城郭 長谷川博美 基本記録

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シウマイ 馬車道  港北新横浜駅 湖北新幹線米原駅

2019-08-29 01:46:01 | 比較研究論
シウマイ 馬車道  港北新横浜駅 湖北新幹線米原駅
◆シウマイ
 親族が関東から米原に帰還し崎陽軒の
シウマイを土産に買ってきた。

 あのなつかしいシウマイに付属していた
瓢箪型の醤油入れやカラシの味が食欲を
そそり横浜で生活した人にとり愛着のある
食品である。

♪旅に出るたび思い出す~♪. あのしゅ~
まいの 崎陽軒♪.と言う歌を突然私は思い
出した。私はこのCMソングを何回も聞
いたものだ。何故ならば4年間私は横浜市
港北区の住民登録をして暮らしていた。

◆崎陽軒のシウマイ弁当と井筒屋の弁当
 滋賀米原から横浜に新幹線で旅立つ時は
井筒屋の弁当を買って食し神奈川の新横浜
から郷里滋賀に帰る時には崎陽軒のシウマ
イ弁当を新幹線の中で食したものだ。新幹
線に乗って伊吹山が見えて来た時に私の心
は郷里滋賀が近い事を知り何故か心が緩み
安堵したものだ。

◆啄木の詩に納得
 私は4年間関東暮らしをした事で関東時代
は関東言葉で頭の中でも何事も思考していた
記憶がある。人間とは関東に居る時は関東的
な風の中で生活するものだ。ある時米原駅に
下車して故郷の滋賀の言葉に再び接した時そ
のあまりに関東と異なるイントネイション
驚いたものだ。なんだこの言葉は?私が昔話
していた言葉なのだ。石川啄木の歌集『一握
の砂』に収録されている有名な詩に納得した。
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の人ごみ
の中にそを聴きにゆく」

◆祖母の霊魂
 今年の盆には長浜市にある郷里の墓参りを
した祖母は関東の千葉の海浜の近くで産まれ
滋賀に嫁いだ人物だ。もし霊魂と言うものが
存在するならば祖母の魂は米原駅から新幹線
に乗り関東に散らばる長谷川家由縁の人々や
川島家由縁の人々の元へと帰って行った事で
あろう。

◆港北の馬車道と湖北の馬車道
 私が暮した新横浜近辺には日本国が錦糸貿
易で外貨を獲得していた頃に東京の八王子か
ら横浜港へと線路を使った「馬車道」が存在し
た。やがて馬車道は国鉄JR横浜線となり現在
でも新横浜と結節して繁栄している。明治の頃
滋賀にも「馬車道」が存在した。

これは正規の鉄道東海道線が関ヶ原から長浜へ
と軌道を結節させ当時要港敦賀港へと結節する
役目を担ったものであろう。明治の頃敦賀とは
日本のロシアへの玄関口であり福井県敦賀金ケ崎
にはロシア領事館が存在した。下図は『気比史学』
4号のソビエト領事館の様子。

 つまり湖北の馬車道とは東海と北陸を結節させ
る物流や軍事の動脈の要として計画されたものだ。
しかし神奈川の「馬車道」は鉄道へと昇格したのだ
が滋賀湖北の「馬車道」は鉄道の線路を馬が馬車を
牽引する道に降格しやがて国道365号線へと変遷
する歴史の流れがそこには存在する。

◆長浜駅旧駅舎「鉄道記念館」の意義と長谷川銀蔵
博美父子の着眼旧東海道線と北陸線が結節した遺構
が長浜駅旧駅舎である。ここに伊藤博文が福井と滋
賀の国境にある柳ケ瀬トンネルの記念碑として歴史
の表舞台に登場するのだ。時の宰相伊藤博文卿とは
流石の人傑である東海と北陸を結節する天下の隧道
「トンネル」として柳ケ瀬トンネルを「万世永頼」
と刻印させている事に驚くのだ。

このトンネルは未来永劫に不滅の日本国の頼みとす
る隧道であると伊藤は豪語しているのである。伊藤
の先見は現在も色褪せず北陸道と呼ばれる巨大トン
ネルが存在し近畿東海北陸の交通を今も支えている。

 このトンネルの山上には壮絶な巨大ド級城址が今
も残っているのだ。言うまでもなかろう!北陸の太
守、柴田勝家の内中尾山城址「玄蕃尾城址」だ。この
交通の要衝の城址に早くから着眼して挑んだのは長谷川
父子である。調査当初の世間の人々は長谷川父子を変人
として嘲笑した。近世城郭の始祖とも言える馬出を
本丸の南北に設定した見事に洗練された織豊系陣城
の白眉と言っても過言ではない遺構だ。



◆米原駅の隆盛を期待
 北陸、東海、近畿の交通が結節する米原は交通の
要衝であり新横浜のような隆昌を期待したい。

◆港北の城址と湖北の城址
 私が4年間暮した港北区には後北条氏の小机城が
存在し私は何度も訪れたものだ。米原駅近辺には
太尾山城、菖蒲岳城、鎌刃城そして前述した番場城
や地頭山城など少し離れた佐和山城、磯山城などや
彦根城など戦国城郭が目白押しの状態だ。米原駅近
辺の住まいする私にとりこれ等の城郭遺跡を利用し
て米原発展の礎になると幸いだ。

◆後北条氏の小机城に百回探訪
 私は横浜市港北区の小机城に百回探訪した。でも
私はこの城址を語る資格は一切ない。何故ならば一
度も城址を、計測していない。城郭研究家なので
城址の細部は見学しているが、一切言及しない。
何故ならば人間の立体視覚と実際の平面測量は異
なるからである。四角いと思った郭が実際は五角
である事は立体視認と平面は異なるのだ。

◆自分の家の屋敷の航空写真に激怒する地主
 何十年も住み慣れた自分の土地や屋敷の航空写真
の形状を見て激怒する人がいる。ワシの屋敷地は五
角形ではないと航空写真を批判する人もいる。航空
写真は現実をありのままに撮影した証拠である。
家主が主張する四角い屋敷地は長年地主が抱いた、
固定概念である。人の脳はシナプスと言う脳神経
伝達物質で記憶や概念が形成される。城郭も古墳も
歴史も政治も冷静に客観的に観察しないと大事を誤る。
 
コメント (1)
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