心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

演歌の起源は-五木寛之氏の説

2004-11-22 23:13:45 | Weblog
 五木寛之氏といえば、古くは「青春の門」「青年は荒野を目指す」などの小説が好きで、学生時代とかよく読んだものです。最近は、「生きるヒント」「大河の一滴」などエッセイストとして人気がありますね。朝日新聞に「みみずくの夜メール」というエッセイが1週間に1回あります。本日(11月22日)は、「演歌の起源」についての内容が載っていました。以下、その引用です。
 演歌は、明治のころ自由民権運動に奔走した壮士たちが、演説で主張するメッセージを歌に託して大衆に伝えようとした街宣活動に始まる。最初は路上ライブのように、街角で大声を張り上げてガナっていたのが、やがてプロ化していき、バイオリンを弾いて歌を歌い、歌詞カードを売る専門家も出てくる。最初のうちは、政治や世相を批判・風刺する歌だったが、次第に情緒的に変わっていき、それを職業とする人々が、演歌師と呼ばれるようになってきた。そして演歌師によって歌われ、広められる歌が、もっぱら演歌と呼ばれるようになっていく。やがて、伝統音楽である端唄、小唄、都都逸、民謡などと習合し、さらに西洋音楽と混血して、一種独特の近代歌謡が成立する。そのあたりまでくると、本来のアジテーション、政論演説家の骨格は次第に失われていき、男女の恋愛や人情の機微を、哀愁を帯びた短調の曲想で歌い上げる世界が中心となった。
 演歌とは、もともと「演説の歌」だったということですね。そうすると今の演歌は、とうてい演歌とは言えないものだということになります。だから五木氏は、「演歌という言葉の生命はすでに終わってしまっている」と述べています。
 言葉は生き物で時代とともにどんどん変わっていきますが、もともとどういう意味だったのが、時代とともにどのように変わってきたのかということを知っているということは、大切なことだと思います。
 最近の若者の中には、本気で、「渡る世間に鬼はなし」ではなくて「渡る世間は鬼ばかり」と思っている人がいますが、言葉について鈍感であるということは、他人に対しても、鈍感であることに通じてくると思います。言葉に対して、常に鋭敏であり、疑問に思った言葉、気になった言葉など、すぐ辞書を引いたり、調べたりする習慣を身につけたいものです。