海辺の町から

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

老いる

2021-02-26 18:35:21 | 日記

  昨日からずっと雨 この雨を足利に桐生に届けてあげたいな


  旧暦の1月10日魚市場で航海の安全と豊漁を祈る神事が行われ 神事の後恵比寿像を海に投げ入れ
  その日の朝一番に入港した漁船の若者が海に飛び込んで恵比寿像を拾い 海水で浄めて再び神社に
  奉納する行事が行われました。その時に戴いた物です


  本場のネギは矢張り美味しいです


教職を早期に辞して海辺の町にやって来たFさん
長い間浴びるようにアルコールを摂取していたけれど近頃めっきり少なくなり
生協配送時二人だけの班なので良く話をするのですが
腰が痛くなりもう長いこと無いかも知れませんと
弱音を吐いていました。
腰痛で亡くなった人聞いたことが無いので大丈夫ですよ
長生きして貰わないと困ります せめて平均寿命までは何とかと
身体の中に抱え込みきれないものが有るのでしょうか
一人暮らしで身体に不安を抱えると心配なのは分かるのですが・・
核家族化が進み子供達には子供達の生活があるので
誰しも最後は一人です。
以前Fさんは身体が弱ったら誰にも知られないように
洞窟の中か何処かでと話していたけれど
余りにもそれは哀しすぎます。何の役にも立たないかも知れないけれど
縁あって海辺の町を選んで来てくれたのに
遠慮無く頼って下さいよ

老いると言うことは誰しも辛いものです。
老いることに美しさを求めてもそれは幻想でしかなく
生きて来た年月が少しの理性が邪魔をします。
私に任せて下さいとはとは失礼な言い方かも知れないけれど
プライドの高さが老いていく姿を否定している気がします。

役に立たないことは一杯身につけてきた私でも
明るく活きる方がどれだけ楽かと


 
  
  
   

辺見庸

2021-02-23 14:16:33 | 日記

  黄砂が俟っています


  カタバミが蔓延ってきました


私には未だ自分で自分を絶つ最終的自由がある
彼にはそれが無い
彼とは東京丸の内爆弾テロ事件を起こし多数の死傷者を出し
獄中死した大道寺将司のことだ
もうかなり前だったかEテレで彼の句集を出版するのに
奔走していた辺見庸との対話が強烈に印象に残っていた。
当時かなりの衝撃を受け眠れない夜だった。
「たんば色の覚書」を読んでいたら彼を思いだしたのです。
閉ざされた拘置所での贖罪の日々を送っていた大道寺将司
そんな中詠んだ句に
  咳くや(しわぶくや)慚愧に震ふ まくらがり
長い獄中生活の中血液のガンに冒され2017年多発性骨髄腫で亡くなり
辺見庸も又二度のガン告知を受け講演中に脳出血で倒れています。
自由のきかない身体で死刑について戦争について
世界各地で見聞してきた事を呻きながら抗いながら絞り出す言葉に
理屈抜きで引込まれてしまうのです。

本の中で書いていた 誰のものでも無いはず 
つまり誰のものでもあるべき水が商品化され
貧困階級は劣悪な環境で生活することを余儀なくされ
環境問題は階級問題にならざるを得ないと・・


やり直しのきく人生ならば・・

2021-02-22 13:30:28 | 日記

  ぽかぽか陽気になりました


  孫娘がメダルをくれました 何のメダルだったのかな?


海辺の町に息子家族が泊まりがけでやって来ました。
土曜日の陶芸が済んだ頃に連絡があり今晩から行くので・・と
さあ大変何時もより多くの買い出しをしてお昼を大分過ぎての帰宅となりました。
早めに街まで出掛けていたため洗濯に掃除 夕食の準備と大忙しでしたが
息子家族と賑やかな膳を囲み久し振りの華やぎを感じていました。
翌日早朝より起床 朝食後簡単なお弁当を持たせ 
シロコズナ釣りに出かける段になり小一の孫娘は
お爺ちゃんとお婆ちゃんと一緒に居るのと
それから私達二人は孫娘のおもちゃと化しました。
新聞紙で作った洋服を着せて貰いされるままの夫
ジャンケンに陣取りゲーム 折り紙遊びにお手玉
算数の足し算引き算のタイム計りに音読の確認の為の花まる書き
階段を箒で履いてくれたり埃がたまったと言って
掃除機を出してきたりその都度助手をしていました。
お昼のご飯に夕ご飯 シロコズナは釣れなかったけれど3Kgの大きな鯛と
イトヨリを夕食時にお刺身にしてあげました。
残りは魚の処理をしてあげお持ち帰りです。
宿題も済ませ帰ったら寝るだけの状態で街に帰っていきました。
またくるねー バイバーイ
帰った後の私達二人 有り余るほどの刺激をもらい
若さは何ものにも代えがたい宝物と認識しながら
やり直しが出来る人生であるならば別な人生も見てみたかったなあと。





老兵は死なず消え去るのみ

2021-02-19 09:55:48 | 日記

  夜半の雪も溶け太陽が顔を覗かせてくれた


  菜園のスナップエンドウの花も萎れずに元気になっていた

外では鳥が鳴いている
もういいでしょう起きなさいと。
時刻は7時を大分廻っていた特段の用事も無く
もう少し寝ていようかになってしまう
二人暮らしの生活とはこうして人生が過ぎていくのかと思われる。
ネットで頼んでいた本2冊のうち1冊が3月になるという
昔の文庫本なのに560円?の運賃が上乗せされてくる
Amazonさんどうなっているの?2冊一緒で送って欲しかったー。

テニスは見るだけ
単純なスポーツと思いきやさにあらず 
S.ウィリアムズの大阪なおみの筋肉が美しい。
いつしか此処にも世代交代が行われ去りゆくものの哀れを感じたのは私だけか
一時代を牽引して 負け知らずの力強さは陰りを見せていた。
雪のちらつく窓を見やりながら炬燵の守をしていた。
大阪なおみの活躍が言動をも後押ししていた。
準優勝者を人は覚えていないというメンタリティーでいる
勝者の名前こそが刻まれると
精神的に逞しくなった彼女の発する言葉にハッとしている。

逞しくあくまでも逞しく

2021-02-16 09:43:05 | 日記

  予報では晴れ 寒気が又降りてくるとか


  小一の孫娘が作ってくれました


小一の孫娘が手作りのチョコレートを作ってくれました。
授業が早めに済んだらしく宿題を済ませてからお爺ちゃんに持って行くねと
息子から連絡が入った。
その日に限って朝から小雨の中玉葱畑の草を引き肥料を撒いていました
もう少しと頑張ってしまった それがいけなかったのです。
寒気がして頭が痛いそのうち良くなるだろうと高を括り
OK はしたものの頭痛に吐き気が加わり夕食の準備もままならない
何時もならテーブル一杯に馳走を作ってあげるのだけれど・・
断りの電話を孫娘にごめんねと。
程なくして息子が手作りのチョコレートに檜扇貝を持ってきてくれたのです。

先日ブログをUPし終えた後日にちもあけ
初めて地震に気付く有様でした。
東日本大震災にあい今回又震度6強の地に住む友人
福島に多くの友人を持つ私にとって他人事とは思えない
断水で困っている友人に朝一でお店が開くのを待って水の手配をしてきた。
今必要なときに届けられないもどかしさ
道路状況によってはいつになるか分からないとの説明を宅配業者より受け
二つの宅配業者に依頼した。
冷静に考えると愛媛から被災地まで900㎞
距離があり過ぎます東京辺りからネット注文したほうが
余程気が利いていたかも知れないと臨機応変に対応できないもどかしさを感じました。

二度の地震を経験した友人曰く 震度6強の地震にも関わらず最小の被害で済んだのは震源が深く津波が起きなかったこと
               前回の学習が活きていた事それが落ち着いた行動に繋がったようです。

               今回再認識したこととして <ラップの活用です。>
                            身体にラップを巻いて寒さに対応したこと
                            食器にラップを敷いて洗い物を無くしたこと
                            水の保管 飲用 調理用 作業用と多めに必要
                            携帯電話 等々
いつ何処で起きるか分からない地震の恐ろしさ
確実に起きると言われている南海地震
学習することによって救われる部分も有るかと思います。
経験者の話に耳を傾けようと思いました。