城郭 長谷川博美 基本記録

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人間や動物の脳に介在するシナプス

2019-08-01 06:39:41 | 城址見学心得
人間や動物の脳に介在するシナプス
 自分の覚えた歴史書や教科書や書物から得た知識を人間は絶対に信じ込んでしまい
新しい考古学的発見や社会的現実を謙虚に受け入れない場合がある。それは人間の脳
内でシナプスと呼ばれる神経が生理的に結合した記憶と言う現象である。一度記憶し
た事は忘れない頑なに固執する傾向は頑固や意地や性格によるものではなく生理的な
現象である。この現実を謙虚に認識していないと真の歴史研究は進捗しないだろう。
私の得た歴史的記憶は、はたして真実や事実や本当にツルース「真実」であろうか?
昭和、平成の現実を生きてきた私達なのに次の世代に正確な現実の現代を次の世代
にさえ伝達できてはいない私達だ。まして真実の歴史研究とは千里万里の時の彼方
を読み解く事は困難である。歴史を再度研究する際は脳内を再度リセットして白紙
に戻せる柔軟な発想が求められるものではなかろうか?書物に書かれた物語が真実
であると限らない。何故なら人間の歴史を顧みるに言葉による虚偽つまり「うそ」
や文字による書き変え「改竄」は人間の生活社会の日常茶飯事である事に気かなけ
ればならない。人間は言葉や文字を手にした段階から詐欺や詐称や虚偽を常とする
動物である。青臭く理想的な言葉を述べさせてもらうならば私個人としては言葉に
表裏のない真心ある真実を求める人に巡り合いたいと常々おもっている。長谷川

追記 文字に騙される人、道に迷う人、本当の歴史家は誰だ?

ある時山中にY字路があった。しかし看板は朽ち果ていて道の左右を間違え表示して
いた。看板の文字を信じる多くの人々は、左に進んで山で遭難した。人の通った草の
ない右の道を観察したり地図や地形図を読んだ人は無時に目的地へと行く事が出来た。

ある時城址に行った。多くの人は城址看板のある場所に到着して満悦し大変喜んだ。
ある少数の人は100m離れた雑木林の本当の城郭遺跡を見学しその真実に満足した。
この会話で歴史通とは城址看板に喜悦した人々こそが本格的な歴史通とされる事だ。
世の中たとえ少数でも真実や現実を認識したい人はいるはずだ!一体歴史通とは何?



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タッノコプロ アニーメーショに内在する京畿関西文化

2019-08-01 03:08:01 | 漫画
タッノコプロ アニーメーショに内在する京畿関西文化

 吉田竜夫久里一平の漫画やアニメーションを見て育った私個人としては
20代の頃11PMに登場した久里一平の実験的アニメに驚いた記憶がある。
アメリカのロックバンド、クリーデンス、クリアーウオター、リバイバル
の初期LPに収録されていた墓場行き列車と言う曲に久里氏の白黒アニメ
が淡々と抽象的に繰り返される画像に衝撃を受けたものだ。この手法とは
淡々と繰り返される音楽。一種のミニマルミュージックに淡々と繰り返さ
れる白黒アニメを付けた実験的なものだったが、若い私は強い衝撃を受け
たものだ。つまり、ミニマリズムとアニミズムを合成した作品だった訳だ。
彼等吉田三兄弟が京都出身であった事に今更ながらも強い興味と関心を抱く。

タイムボカンシリーズのアニメ視聴率26%
 テレビアニメ「タイムボカンシリーズ」は驚異的な人気を誇った。特に
人気の要因は主役の男女二人ではなく、悪役として設定された女性マージョ
様、トボケた天才科学者トボッケー、力のトン十郎が繰り出す。子供向けと
は言えない大人の会話に人気が及んだのだ。子供を対象としたアニメなのに
会社生活や社会生活に精神的に疲弊た中年男性は「タイムボカンシリーズ」
に憩いや笑を求めたものだ。ある真面目な関西の中年サラリーマン男性が
家庭に帰り子供達が見るテレビアニメ「タイムボカンシリーズ」を楽しみに
していたのだ。この悪役凸凹三人組は素晴らしいメカや化学技術を駆使する
ハイテク技術を持って登場するのに必ず、ヘマやシクジリや失策をするのだ。
アニメ前半では颯爽と登場し時に彼等三人組が化学忍者隊ガッチヤマンの様
に凛々しい劇画風のシリアス描写で登場しても、結局三人の搭乗するメカは
失敗や欠点を露呈して大爆発炎すると言うミジメな結末を必ず迎えるのだ。
三人が炎上したメカから三人乗り自転車に乗り換えてポロポロになり無様に
逃げ帰る姿は、奮闘苦労の甲斐もなく家路を急ぐ哀愁のサラリーマンの姿と
重なるものがあるのだ。あまつさえ三人は上司に失敗の結末を報告する際に
互いの失策を指摘し自分だけを弁護する見苦しい言い訳を展開して失笑を買
うドタバタ喜劇が展開する作品なのだ、この三人のキャラクター設定は見事
秀逸で高慢な美女。優秀だがドジな技術者。猪突猛進の肉体派人間の設定は
見事に社会を風刺して滑稽で笑える娯楽作品に仕上げられていた。この笑の
原型や土壌は京畿関西文化つまり松竹芸能や吉本興業などにルーツがあると
私は時に思うのだ。いやイチビリ、トボケ、ツッコミ、哀愁悲喜こもごもの
関西文化の伝統かもしれない。「タイムボカンシリーズ」のマヌケの三人組
は必ず、みじめ、むざんに敗れ去る自虐の結末が予定調和的に設定されていた。
落語や漫才や芸能には必ず「落ち」が設定されているのだ。人間とは結末こそ
全て解っているのに期待を裏切らない強烈な「落ち」を本能的に期待するのだ。






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