伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

短冊の「位」文字は大事

2008-08-27 19:12:00 | 先祖供養について

産経ニュース 加地伸行 立命館大学教授のコメントより抜粋引用 :
8月15日の
全国戦没者追悼式同式典は政府主催であり、両陛下ならびに首相以下の首脳が参列するのであるから、〈国葬〉に対して言えば〈国祭〉に当たる。だが、メディアはこの〈祭〉の意味がどうやら分からず、例えば「会場祭壇中央にある全国戦没者の標柱」と伝えている。
標柱-とは、しるしの柱ということ。すると「全国戦没者之霊と書いて突っ立ててある柱」ということか。もしそうだとすれば、単なる看板や標札の類(たぐい)と変わらぬ。看板や標札に向かって恭(うやうや)しく拝礼してどうする。
実は、主催者の政府が〈祭〉の意味を知らずに書き誤っているのである。すなわち、いくら「全国戦没者之霊」と書いた柱を立てても、式典会場の日本武道館にその神霊は存在していない。
式典において、われわれが誠を尽くして諸霊をお招きし、それに感応された全国戦没者万霊が地上に降り立たれる。その諸霊が憑(よ)りつかれる場所(依(よ)り代(しろ))として設営されたのが祭壇中央の柱である。霊魂の在(いま)す場所なのである。だから場所を表す「位」字が必要。正しくは「全国戦没者之霊」と書くべきである。
この依り代は、儒教における木主(ぼくしゅ)(神主(しんしゅ))であり、日本仏教はそれを導入して位牌(いはい)と称している。

人間の死後、霊魂の存在を認め、その霊魂を招き降して生者遺族が出会い、慰霊鎮魂する〈祭〉が、東北アジアの死生観であり、その本質はシャマニズムである。ところが、主催者の政府は依り代に無知で、「位」字を書き落としたままの毎年。
多くの日本人は、主として日本仏教を通じて、幼少のころから慰霊鎮魂の場に接し、誠を尽くすことを心得ている。仏壇の前での日々のお勤めがそれにつながっている。 『論語』に曰く、
「〔祖霊を〕祭れば〔祖霊が降り立ち〕在(いま)すがごとし
感想 :
日本の伝統仏教でも、位牌の最後に位の文字を付けない
宗派はあります。
新興宗教系でも短冊を用いた先祖供養を実践する集団が
色々と存在しますが、やはり最後に位を付けない集団が
あります。専業霊能者でも、最後の位は不要だと公言する
人々はいます。

霊的な実態を感得する能力を実際に保有していれば、位の
有る無しの霊的な違いは直ぐに分かります。
位が無ければ、寄り代とは霊からは認識され無いので、
なにか呼ばれて来たが何処に居れば良いのか分からないの
で、その回りに浮遊し漂い、その場の人にも憑こうとします。
霊が留まる焦点が定まらない感じがします。
これでは、位牌に供養を捧げても届き難いです。
位があると、霊からは休息場のように受け取られて位牌や
短冊に集まります。 そこに供養を捧げると、効率良く届く
感応が有ります。
伊勢白山道式の先祖供養を神霊から伝授された時、最後の
位は必須であり、しかも大事なので位の文字を他の文字よ
りも少し大きめに書くようにとの指示までありました。
墓石が下方に行く程、どっしりした形状を持つのと同じ様に
位により名前を支える感じがあります。
この様な霊的な様相が意味する事を、学術的に学者の立場
からも同様な内容を示唆されている事は、意味が深いと思
います。 霊的感応世界と学問知識が一致する、真実の
内容を現していると言えます。

何故、漢字文字の違いにより霊的諸相も影響されるのか?
これは、人間が長年に渡り生きて来た土地の歴史と、文字な
どの文化習慣は、その国に霊的な痕跡磁気として蓄積され
ています。 つまり、人の遺伝子や霊が知識として表面的に
は認識されていなくても、土地空間の磁場から、このような
法則が発動すると私は感じています。
外国の場合でも、最後に位に相当する単語が重要だと感じ
ます。 御霊を呼んで慰めるシャーマニズムの観点からは、霊が
定まる位置、場所を意味するイメージが、霊にも人間側にも
大切なのです。

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コメント (140)
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