心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

「小説は心の糧だ」-「今、会いにゆきます」より

2004-11-27 23:26:52 | Weblog
 今話題の映画、「今、会いにゆきます」の原作(市川拓司作・小学館)を読みました。ここでは気にいったセリフ等を書いてみます。
 主人公秋穂巧と6歳の息子・祐司が買い物の帰りに立ち寄る公園で知り合いになったノンブル先生。いつか祐司に読んでもらために、自分と澪の小説を書きたいという巧に、ノンブル先生はこう言います。「小説は心の糧だ。闇を照らすともしび、愛にも優る悦びだよ」
 いい言葉です。多くのいい小説を読み、いい映画をいっぱい見て、色々な人生を追体験し、他人のことを思いやれる、豊かな心を持ちたいものですね。また「書きたいことは、いくらでもあるのにいざ書こうとすると難しい」という巧に、ノンブル先生は「胸一杯になった言葉がいずれ溢れ出てくるときまで、待てばいい」と助言しています。本当に言いたいこと、書きたいことは自然とあふれ出てくるということですが、そのための準備はつねにしておきたいものです。
 また、記憶について次のように言います。「忘れるってことは悲しいことだ。記憶とは、もう一度その瞬間を生きることだ」「記憶を失うということは、その日々を生きることが二度とできなくなるということだ。人生そのものが指の間から零れていくみたいにね。だから書き残すということはいいことだと思う」
 以前、職場の上司から「1日の中で、色々と思ったこと、感じたことなどを書きとめておいたほうがいい」とアドバイスされたことがあります。その上司はそれを自分も実践していたのでしょう。退職後、小説を書き、何らかの賞もとったようでした。今、このように駄文ながら、色々と思ったことを書いていますが、やはり書きとめておくことが大事だと改めて感じることでした。
 青年期の男女に関することではこの表現が面白いでした。「この年頃のぼくらは、自分が性的に成熟して、子孫を残すためのパートナーを探しているんだというメッセージを、化学物質に乗せてどんどんと自分のまわりに振りまいていた。受け取った人間は、本人が自覚するしないにかかわらず、それに応答してまた化学物質を放出する。それは無意識下で交わされる恋の伝言だった」男と女の微妙な関係をうまく表現していると思いました。
 電話についても面白いエピソードがありました。「電話は不躾で横柄で押し付けがましかった。だいたい世界で最初に電話で発せられた言葉だって、ずいぶんと横柄だった。ワトソン君、すぐ来てくれたまえ!(もちろん、グラハム・ベルの言葉だ)のちの電話のありようを暗示している」今は、携帯電話の普及により、本当に不躾で横柄な電話やメールが多いですよね。やはり人間と人間、直接顔を合わせて、言葉を交わすことが大切ですね。電話の使い方には十分気をつけたいものです。
 さて全体を読んだ感想は、いっぱい愛がつまっている優しいラブストーリーという印象です。特に自分が死ぬとわかっていながらの澪の行動には心打たれます。映画もいいかもしれませんが、この作家の独特の感性や表現に触れるためにも、またやはり自分なりのイメージを膨らませるためにも、原作をぜひ読んでみることをお薦めします。