馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

緊急病室でビールを飲む

2010-06-13 15:18:59 | 日記
6月12日8時40分海老川をウオーキング
先週から風邪を引き早めに帰宅していた。
鼻づまりも治まったので万歩計を携行
11時20分帰宅 湿度高く久しぶりに汗だく
万歩計は歩数17333歩、距離9.1キロ、カロリー消費カロリー919と表示された。
診療所で体重、運動を毎日記録しなさいと厳命され
次回診察時に表を持参しなければならい。

今週7日月曜、谷津病院に入院中の彼の妹から緊急メール
「兄が会いたがっている
又 痛くて全身麻酔をしたい、ビールを飲みたいとメモしている」との内容
PM3時病院に駆けつける。
げっそりヤツレ、目もうつろ
痛みをこらえるように手足が痙攣する。
妹は兄の震える手をにぎり
「お兄ちゃん痛いの」声で呼びかける。
私も細くなった足をさする。
突然メモを取り出し妹に見せる。
メモにはビールと書かれている。
医師からは飲んでも構わないと許可が出ている。
私は近くのコンビニで缶ビール1缶とストローを買う
病室でストローを差し込んで飲まそうとするが嫌がる
脳では飲みたいのだろうが実際には受け付けない。
私が代わりにビールを飲む。
緊急病室内で昼間ビールを飲むとは
思いもしなかった。
この現実に直面すると余命が迫っていることを実感。
病室を出て待合室で妹さんと話す。
「兄の命は夏頃までと医師に告げられました」。
突然妹さんは自分の現在の状況を話す。
昨年2月、28年間の夫婦生活を解消
15歳の娘と二人だけの生活になりました。
公共図書館で嘱託の身分で働いています。
最初の子供は9歳で亡くし今生きていれば28歳です。
今の娘は40歳の時生まれました。
私は今55歳、高校受験を控えた娘との二人
ぎりぎりの生活をしています。
元の夫も家を出て借金に追われています。
兄とも5年前両親が亡くなり
実家を処分してからはほぼ絶縁状態でした。
親類との交流も殆ど有りません。
今後葬儀等をする余裕も時間も無いので
その事の事情を「兄の友人達にお伝えくださればと思います」
妹の苦渋の表情は忍びない。
音信不通であったのがこんな状況で兄との関係が
愛しくなりました。
埼玉にいて兄を世話も出来ない気持ちは
1日たりとも心休まらない。
5時船橋駅で妹さんと別れる。

6月9日(水)夕方、新聞社元支社長であった友人と
事務所で癌の友人の今後について話す。
5年前、両親が亡くなり
妹さんの話
「直ぐに兄は戸建ての家を処分して
マンションを購入 妹である私は知らずにいた
遺産を等分することせず、定年前早期退職して
無職のまま資産を食い潰してきた。
現在の兄の資産及び預金等は分からない
従って今後葬儀等は妹さんでは出来ないと
友人に伝えた。

6月11日(金)昼、携帯電話に下関に居住する友人から
見舞いに来ると連絡があった。
しかし私は午後1時半癌の彼と合気道部同期で
大手建設会社役員が単身赴任先の大阪から
新幹線で上京、品川駅構内で待ち合わせていた。
谷津病院には行けないと下関の友人に伝える。
品川駅構内でビールを飲みながら
癌の彼の現況を説明する。
会話中、携帯電話に下関から見舞いに来た友人から
電話が入る。
電話で意外な状態を聞かされる。
病室も大部屋に代わり「思った以上に元気でメモも書けるし笑いもしている」
との報告だった。「安心したのでこのまま下関に帰る」
私は一瞬不安になる。以前同じような状況で急変したことがあった。
駅構内で話した友人にも現況を話し今後の葬儀等が出来ないので
偲ぶ会でもしたい。そして合気道部同期14人に連絡して欲しい旨
頼んだ。5時品川駅内で別れ 総武横須賀線で乗車した馬喰町駅に戻る。
改札で定期を触れると音ともにゲートは閉まる。
駅員に品川駅構内の食堂にいて又戻った事を言うと
馬喰町~品川駅間の往復乗車賃を取られた。
3時間近い時間経過か、降りた形跡が無いのが記録されているのだろうか?
まだ風邪は治りきらない早めに帰って休もう。