伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

ノルマ信仰は駄目です

2008-08-28 18:52:39 | Weblog
生まれた土地の産土神社に21日間参った方が良いとか、
何々をしたほうが良いと聞かされると、悩む人はいます。
悩むと言うことは、「良い」と聞かされると良い事を期待する
心が有るが、半信半疑なのでしょう。 私がそれは「悪い」と
言えば、止めるのでしょうか?
このような、21日間などのノルマ的な信仰を勧める人は
多いです。
特に、宗教や精神業界で飯を食う人は、何か心を縛る目標を
人に言うものです。 何々をせよと、御客様に言って誘導する
事により、組織や自分の存在価値を示すものです。
そこに正しい霊的意味は有りません。 
業者の飯の種が有るだけです。

もし、21日間、雨の日も風の日も下痢の日も、産土神社への
参拝を貫徹した人の内心は、どんなものでしょうか?
さああ、したよ。 さあ~て、何か善いことあるかなあー、
とか。 悩みがある人ならば、その悩みが改善することを、
これだけしたんだからと期待するものです。
これは、霊的には人間から神霊への、恫喝になります。
正神は、恫喝されて動くと思いますか?
もし、そこに正神を守る眷属神がいれば、21日間の汗の参拝
は全く逆効果と現れ、触らぬ神に祟り無しを体験することに
成るでしょう。
では、21日間、何も願わずに感謝のみを捧げた場合は如何
でしょうか? 21日間とかのノルマ的な感謝の実践は、
やはり、目的の有る交換条件の感謝に過ぎません。

自分自身が気分が良い時に、産土神社に気が向けば参拝
して、自分が生かされている感謝を捧げる。
これが大事な信仰であり、正神が喜ぶ参拝です。
神が喜べば、その神霊磁気に参拝者が触れて、望まなくても
御蔭は起こるものです。

神仏への参拝は、鏡を見に行く行為です。
鏡に写るのは、自分です。
悩みを祈願しに行けば、鏡に反射して、悩みが自分に帰って
来ます。 ますます、苦しく成ります。
色々と問題があっても、現状への感謝を捧げに行けば、
感謝出来る事が自分に帰ります。
感謝の先祖供養も、義務感や不安感を持ちながらするならば
止める方が良いです。 
自分がしたいからする、それだけの事です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (148)
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