心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

樽柿を16個も食べた男、正岡子規

2004-11-15 19:27:51 | Weblog
 正岡子規といえば、俳句・短歌近代化の祖と言われ、客観的な「写生」に基づく文学を実践・推進したことで有名です。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」などの俳句がありますが、親友の夏目漱石の小説「三四郎」には、「子規は果物が大変好きだった。かついくらでも食える男であった。あるとき大きな樽柿を十六食ったことがある。それで何ともなかった。自分などはとても真似はできない。」と実名で登場しています。
 また子規は何でも記録して手元に残したそうです。
 朝 ヌク飯三椀、佃煮、梅干、牛乳五勺ココア入り、菓子パン数個
これは、病床の子規の、ある朝の朝食の献立だそうです。私は社会人になり立てのころ、ある上司から「記録に勝る記憶なし」とよく言われていましたが、子規のこの細かさには驚かされます。子規はこの細かさを文学の世界にも発揮し、知りうる限りの江戸時代の発句をノートに記録してデータベース化、それを使って俳句革新の論を起こしたのです。やはりメモ魔であったことが、彼の研究において非常に役立ったということが言えそうです。メモすることの大切さはよく言われることですが、凡人にはなかなかできないことですね。
 子規には入門者にわかりやすく俳句とは何かを説いた「俳諧大要」、「古今集」を和歌の聖典として崇める伝統的価値観を転倒させ、歌人たちに衝撃を与えた「歌よみに与ふる書」(ちなみにこの中で、貫之は下手な歌詠みで古今集はくだらないと批判しています)、病床生活を記録した「病床六尺」などがよく知られています。またbaseballを「野球」と翻訳したのも子規だと聞いたことがあります。子規は大学予備門で名キャッチャーだったそうです。「いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす」などの句に代表されるように、病床生活を送った印象が強いだけに、これは少し意外ですね。
 さてこのように高名な子規に「鶴の巣や場所もあろうにえたの家」というのがあるのだそうです。「巣をつくる場所もいろいろあるはずだが、こともあろうにえたの家のところに作っている」というような内容ですから、明らかに差別意識が見られます。
 松尾芭蕉には、「えた村は浮世の外の春富みて」という句があり、これは「春富みて」という語句に、えたに対する暖かい視線が感じられ、先ほどの子規の句と対照的です。
 「鶴の巣や分け隔てなくえたの家」というような句だったらよかったのにと思われることでした。