伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

無理をしない事

2008-08-31 09:21:20 | 先祖供養について
質問 :
先祖供養をさせて頂く様になってから、自分の心 心境の変化に気付く事がよくあります。最初の頃は、ただただ感謝で供養をしていて喜びを感じていました。
しかし、最近は日々の生活をしている中で 自分自身が凄く怒りっぽくなっている事に気付く事がよくあります。 頭で考えれば、そんなに怒る事でもないのに。
何でそんなに怒るのか?自分でも分からない時があります。
勿論、全て先祖供養に絡めて考えている訳ではありませんが 怒りっぽくなってしまった私が先祖供養を…などと言うのは本末転倒の様な気が致します。
御先祖様に申し訳なくて。
そんな時は、やはり先祖供養を少し休んだ方がいいのでしょうか?
それとも、先祖供養の副作用。と考えて このまま継続しても良いものでしょか?
返答 :
供養方法に問題がある場合:
短冊に正しく先祖霊が寄れていなければ、供養者が怒りの念
を抱えたままの(1)縁ある先祖霊に寄られて、自分でも理由
が分から無いイライラ、怒りの気持ちを持つ事はあります。
先祖霊に感謝を捧げる行為を止めても良いのですが、ただ、
読者の霊線パイプには、怒りのまま彷徨う先祖霊が残存した
ままになります。 これは、人生を生きる上での霊的ハンディと
なります。霊線パイプが詰まりぎみに成ると、根源から来る
エネルギーが減少する為に気力が弱まり、何かに付けて自分の
不運を感じる傾向に成ります。
短冊に寄れる様にする為には、
・線香を捧げ感謝を捧げた後、直ぐにその場を離れる。
・短冊の回りに余計な霊的垢商品が有ると、先祖霊が寄れ無
い場合があるので、それを除去する。
・供養に何か自分の為の目的でする心が無いか、気を付
ける。 無縁な存在を寄せる原因の1つに成ります。
あくまでも、先祖への慈悲心でする事が大事です。
供養が例え先祖に届いていなくても、先祖の為にしたい
この気持ちが供養を届かせます

霊的な垢が有る場合:
供養実践者が、今までに(2)霊的な垢を付ける行為、信仰、
行法などにより幽界の霊的存在の憑依を受けている場合は、
感謝の先祖供養を嫌がります。 その存在が苦しみ、嫌がる
波動が供養者にイライラや怒りとなり現れて来ることがあり
ます。
これからは供養行為を「する」「しない」に関わらず、太陽霊光
により人間の本性が燻り出されて来ます。
太陽電磁波により、霊的垢が有れば免疫力の後退も人間に
始まっています。

霊的磁気の法則から見ると、怒りの心境で先祖供養をすると
怒りを先祖霊に届ける事に成ります。
ますます、良くありません。
義務感でする先祖供養も、自分の為が有るので良くありま
せん。 違和感を感じる人は、霊的実践を起こす伊勢白山道
の先祖供養を中止して、普段の感謝想起から遣り直せば良
いでしょう。
幸いにも伊勢白山道の先祖供養を始めても、初期より違和感
の全く無い方や、生きる力の充実を実感される人は多い
です。
これは、先祖の方々が先祖供養をされた為に、家系の霊線
パイプが綺麗だったのです。 感謝すべき事です。

人が先祖供養が出来る心境・環境であるか、どうかは縁の
ものです。 無理は良くありません。
するか、しないかは、人生を生きる上での自己判断の1つに
過ぎません。
忘れては生けないのは、今生を生きるのは自分の努力次第
です。 先祖供養は影からのサポートの1つに過ぎません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
   
応援して下さる方は、この4箇所をクリックして下さい。
初めての人は、左側の「
真客検索システム
」を利用して下さい。
コメント (205)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする