譲渡
1986年4月 チェルノブイリ原発事故
2000年5月 プーチン(KGB出身)が大統領に指名される。
2022年2月24日 ウクライナ侵攻

プーチンは 住民をジェノサイドから解放するためウクライナでの軍事作戦が必要だったと。
ゼレンスキーは 奴隷にならないそれが我々の意志であり運命ですと。

ウクライナ侵攻直前
プーチンは 私はウクライナ市民に訴える 今日起こっていることはウクライナ国民の利益を侵害しようという
欲望から出て来たものでは無い
あなた方の父 祖父 曾祖父がナチスと戦い共通の祖国を守ったのはネオナチがウクライナの権力を
掌握するためでは有りません その犯罪的な命令に従ってはならないと。

ゼレンスキーは 私はロシアの市民に直接申し上げたい 大統領としてでは無くウクライナの市民として
此所は私達の土地です。何の為に誰と戦うのか 皆さんはウクライナの人柄を知り国民性を理解し
ウクライナの価値観を知っている 私達が何を大切にしているかも知っているはずだ。
ウクライナ国民は自由の身なのです 我々は過去の歴史を見据え未来を築いていますと。

ノーベル賞作家アレクシェービッチは
ウクライナの戦争は21世紀最も恐ろしい犯罪として歴史に残るでしょう 戦争は何時か終わるはずです
でもロシアの人々とどうやって話をするのでしょうか 救ってくれるのは愛だけ憎しみでは救われません
どうやって一緒に生きていくのかを学ばなければなりません でもそれは遠い先のことなのですと結んでいた。

権力の集中は独裁者を生む 政治に無関心であってはならないと肝に銘じている。

アフガニスタン食堂

2023-08-26 13:58:41 | 日記

  連日突然の雨に見舞われて


  蔓延る草の勢いが凄まじい


NHKドキュメント72hours 「異国の地のアフガニスタン食堂で」を観た。
タリバンが権力を握って2年余り命からがら隣国パキスタンに逃れてきた人達
その数が40万人以上という 40年前にも旧ソ連のアフガニスタン侵攻
そして今回のタリバンと人々は先の見えない日々を過ごしている。

その様な中パキスタンに逃れてきたアフガニスタン人の拠り所アフガニスタン食堂からの取材
複雑な思惑が絡みあう難しい取材のように思えた。難民故の送還は命に関わってくる。
仕事を失いながらも足の赴く先はアフガニスタン食堂だ 異国の地で故郷の料理を味わいに
人々がやって来る。中でも日常的に食べていたプラウ(牛肉入りの炊き込みご飯)が心の支えになっていた。

多民族国家アフガニスタン 中でも少数民族ハザラ人の存在は罪だという
迫害を受け殺害されているという現実 タリバン政権下国内では息を殺して生活しているという。
イスラム教を独自の解釈によって厳しく市民を統制し抑圧しているタリバン。
その様なこともあってハザラ人は集団で行動するようになった。

「あなたはアフガニスタン人orハザラ人だと思いますか?」取材陣の問いに
「人種なんて関係ない私は一人の人間だと 自分のためだけに生きていても幸せになれない
何れは難民として逃れてきた人達の人道支援を行ないたい」と
「人間は希望があるから生きていける 此れからも前に進み続ける」といって
緑内障を抱えている青年が前を見据えていた。

物憂げな日

2023-08-24 17:28:01 | 日記

  海岸道路の端にヒマワリが咲いている


  40㌔先の半島の付け根には原発がある


西村経済産業大臣が福島の魚が美味しいと試食していた。
しかも処理水放水前の昨日。其れって違うでしょう?と言う思いでニュースを観ていた。

処理水の発生する汚染水が止められていない今 この先ずっと続くわけで
にも拘わらず原発の再稼働は続いている。
3.11 あの日の思いは原発に頼らないエネルギーの確保をと望んだはずである。
にも拘わらずあの日の記憶は薄らいで行く。


原発を導入した自治体には立派な箱物が建つ。
100年周期で起きるとされている南海トラフ地震 35年頃にはと予想されながら
果たして原発は安全か 原発40年ルールが見直され再稼働されている。

「悩みの無い存在は 存在の無い存在である」「悩むことのできるものだけが生存に値する」
と辺見庸が引用していたけれど 人生の先が見えてきた今妙に納得しながら・・・。

臓器提供意思表示カード

2023-08-20 11:10:01 | 日記

  ヒッソリと咲いていた


  無性に辺見庸が読みたくなった


入院以来Fさんと交した手紙が9通になった。
9通目の手紙には宛名と8月17日至急と表書きされて最後に伝えたかった思いが認めてあった。
1通目の手紙は角張ったしっかりした文字の長文だったが9通目は平仮名が目立った。

20日頃と聞いていたその日が来てしまった 私の手元には臓器提供意思表示カードがある。
「私は脳死後及び心臓が停止した死後の何れでも移植のために臓器を提供します。」
全ての臓器に×印は無い。
Fさんの意志を尊重しもしもの時にはカードを提示しようと思っている 其れがFさんの最後の意思表示であると。
移植を待っている何処かの誰かに命が繋がる事がどれ程尊いものか。

8月13日 朝食 主食無し 牛乳 メイバランスmini その後は知らない。

病院のベットで何を思うのか 
身寄りのない人が余命を告げられ其れでも生きよう生きたいと言う思いは生まれるのだろうか。
何かの為に誰かのために生きたいと言う思いは薄らいで行くのでは無いだろうか。
今の辛さから早く解放されたいと思ってしまうのでは無いだろうか。

身元保証人といえど他人況してやコロナ感染防止のため面会は禁止され看取られる事も無く一人で逝く。
せめて最期くらいは皆で送ってあげたいのだが・・・

季節が変った

2023-08-16 11:44:50 | 日記

  湿気を含んだ蒸し暑い朝です



  沢山のお土産 孫娘と約束していたプリン 息子のお土産が何よりも嬉しい


8月13日
初盆の供養に2艘の船を舞台に見立て各集落を周り
平家落人供養の踊りが済むと各集落の初盆を迎える家族の為に船でやって来る。
桟橋まで出迎え帰省客も見物人に加わって物故者の供養の踊りを踊って貰う。
もの悲しげな鐘の音が唄と踊りと共に夜遅くまで続いていた。

8月14日
仏様と共に食事を摂るために早めにお墓迄迎えに行く。
11時の和尚様との約束が10過ぎには来られて大いに焦ったが
檀家役員の夫に下駄を預け其れでも早めに初の盆と100日にちの法要をして戴いた。

台風7号の関西上陸の報を受け14日中に帰り着かなければ四国は出られない。
早めの法要が功を奏し法要膳が済むと2人3人と 夜のうちに橋を渡れた。
長男坊も15日の便をキャンセルして帰りを1日早め夫と私で息子を駅まで見送った。

孫達は今度何時帰るかと長男坊から離れない。
最初よそよそしかったけれど徐々に間合いを詰めながら話掛けていた孫達。
質問攻めに合いながらも丁寧に応える様は昔のママで有る。

8月15日
最後の知人が船に乗った 一人で4~5人の勢いのある気の置けない友人3人
一遍に静かになった。
本来ならば家族揃って夕食後にお墓へ仏様を連れて行くけれど今年は台風に狂わされてしまった。
一人でお墓に行くのが辛いので友人夫婦と一緒にお墓に行ってお盆の行事は終えるけれど初盆の我が家は灯籠流しがある。
戒名と家紋が入れられた天井から床まである大きな灯籠 月末には和尚様をお迎えしてお経を唱えて頂く。

8月16日
慌ただしく過ぎた日々心なしか明けるのが遅くなった。
蝉の声から鳥の声に変った 季節が変った。